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君が見つけた空  作者: にゃろめ
〜君の見つけた空〜
22/27

葵26歳 晩夏


「葵、こっち。早く!」


そう言って、振り返った彼女はまるで壮大な天井に描かれた天使のようだった。

俺は今、背中にその天使のさらに小さな天使を背負って長く続く階段を上っている。

場所はフィレンツェ、以前蓮と登ったクーポラの階段を今度は三人で。


「ちょっと待ってリク、早すぎ。体に障るから、もう少しペース落としてゆっくり行かないか?」


俺の背中で3歳になったばかりのヒカリは楽しそうにきょろきょろと周りを見渡しては背中で足をじたばたさせている。

俺の背中は二人分の体温でだいぶ汗が出てきていた。


「だって頂上までもう少しなんだもの!早く素敵な景色を見たいじゃない!」


こんなにはしゃいでいる李紅を見るのは久しぶりだ。

以前は毎日がこのテンションだったけれど、ヒカリが生まれてからは母親らしく少しはおとなしくなっていたのだが。


「景色は逃げたりしないよ。ここは時を止めた街なんだから」






昔から、自分を表現するのが苦手だった。

自己紹介なんてもってのほか、名前と生年月日、血液型くらいしか説明することが自分にはない。

特に人に自慢できるような趣味や特技があるわけでもなく、これといって好きなこと、嫌いなこともない。


だから俺の絵に抽象的なものがない。


写真のように綺麗にそこだけ写し取った、二次元の世界。

感情なんて曖昧なものの一切存在しない、無機質な世界。


「葵、いつからそんな絵が描けるようになったんだ?」


中学校に上がり美術の授業時間、俺の隣で俺のスケッチをじっくり覗き込む蓮が言う。

花瓶に入れられたヒマワリのスケッチだった。

ただそこにあるものの形を紙の上になぞっていくだけ。

上手も何も、簡単な作業だと思う。

蓮は本当に感心したといったように俺の絵を上から下まで舐めるように見ている。


「いつからって、そんなのわかるわけないだろ」

「いや、だってほら、葵の絵はさ本当に写真みたいにそのままだし。そういえば小学生の頃から、葵はクレヨンでよく絵を描いてたよな」


蓮はそういって指で長方形をつくると片目で覗き込んで見せた。

最近はまっていると言う写真を撮るときのポーズだ。


「それよりお前は何か描いたのか?何でもいいから描かないともうすぐ終わりのチャイムだぞ」


そういうと蓮は待ってましたと言わんばかりの顔で、こっちを向いて笑った。


「もう、描き終わってるんだ」


差し出してきたスケッチブックにはよくわからない形の、よくわからないものが描かれている。

ただ、なんとなく明るいイメージだけは伝わってくる。


「ちなみにタイトルは『俺』だ」


そう自信満々に言い切った蓮は惚れ惚れするように自身の絵を見つめていた。


「これのどこがお前なんだ?」


俺にはこの蓮の絵の良さがまったくわからなかった。

だけど、絵を先生に提出すると蓮の絵はよくできている、自分自身がわかってると、すごくほめられていた。

その代わり、題材のヒマワリの絵を書かなかったことで蓮は後日補修として居残りをさせられていたが……。


もちろん俺の絵も中学生にしては上手すぎると言われた程だが、俺はそれ以上言われたことがなかったのだ。

俺の絵を見た人はいつも口を揃えてこういう。


『葵の絵は写真みたい』だって。






乾いた夏。

それは俺が始めてこの地に足を踏み入れたときに思ったことだ。

クーポラの頂上は暖かい風と、この土地特有の土の匂いで溢れている。

一瞬強く横風がふき、リクの肩より少し長い髪を揺らした。


ここは本当に変わらない。


「葵」


さっきまではしゃいでいた李紅でさえ、この景色を見て何かを感じたのか。

いつのまにか古い赤石の壁に手を沿え、永遠と広がる赤い屋根を見つめている。


「写真で見たとおり。本当に変わらない。もう、何十年もこの景色がつづいているのね」


彼女の手には一枚の写真が握られている。

あれからもう5年も時が流れたのか。


「本当に……時を止めたみたいだ。ここには5年前の俺がまだ生きてる」



そして、あいつも。




先ほどまで俺の背中ではしゃいでいたヒカリがいつのまにかぐっすりと眠ってしまっていた。

こっちについてからというものヒカリは周りの世界が気になってしょうがなかったらしい。

昼寝の時間になっても寝れないほど元気にうごきまわっていたのだから当然だろう。

俺はゆっくりとヒカリを木製のベンチに寝かせタオルをかけた。


リクですら先ほどのテンションが嘘のように今は静かに広がる青と赤の交わりを眺めている。

俺はまぶしいくらいの太陽の光を浴びた彼女の横顔をこっそり盗み見た。


「5年前の私って、どんな感じだった?」

「今より少し元気な女の子だったよ」

「……今の私って、元気なさそうに見えるの?」

「いや、元気なさそうじゃなくて、落ち着いたっていうのか?大人になったってことかな」

「大人に?……蓮がここに居たらどんな大人だったのかな?」


蓮がここにいたら。

目を閉じるとアイツが隣に肩を並べる姿が思い浮かんだ。

そしてこういうんだ。

『また一緒にこれたな』



「……アイツは昔も今もずっと変わらない。なにせ小学生の頃から一切変わらなかったからな。今でもアイツはあの頃のままだよ」


