side李紅 さよならの言葉
蓮は思ったことをすぐ言葉にできる人だった。
好き、嫌い。
まっすぐで、正直な人。
だから私はいえなかった。
なんだか、照れくさくて。
一度もちゃんと言えなかった。
蓮への告白。
私からの蓮への想い。
夏の日差しがまぶしかった。
太陽は真上に伸び、熱風がやんわりと体にまとわりつく。
私は大きなベビーカーを押しながら、なるべく木陰を歩き日差しを避けて歩く。
「しかし暑いな。今年一番かな」
そんなことをつぶやきながら額の汗をぬぐう彼は、げっそりとやつれた顔をして私の隣を歩いている。
「お昼のニュースでは近年まれに見る猛暑だっていってた」
「あぁ、でも景色が涼しいだけまだましかな」
大きなバックの中から水筒を出してあげると、彼はのどをごくごくと鳴らして飲む。
ふと口の端からこぼれ出た水滴が太陽の光できらりと光った。
緑の木々に囲まれた長い石の階段を私は光を背中におぶって上がる。
彼はたたんだベビーカーと大きな荷物を両脇に抱え、私の前を一段一段登っていく。
湿度の高い、じめじめとした空気。
体にまとわりつく生暖かい風。
べったりと顔から湧き出る汗を首にかかったタオルでぬぐった。
「そろそろだっけ?」
「そう。あの角のとこ」
階段を上りきると、もうすでに息が上がっていた。
足が棒のように重く曲がらない気がする。
彼は先ほど折りたたんだベビーカーを私の横で広げると、背中からヒカリを抱き上げ乗せる。
相変わらずヒカリはうとうとしたままされるがままになっている。
高台にある木に囲まれた空間。
やけに緑と青のコントラストが強い景色だった。
「本当に綺麗なところ。昔、こんな景色見たことあるような気がする」
「そうだな」
ヒカリが生まれてから約半年.
階段を上ったその先の、一番奥の見晴らしのいい場所に彼は居た。
『水嶋家』
黒い光沢のある綺麗な石が置かれていた。
周りには線香と大きな花束が添えられていて、木々のすり合わさった静かな音と蝉の鳴き声だけが聞こえている。
「蓮、久しぶり」
そう言って彼は、大きなバックの中から一枚の写真を取り出す。
小さな写真縦に入ったそれは、いつか見た蓮の笑顔。
私も目を覚ましたヒカリを抱き上げ石の前でしゃがみこむ。
ヒカリは楽しそうに私の髪の毛をにぎって笑っている。
「……」
いろんなことを考えてきた。
蓮に伝えたかったこと、見せたかった景色、さっきまでいろんなこと考えてきたのに。
いざ蓮の居る場所に立つと、何一つ言葉は浮かばない。
大きく息を吸い込んで、はく。
何度も繰り返し、自分の声を確かめたくて音を出そうとすると、何度やっても途中で詰まって声にはならない。
「李紅」
首を上げて見上げると、タオルをこちらに差し出されていた。
ヒカリを抱いていない手でそれを受け取ると、そこで初めて自分が涙を流していたことに気がつく。
ぼろぼろと大粒の涙が自分の目から溢れ出すのがわかった。
「……蓮。ヒカリだよ」
ヒカリは私の腕の中で目をきらきらさせながら嬉しそうに笑っている。
笑った顔が少しだけ、蓮に似ていた。
「ヒカリだよ。誰もを明るく照らすまぶしい光」
ザザッと大きな風が吹き、木々が揺れる。
木々の隙間から洩れる光が地面に動く模様をつけている。
何を話していいのかわからなかった。
ここに来るまであれだけいろいろ考えて、蓮に報告することが沢山あったはずなのに。
蓮を目の前にした途端、頭の中が真っ白になった。
この人は、本当にもう存在しないのだと理解してしまった。
蓮の前にしゃがみこんだまま動けないでいた。
目から溢れ出る涙の止め方もわからず、ただただ、そこを見つめていた。
しばらくして、ふと腕が軽くなる。
見上げると葵が黙ってヒカリを抱き上げ移動していくのが見えた。
彼の行く先には大きな木が一本。
彼のそうゆう気遣いがすごくありがたかった。
そう、私は1人じゃない。
ヒカリがいて、葵がいて……そして蓮も私の中にいるの。
蓮、私、寂しくないよ。
「……最初はね、蓮が居なくなって前が見えなくて、立ち上がれなかった。どうすればいいのかわからなくて、本当に絶望って言葉の意味がわかったような気がしてた。」
「だけどね蓮の時間が止まってしまっても、私の時間が止まることはなくて、日が昇って沈んでの繰り返し。今はこうして落ち着いて蓮に向き合うことができるようになったよ。」
ねぇ、もっともっと時間がたてば私は蓮のこと普通に話して、笑えるようになるのかな?
蓮のこと思い出みたいになっちゃうのかな。
私、蓮のこと忘れなきゃいけないのかな。
蓮のことを忘れたくないのに、どんどん記憶の中の蓮が薄れているような気がしていた。
最初の冬から、沢山の出来事が思い出として過去に消えていく。
隣に感じていた蓮のぬくもりも、においももう思い出せない。
怖いよ。
怖いよ、蓮。
そっと触れた蓮の居る場所はひんやりと冷たく、触れた指先から熱が少しずつ吸収されていくような気がした。
温かいあの温度にもう触れることはできないのだと、改めて感じる。
「蓮、私やっぱりまだ蓮のこと忘れたくないよ。忘れたくないよ。」
ぼろぼろとまた目から涙が溢れ出すのがわかった。
てで拭っても拭っても、次から次へと、止まらない。
ここに蓮がいた。
蓮に恋して、愛し合って、ヒカリが生まれて。
蓮は思い出なんかじゃない。
今でも蓮は私のすべてだ。
私と、ヒカリと。
そして、葵と。
すべては蓮がつないでくれた。
蓮、いまさら遅いかもしれないけど。
一度言っておきたかったことがある。
「……蓮、私を好きになってくれてありがとう」
ずっと愛してる。
笑った顔が好きだと言ってくれた。
だから、今の幸せな笑顔を彼に。
きっと蓮もあの笑顔で笑っていると思う。
太陽のようにまぶしい、あの笑顔で。




