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君が見つけた空  作者: にゃろめ
〜君の見つけた空〜
20/27

葵23歳 初夏

大学を卒業して、あっという間だった。

毎日慣れないスーツで満員電車に揺られ体力を消耗し。

取引先との商談では無理やり作った笑みと、裏を読みあう会話術に精神を疲労する。

時間が流れる、という表現は正しい。

朝が来て出勤し、家に帰ってはご飯を食べて寝る。

その繰り返しでそれ以外の時間があまりにも少ない気がしていた。

学生の頃と変わりのないサイクルのようだが、背負っているものの大きさでこれだけ感じ方が違うなんて思ってもみなかった。



俺の卒業と同時に、李紅は学校を辞めた。

そして今は俺のアパートで同居している。

学校を中退する際に、リクの両親が実家に戻ることを強く望んでいたのだが彼女はそうしなかった。

なんとなく理由は分かっているのだが。



……あの場所にはアイツの思い出が多すぎる。




「今日はね、病院行ってきたの。順調だって。もうそろそろだろうって」

テーブルの上に並んだ二人分の食器。

それを持って立ち上がろうとしたリクを手で制して立ち上がる。

重ねた食器がぶつかり合い、カチャカチャと小さく音を立てた。

「そうか……」

彼女がテーブルの上に残された飲みかけのウーロン茶を飲み干して俺に手渡した。

「……男だからそうゆうのよくわからないけど、……怖くないのか?」

彼女は一瞬動きを止めた後、口元に笑みを浮かべる。

「急に何言うかと思ったら。女はね、母になると無敵になるの」

そう言って彼女は不敵に笑って見せた。

俺は何も言わず笑みだけ返してキッチンへ向かった。




この夏、リクは1人の母になる。



俺がその事実を知ったのは年が明けてすぐだった。

しかも彼女からではなく、リクの母親からの電話でだ。

どうにかリクを帰省させて、地元で子供を産むようにと説得を頼まれたのだ。

事情を知らなかった俺はずいぶん動転し、今はもう繋がるはずのないアイツの携帯へ電話をかけた。

感情のこもらない音声案内に、我に返ってまた思い知らされた。


何度もリクに連絡を取った。

直接会いにも行った。

1人で子供を産むということがどれだけ大変なことなのか俺は知らない。

だが、それがとてつもなく無謀なことくらいわかっている。

リクはそのたび俺の説得を聞いてはくれていたが、なかなか首を縦に振ろうとはしなかった。



リクが母親になる。

……そしてそこにアイツの姿はない。



本物にはなれなくても、……代わりくらいには。



「だったら俺と一緒に暮らさないか?」

俺がそう言った後の彼女の顔は今でもはっきりと覚えている。

青ざめたようにこちらを見たまま動かず、口は空いたまま。

正気に戻ってからは先ほどのやり取りが嘘のようにリクは実家に帰ると言い始めたのだ。

「葵さんには、迷惑をかけられない」

そう繰り返す、彼女は本気で困った顔をしていた。

でも、もう遅い。

一瞬にして頭の中を巡った計画は自分自身でも止められそうになかった。

「俺が、そうしたいんだ」

一言つぶやくと、リクは急に黙り込んだ。

ずいぶん長い時間そうしていたと思う。

ふいに彼女が小さな声でつぶやいた。

「そんなの……ずるい」


それはお互い様だ。




リクの家には2人で説明に行った。

初めて見たリクの父親は思ったよりも冷静で、淡々と話す俺の話を真剣に聞いていた。

そしてその隣に座った母親は両手で顔を覆ったままうつむいている。

長い沈黙の後、静かな声でリクの父親が口にしたのは一言だけだった。

「君が……代わりになる必要はない。……彼と、この娘の人生だ」


思っていたことを言い当てられて、思わず息を呑んだ。

アイツの代わり。

ずっとなりたいと思っていた。

卑怯だと言われても、無理だと言われても。

それを望んでいるのは俺だ。


彼女の両親を説得するため口にした言葉は、ほとんどリクへの告白だった。

俺の隣に座る彼女へできるだけ視線を送らないように努めた。

今、彼女の顔を見てしまったら……言葉が見つからなくなってしまいそうだったから。

最終的に首を縦に振ってもらえたが、今しばらくという形でだ。

単純な話ではない。

俺が非常識な話を持ち掛けたことはわかっている。

帰り際、こっそりとリクの父親に言葉を頂いた。

「……すまない、しばらく李紅を頼む」

彼女の両親もわかっていたのだ。

彼女の気持ちも、そして俺の想いも。




「名前はもう決めたのか?」

「うん。もう決めてあるの。ずっと前から」

キッチンから居間を覗くと彼女はテーブルの上の写真立てを見つめていた。

遠い記憶をたどるように。

その写真の中で笑みを浮かべる2人は、知っているが知らない2人だった。

「でもまだ葵には教えてあげない」

こちらを見て唇に指を立てて笑う。

俺はそんな彼女を横目で見て、また手の中で泡立っている食器達に目をむける。

「……きっと女の子」

彼女は風船のように大きく膨らんだお腹を優しくなでている。

