高校2年 夏
熱い日差しと、騒がしい蝉の鳴き声、そして耳障りなシャッター音。
「葵、お前こんなに遊んでて作品の締め切りとか大丈夫なのかよ。」
今、俺の小学校からの親友で写真が趣味の水嶋蓮は、ベンチに座る俺の前で公園で遊ぶ子供たちにシャッターを切っている。
「大丈夫、もう出来上がってるんだ。それより日曜日に遊ぶときまでわざわざ写真取ることないだろう。早く行かないと、待ち合わせの時間に間に合わない。」
高校に入学して2年目の夏休み。
最近の俺たちは何もない日常が当たり前になっていた。
写真部の蓮と、美術部の俺。
休暇中の課題は夏休みが始まって3日間で蓮と二人図書館に通って終わらせた。
彼女もいなければ、出かける予定などまったくない二人で、毎日のように写真を撮ったり、絵を描いたり、ぐだぐだと夏を過ごしている。
「もう少し、待ってくれ。」
猫の毛のようなクセっ毛の髪の毛をふわふわとなびかせ、カメラをあちこちに向けている。
蓮は昔から夢中になると周りを忘れる癖がある。
はぁ、と俺は小さなため息をつくと空を見上げた。
流れるような白い雲が乗っかった綺麗な青空だった。
透きとおった青さ、何色の「青色」を使えばこんな色が出せるのだろうか、と心のどこかで考えている俺がいた。
「空」は俺が一番好きな題材で、青い空、赤い空、灰色の空、夜の空、どの空も俺は好きだ。
空を描いた作品だけのスケッチブックを作ったくらいに。
「蓮、いい加減にしろよ。晃たち待たせてるんだから。」
今日は高校は違うが、幼馴染の晃と会う約束をしていた。
暑さが身にしみてきた頃、ついに我慢ができなくなった俺はついにベンチから立ち上がり、先ほどまで蓮がいた場所を見る。
相変わらず小学生低学年くらいの子供たちがボールで遊んでいるのだが、その俺が見つめる方向に蓮の姿は見つからなかった。
「れん?」
公園内を一通り歩いて回ってみたが、どこにもアイツは見当たらない。
蝉の鳴き声が先ほどよりも激しく耳に響き渡っている。
俺はそんな耳障りな音をわずらわしく思いながらポケットの携帯電話を取り出し、「水嶋 蓮」という名前を検索した。
何度目のコールだろうか。
もう3回は電話をかけているのに、小さな機械の奥から聞こえるのは
「電波の届かないところにあるか、電源が入っていないためかかりません」
という感情のない声だけだった。
時刻は待ち合わせ時間をもうとっくに過ぎている。
俺は諦めて待ち合わせしていた晃の携帯番号に電話をし、今日遊べなくなった、と一言だけ連絡した。
晃は俺の抑揚のない声に状況を多少なりとも理解したらしい。
また今度みんなで遊びに行こう、と誘ってくれた。
俺は、アイツどこいったんだ?と独り言のようにつぶやきながら公園を出て、とにかく蓮の行きそうなところを歩き回る。
蓮と幼馴染の晃と俺は小学生のころからよく一緒に遊んでいた。
そして俺たちはよくアイツに振り回されていた。
だいたい蓮が遊びの企画をし、俺たちが付き合う。
そして何かあると大体逃げ足の遅い俺が捕まって怒られるという役回りだった。
そのスタンスは高校生になった今でも変わらない。
呆れるくらい自由気ままなネコのようなやつだから、きっといつものようにどこかで写真を撮ることに夢中になっているのだろう。
だんだん頭が痛くなってきたような気がする。
きっと、この射るような太陽を浴びているからだろう。
あぁ、もう帰りたい。
いつの間にか俺は河原沿いを歩いていた。
ここはアイツがいつも写真を撮っている場所だった。
ここを流れる水はこの街にしてはとても澄んでいて、晴れた日に来ると水が青空を反射してキラキラ光る。
川を流れる水の音が、この真夏の暑さを和らいでくれるような気がする。
あぁ、画材持って来ればよかったと少しだけ思う。
俺はそんなに真面目な部員ではないため、2年生になってからはほとんど部活動には顔を出していない。
ただ趣味で絵を描きに出かけ、そこで作品を仕上げる。
コンクールに出品するときでさえ、今まで書いてきたものを何枚か先生に見せて一番よいものを出品するというような形式をとっていた。
どのくらいそうして上を見上げていたのだろうか、首が痛くなるほど俺は空を仰いでいたらしい。
そう考えると俺は、なんだか急に恥ずかしくなって急いでそこから立ち去った。
結局、今日は家に帰るまで蓮とは連絡が取れないで一日が終わってしまった。
「あぁ、ごめん。夢中になりすぎて忘れてた。」
と平然と言われたときには携帯を投げ捨てるくらいの怒りがこみ上げてきたのだが。
短かった夏休みも終わりを迎えた。
新学期が始まった今日。俺は蓮と二人で教室の放課後に残っている。
そして5時をゆうに過ぎたころ、俺はコンクール用に書いた絵を部室に置きに行くのを忘れてたことに気付いた。
「俺、美術部いってコンクール用の絵を置いてくるから。」
そういって、俺は放課後の学校の廊下を歩いていた。
部活棟は旧校舎にあり、その中でも美術部の部室は3階にある。
俺は大きな絵を横脇に抱えて、3階までの階段を登った。
この階段を最後に登ったのは1年生の終わり頃だった気がする。
俺はそんなことを懐かしく思いながら、一段一段階段を登る足に力を入れた。
3階の美術部部室の扉は開けられたままだった。
顔だけ扉の隙間から出して部屋をのぞくと、中には誰もいない。
生徒はそろそろ下校の時間だったからだろう。
誰もいない美術室は絵の具や石膏のにおいがしてなんだかひんやりと冷たい感じがした。
俺はそのまま中に入り、壁際の壁に持っていた絵を立てかける。
コンクール間近とあって様々な大きさの絵が立てかけられていて、俺はその生徒の未完成の作品をゆっくりと観覧して歩く。
いかにもタイトルらしいタイトルがたくさん並び、それを見ながら俺は自分の描いた作品と比べてみる。
今期のコンクールの課題は「青」という抽象的な出題だった。
色とりどりの青がずらりと並び、空や海、水といったものがモチーフになった作品が多いようだった。
そして俺はそのたくさんの絵の中に、一つだけ大きく布をかけられた作品があるのを見つけたのだ。
見るなといわれれば見たくなる、不自然に隠されたその作品は俺の興味を一気に掻き立てた。
そっとその絵に近づき、ゆっくりとその上にかけられていた布を取りさる。
「なんだよこれ。」
それしか言葉が見つからなかった。
タイトルは「青い空」。
そこにあったのは見覚えのある空の色と景色そして、何だか知ったような少年。
そう、まさに蓮を探していたあのときの空、あのときの場所、そしてあのときの俺の姿だ。
なぜ、こんな絵が。
「あぁ、見つかっちゃいましたか。」
急に後で声が聞こえ、俺は一瞬体をゆすり、振り返った。
扉の前に立っていたのは顔に青い絵の具をつけた、見知らない少女だった。