高校3年 初秋
残暑が続く中、新学期が始まり俺たち3年生は受験一色となった。
蓮はもう就職と最初から決めていたようで、俺とは違ったコースを選択。
履歴書やら進路指導の先生との話が忙しそうだった。
俺はというと、漠然にもう少し絵の勉強を本格的にしてみたいと美大を3つ程候補に入れ勉強を続けている。
「なぁ、今日さ放課後時間ある?」
女子生徒の高い声が教室内に響き渡る。
俺は目の前のコンビニ弁当のテープと格闘しながら、頭上から話しかけてくる蓮の声を聞いていた。
「今日?特になにもないけど。」
「だったらさ、李紅ん家一緒に行こうぜ。李紅、ここ一週間くらい体調崩して学校休んでるんだ 。」
テープをはがし終わり、やっと顔を上げるといつもより少し真剣な顔の蓮がいた。
「風邪?結構ひどいの?」
「いや、大事をとってるらしい。李紅、昔からあんまり体強くなかったらしいから。」
わかった、と返事を返すとお土産何にしようとか言い出した。
ここ毎日蓮一人で見舞いに行っていたらしい。
そろそろお土産のレパートリーがなくなってきて悩んでいるようだった。
「もうありきたりだけど、花とかでいいんじゃない?李紅、花好きでしょ?」
俺が思いついたものを言うと、怪訝な顔で蓮がこちらを見てきた。
「…アオイって、たまに日本人離れしてるよな。」
「花なんて普通の高校生はプレゼントしないよ。」
はっきりとした口調で断言した蓮は、それ以降俺からの提案はすべて却下するようになった。
学校から30分ぐらい歩いたところにある、閑静な住宅街の中に李紅の家は建っていた。
一軒家で、レンガ調の壁がかわいらしい家だ。
玄関先に『KATASE』とアルファベットで書かれた表札があり、小さな庭には小人の置物が数人花壇から顔をのぞいている。
蓮が慣れたようにインターフォンを押し、何やら話をしていた。
李紅、ではなさそうだった。
…よく考えれば、李紅が一人でこの家に住んでいるわけない。
李紅の家族を想像し、急に激しい動悸に襲われた。
極端な人見知りはこうゆうときに困る。
蓮 がこちらを見ていた。
ニヤニヤと笑いながら、そう言っているように見えた。
実際には何も言っていなかったのだが。
「蓮君いらっしゃい。葵くんも。」
ゆっくりと開いた扉から顔を出したのは、李紅…よりも少し大人な、李紅だった。
髪の毛を後ろでゆるく縛って、やわらかい水色のワンピースを着た女性が俺の名前を呼んでいた。
「俺の、名前…。」
「よく娘から聞いてるの。李紅の母です。」
そう言ってにっこりとほほ笑んだその頬にはくっきりとえくぼが浮かんでいた。
やっぱり、李紅だ。
李紅の部屋は二階にあるらしい。
先導して歩く蓮は迷わず階段を上っていく。
途中、『みどり』と書かれた部屋の扉が目に入った。
李紅の姉妹だろうか。その名前に、少し口元がにやけてしまった。
「りく-、入るぞ。」
二回扉をたたいた後、開いたその奥からふんわりと花の香りがした。
日当たりのよいその部屋は、沈みかけた太陽が直接差し込み、オレンジ一色に染まっている。
「蓮!!…と、アオイ先輩?!」
久しぶりに聴いたその声は思ったよりも元気そうな声色だった。
クリーム色の寝巻でベットから体を起こした李紅は、大きな目をさらに見開いてこちらを見る。
「先輩、なんで…ちょ、ちょっと待っててください!!」
「いや、もういいだろ。葵はそんなの気にしないよ。」
「私が気にするのよ! 」
息の合ったテンポで会話を続ける2人を入り口で見続けていた俺は、もう我慢の限界だった。
ぷっと、いう音を皮切りに、笑いが口からこぼれ出る。
こんな二人を見るのはまだ数回しかなかったが、違和感がなくてなんだかほっとした。
「リク、元気そうでよかったよ。はい、これ。」
「来てくださって、ありがとうございます。これは…?」
「外人の贈り物だよ。」
また蓮が変なこと言い出した、なんて思いながら俺は持っていた荷物を李紅に渡す。
小さな紙袋には言ったそれは、さっき帰り際に寄って買ってきたものだ。
「ぁ、お花?」
通り掛けに寄った花屋で小さなお見舞い用に作ってもらってきたのだ。
蓮 はどうしても恥ずかしいから無理、と言い張ったので俺から送ることにした。
「…ミニひまわりに…ガーベラ?」
「ごめん、名前までは知らない。どっちも見た目で選んだから。」
秋っぽい色を想像して選んで組み合わせてもらったので、特に花の名前までは気にしなかった。
俺も蓮も、花には詳しくないので、ひまわりぐらいしかわからなかったのだ。
「ありがとう、ございます。」
李紅は起き上がって、俺たちとテーブルを囲んで座った。
蓮が買ってきたロールケーキと、李紅のお母さんが入れてくれた紅茶を目の前に、
すごくうれしそうな顔で微笑む。
「ケーキ、ありがとう。毎日、ごめんね。」
「俺が、来たいから 来てるだけだし。今日は葵も無理やり連れてきたけど。」
「それって、俺が嫌がってたみたいに聞こえるからやめて。」
窓から花の香りと、ぬるい風が流れ込んでくる。
遠くでひぐらしの鳴き声が小さくなっていった。
「なぁ、リク。あの話、葵にもしてやってよ。」
穏やかな空気の中、蓮が切り出した話を俺は黙って耳を傾けていた。
李紅は一瞬困ったように眉を寄せ、蓮を見た後、真っすぐ俺に向き直る。
いつになく真面目な話のような気がして、少しだけ背筋を伸ばした。
「本当は先輩たちが卒業するまで黙っておくつもりだったのに。」
「だって、なんかもやもやするだろ、その呼び方も。」
呼び方の話?