その小さくて白い手がなぜか頭に焼きつくように残った。

「性別は聞いてないんだろ?」

「そう……でもこのお腹にいる子は女の子…誰かがそう言ってる気がするの」


誰か…と、彼女はそういった。

そんなの「誰か」じゃないだろ。

俺はそう思ったけれど口には出さずにそのまま言葉を飲み込んだ。

なぜだか口に出せない雰囲気だった。

静かな部屋に響く水音と食器の当たる音。

網戸を隔てた外からはこの町には珍しく虫の音が聞こえていた。




毎週日曜日には彼女と買い物に出た。

今日も駅前の商店街を二人で並んで歩く。

大きなショッピングモールまで行くには電車を利用しなければならなかったし、人の多いところはストレスになる。

一番近い駅前のスーパーまで散歩がてら買い物に行くのが日曜日の日課になっていた。

リクは一週間分の献立を書いたメモを見ながら何を買うというのを模索しているようだ。

「こうやってさ、買い物に行くの……夢、だったんだ」

唐突な彼女の開口。

俺の腕は野菜に手を伸ばしたまま宙をさ迷った。

「こうやって、一緒に買い物にね」

彼女は前を向いたまま続ける。

「晩御飯何にしようかな?とか、今日何が安いのかなって、考えながら買い物するの」

「……アイツとは、あんまり買い物とか行かなかったのか?」


少しためらった。

蓮の名前を出すのは。


「……蓮は外食が好きで、本当にいろんなところ食べ歩いたな。なんか昭和の食堂みたいなところとか、高級そうなフレンチレストランまで!!」

リクはあの日以来、一切蓮の名前を出さなかった。

俺もリクに気を使ったのか、それとも自分自身の保身のためか蓮の名前を彼女の前では出せずにいた。

「でもね、蓮ったら私が始めて作ってあげた料理にケチつけたのよ?もう作ってあげない!って、喧嘩になったの」

「アイツはそうゆうとこ気が利かないからな。デリカシーがないって言うか……」


蓮は思ってることはすぐ口に出してしまうタイプだった。

自分に正直というか。

俺はどちらかというと思ったことも自分の中で抑えてしまうタイプだ。


「葵は思ってても言わないよね」

「まぁ、それが優しさだと思ってるからな」

「本当、まるで正反対だね。蓮と葵って」

「そうだな」

リクは楽しそうに笑いながら次々とカゴに食材を入れていった。

カートを押す俺は帰りの荷物を想像して、苦笑する。

普段から営業やパソコンに向かう作業をしている俺には、明日筋肉痛で苦しむ自分の姿が見えている。

リクのゆったりとした足取りを追いながらカートを推し進めた。


正反対の蓮と俺は、まるで太陽と月の関係だ。

自らの力で光り輝く太陽と、太陽の輝きを借りて光る月。

太陽に憧れた月は太陽のまねごとをしてみる。

太陽が沈んだ夜のうち、少しだけ。

……なれるだろうか。

誰かを導く月明かりに。





それから数週間後の7月14日、李紅は以前言っていたとおりに元気な女の子を産んだ。





「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」

「何のこと?」

真っ白い病院のベットの上で小さな我が子の頭をそっとなでる彼女は何のことかわからないといったように返事を返した。

「なんのことって、その子のことだよ。名前、まだ教えてもらってない」

まだ目の開かないこの小さな命を俺はまだなんと呼べばいいのかわからない。

未だに信じられないのだ。

この両手に収まる人形にも見えるこの子が。

リクとあの蓮の半身だということが。

「そうだった?葵には教えたと思ってた」

彼女は本当に愛おしそうな顔でその子の頭をなで続けている。




『 ヒカリ 』




「片瀬 光。私の……私と蓮の希望の光」

リクが俺の手を引っ張る。

そしてその子の固く結ばれた親指サイズの手の平へ持っていく。

「ヒカリ、葵だよ。仲良くしてね」

初めて触れた小さな赤子はマシュマロのようにやわらかく、風船のように触れればすぐに壊れてしまいそうだった。

本当にこれが人間の手なのだろうか?


「ヒカリ……はじめまして、桐崎葵です」

少し恥ずかしくて、照れ笑いを隠すようにリクから顔をそらした。

なんとなくニヤニヤとこちらを見ている気がしたのだ。

俺は小さな手を指先で軽く握る。

説明のしようがないこの暖かさを、人は幸せと呼ぶのだろうか。

「ヒカリは太陽のように輝いて、誰もを導くような子になるんだろうな、きっと」


えっ?


俺が小さくつぶやくと、リクが驚いたようにこちらを見た。

「私もそう思う。……葵もそう思うの?」

「あぁ」


そう思う。

そうつぶやくと、リクは嬉しそうに目を細めて笑った。



「李紅、そろそろ休め。結構長い時間起きてるだろ。俺もちょっと買い物してくるから」

そう言うと彼女はベットに横になり、子供の顔をなでるようにして目を閉じた。

俺はそんな李紅を見届けてから静かに病室を出て、外に出た。

外は夏の始まりで、緑の葉が風に揺れてなびいていた。

太陽は俺の真上から暖かい光をそそいでいる。


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