そっか、李紅はそう小さくつぶやいて微笑んだ。

そしてそっと肩から下げたバックの中からあの小瓶を取り出す。


「リク」

「うん。考えたんだけど、こうするのが蓮にとっても、私にとっても一番いいのかもしれないって」


彼女がゆっくりとビンのコルクを抜き、広げた手のひらにそっと灰を落としていく。




その瞬間。




灰は手のひらに落ち着くことなく、風に乗った。

スローモーションのようにきらきらと光る金色の粒が俺たちの目の前に舞うように広がり、フィレンツェの町並みに広がるように消えてゆく。

それはひどく幻想的で。

少しだけ喉の奥に痛みが走った。


「蓮はね、この街で、フィレンツェでずっと生き続けるの。ずっとずっと」


李紅が前をまっすぐ前を見つめながら、そうつぶやくのを俺は聞き逃さなかった。






「本当はね」


唐突に口をあけた彼女はまっすぐ広がる青空に目を向けていた。

灰は全て青空に溶けた。

彼女の寂しそうな横顔が、どんどん歪んでいくようだった。


「本当は、葵の気持ちに最初から気づいてたの。

高校生のときから……葵と夜の学校の屋上で、星を見たときから。」


心臓が一瞬大きく跳ね上がる。


「でも、それを受け入れるだけの余裕が私にはなかった。葵を突き放す勇気も。だから、ここまでこんな風にきてしまった」


彼女は一瞬目線を下げる。

自分の手を見つめ、何かを考えるように。


「葵の気持ちに気がつかない振りして、私、葵に甘えていたの。蓮がいなくなったときも、ヒカリが生まれてからも。葵は私を見捨てないでくれる。私から居なくなったりしないって。……葵のこと利用してた。葵は、」




「それでも!……それでも、好きなんだ」



割って入った俺の声が、彼女の声をかき消したのが分かった。

今言わなくてはいけない、そう思った。

今言わなけれは、全てがなくなるような気がした。



「李紅が蓮のことを今でも愛していようが、俺のこと利用してようが、それでも俺は好きなんだ。それは今までも、今でも、これから先もずっと、変わらない」



赤いレンガの上に映える彼女の手に自分の手を重ねる。

白くて、細い小さな李紅の手。

何度もこの手を握って離したくない、そう思った。


だけど、その度にアイツの顔がちらついた。

嬉しそうに、そして残念そうに笑う。

そんなアイツの表情。



「リクと一緒にいたい」



一緒に居てくれ。



最後の言葉はしっかりと言葉にすることはできなかった。

風の音にかき消され、小さな俺の声彼女に届いたかどうかわからなかった。




「葵、俺カメラ買ったんだ」

中学三年生の冬、蓮が学校にデジタルカメラを持ってきた。

最近学校で、デジタルカメラが流行っている。

先生たちは中学生には高価すぎるそのカメラは学校では使用禁止だと主張するが、生徒側もだまっているはずもなく。

もうすぐで卒業なのだから思い出を写真としていっぱい残しておきたいと騒ぎ立てていた。


「お前も流行りにのりたいやつだったのか。まぁ、なんとなくわかってはいたけど」


得意げに真新しいカメラを俺のほうに向けてくる蓮をそういってあしらうと、葵は冷たいなぁ、などといいながらニコニコしながらフィルター越しに俺を見る。


「だって俺は蓮みたいに絵上手くないし、今しかない風景とか俺たちとか、形に残しておけないだろ?写真だったらその瞬間の俺たちが、どんな風に考えて、どんな風に楽しんでたのかって、そこまで未来まで残しておけるんだぜ。すごいだろ!!」


そういって窓際の机で頬杖をついた俺を、蓮は一枚の写真に収めた。

あとで見せてもらったが、そのときの俺は本当につまらなそうに窓の外を眺めていた。


『どんな風に考えて、どんな風に楽しんでたのか』


蓮の言葉が頭の中で反芻されていた。

なにも感じない、なにも考えない。

そこに映し出された俺は、まるで人形のように抜け殻だ。










一緒に居てくれ。

それは俺が心から願っていたことだ。

こんなに強く何かを思ったことはない。何かを欲したことはなかった。

小さな手を握る自分の手に力が入るのがわかった。


精一杯の一言だ。

何をどういえばいいのかわからない。

俺は自分自身を表現する術を知らなかった。

……いや、知ろうとしなかった。


何度もアイツは俺に学ぶチャンスをくれたはずだったのに。




「……葵、私ね、蓮のこと、忘れられないの」


うつむいた李紅から小さな声が聞こえた。


「わかってる」


「……蓮のこと、まだ好きなの」


「知ってる」


「……蓮と、もっと一緒に……ずっと、蓮の傍にいたかったの!」


大きな声で、細い肩を震わせてリクは叫んだ。

その丸い目からは大粒の涙が次々と溢れ出て、彼女の頬を一瞬にして流れ落ちる。

俺は周りの外国人観光客からリクを隠すように立ち、目から溢れる雫を指先ででふき取った。

……温かい、そう思った。



「俺もだよ」






アイツもこうなることを望んでいるような気がした。

リクを一人にすることをアイツが望むわけがない。

曖昧だが、確信的にそう思う。


一瞬、蓮の意地悪そうに笑う顔が浮かんだ。



また、アイツに怒られるな。



赤い煉瓦に二人の細い影が、ゆっくりと一つに重なった。



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