話の流れがい まいちつかめずに、俺は蓮と李紅を見比べていた。
その様子に気が付いたのか、李紅が諦めたように口を開いた。
「ということは、本当は李紅が俺たちよりも1つ年上ってこと?」
内容を理解するため、先ほどの李紅の話を要約してみる。
「そういうことです。」
李紅はテーブルの食べ終わったケーキの皿をじっとみつめたままだ。
「だから、俺たちに先輩ってリクが言うのはなんだかモヤモヤするって話。これですっきりしたろ。これからは『葵』とか、『葵くん』とかでいいんじゃない?」
蓮はずいぶんあっさりとそう言い切って、残っていた紅茶に口をつける。
「どう?葵もそれでいいだろ?」
李紅がゆっくりと話し出したのは自分自身の話だった。
李紅は幼いころから体が弱く、よく入退院を繰り返していたそうだ。
中学を卒業し、いざ高校入学というときにまた体の具合が悪くなり、そのまま2年入院生活を送った。
こうして2年遅れて入学した先で俺たちに出会ったという話。
確かに、肌の色は白く体の線も随分と細い李紅は病弱というには十分な容姿だ。
今までにその考えに行きつかなかったのは、李紅が俺たちの前ではあまりにも笑顔で元気そうにふるまっていたからに違いなかった。
「話してくれてありがとう。俺たちに気を遣ってくれてたんだろ。」
「ううん、なんていうか話すタイミングがなくて。」
「俺も、ついこの間アイさんから聞いたばっかりだよ。まぁ、驚いた。」
「アイさん?」
「私のお母さん。」
正直、内心すごく驚いていた。
今まで後輩だと思っていたので、なんだか年上とわかっただけで心拍数が上がった気がする。
蓮が、李紅のお母さんをアイさんと名前で呼んでいるのにも、すくなからず驚いた。
「アイさん、漢字で藍色の藍の字なんだよ。ここの家族、みんな色の名前で俺気づいたときすごい笑った。」
「紅、藍色、緑、銀。銀はお父さんなの。」
けっこう渋い名前だからお父さんはあまり気にいってないみたい、と李紅が付け加えると蓮が隣で声をあげて笑った。
「今日は本当に来てくれてありがとう 、明日からは学校に行けると思うので。」
「蓮君、葵君もまた来てね。」
玄関先まで見送ってくれた李紅とお母さんはこちらに向けて片手を振る。
2人が並ぶと本当にそっくりだなと思う。
「れん、アオイさん、また明日。」
最後に聞いた李紅の言葉が帰り道、ずっと頭の中を回っていた。
薄暗くなった道は来た時とは違った印象で、陽が落ちて気温も少し下がったのか行きよりも快適だった。
「俺もさ、最初聞いたときびっくりしたんだよ。だって見えないもんな、歳上に。」
さっきまでひぐらしの鳴き声が怖い、といっていた蓮が急に話を戻した。
それまでゆったりとその音を聞きながら蓮の前を歩いていた俺は、立ち止まって振 り返る。
「確かに。でも、一つくらいじゃわかんないだろ。だって学年なんて4月生まれと3月生まれだと結局丸々1年は差があるんだし。」
「だよな。」
止まった俺に追いついた蓮は横を追い越して前を歩いていく。
「俺はお前のが5つぐらい歳上に見えるときがあるけど。」
「蓮、それって俺が更けてるって言ってる?」
「さぁ、どうかな?」
ゆったりとした蓮の歩みに追いついて、隣に並ぶ。
小さく口笛を吹いて歩く蓮は、なんだか機嫌が機嫌が良さそうだった。
「夜に口笛吹くとお化けが出るらしいよ。」
「うわ、葵そんなの信じてんの?」
「いや、だってさっき蓮ひぐらしの鳴き声が怖いとか言ってたから。」
それ とはまた別、と口笛を吹き続ける蓮。
結局最後蓮と別れる時までなんの曲を吹いていたのか、俺にはわからなかった。
「じゃぁ、葵。また明日。」
「あぁ、蓮も。」
そう言って別れた後、俺は一人で街頭の下薄暗い道を歩いた。
また明日、という言葉がなんとなく残っていた。
例えば俺が蓮より遅れて入学することになったなら、どんな気持ちだろう。
蓮は高校3年の時、自分が入学してくるのだ。
それまでの友達も2年分自分より先に進んでいる。
まるで『浦島太郎』みたいだ、なんてありきたりな例えが浮かんできた。
李紅は、どんな風に感じていたのだろう。
きっと李紅はこの話を俺たち以外にはして いないのだと思う。
見た目ではわからないが、内心気にしていたのかもしれない。
蓮にも最初は言ってなかったらしいし。
俺にも話してくれたということは、それなりに信用してもらえているのかもしれない。
まぁ、蓮に押されたというのもあるだろうが。
寂しいような何とも言えないこの感情はなんと表現すべきなのかわからない。
李紅へのこの感情も。
認めたくない、ただ一言そう思った。