大学4年 冬 【黄昏】
大学生活で4度目の冬。
そして自由の利く学生でいられる最後の冬でもある
もう何度も繰り返してきたはずなのに、今年の冬はいつになく寂しく感じてしまうのはそのせいなのか
両親には何度も電話で「帰って来い」といわれているのだが、帰る気にならなかった。
今実家には両親と姉がいる。
つい先週、子供が生まれた姉が実家に一時帰宅していた。
甥っ子に会ってみたいという好奇心もあるのだが、なんとなく気になることがあるのだ
今日は夕方からという比較的早い時間からの飲み会に参加した。
参加メンバーは、大学の選考を共にしてきた仲間達だ。
実は自分がこう言う飲み会に参加するのは珍しい。
大学生になってからは学校では比較的おとなしく生活していたし、レイナとリクと一緒にいることが多かったので誘われることが少なかったのだ。
それが、最近レイナとも少しだけ関係が変わって一緒にいることが少なく、リクも…。
他の奴から言わせると、隙ができた、らしい。
こういったわけで、こんな俺にもお誘いの旗が回ってきたというわけだ。
最初は男性6人ほどの小規模なものだったのだが、いつの間にかその席に女性も入って10名以上の大所帯になっていた。
慣れない俺は目立たないようにできるだけ壁側によって観察をしていた。
「そういえば桐崎くんは、あのイタリア人の彼女と別れたの?」
飲み開始から1時間くらいたったころだろうか。
静かに観察を繰り返していた俺にお声がかかった。
講義で見かけたことはあるが、名前は知らない。
いきなり名前を呼ばれて少し驚いた。
「いや…。」
「じゃあ、あの小さい後輩の子も?」
「…。」
「最近一緒にいないからそうだと思ったのに。」
残念、と聞こえないように言ったつもりなのか実ははっきりと聞こえていた。
そもそも、レイナとは彼氏彼女という明確な関係ではなかった、としか説明のしようがない。
どう説明しても他の人には理解しがたいものらしい。
そして意外と周りにはリクも目に留まっていたらしい。
リクとは、ここ数か月まったく連絡が取れない。
あの日から、リクの様子がおかしいことには気が付いていたのだ。
いつも微笑んでいた彼女の涙なんて初めてのことだった。
もちろん理由は気になったが、それと同時に聞きたくないとも思ってしまった。
彼女が悲しむ原因なんて、一つくらいしか思いつかなかったから。
『彼女をいやすことが優先。』
なんてかっこいいこと言ったものの、本当は自分が傷つきたくなかっただけなのだ。
自分の弱さが、心底憎らしい。
「桐崎くん、次の二次会いくよね?カラオケって言ってたよ。」
いつの間にか二次会の場所も決まり移動が始まったらしかった。
ぼうっとしている間に先ほどから隣で話しかけてくる女の子が俺の腕を引っ張り上げている。
リクよりも少し長い巻き毛の髪と、香水の甘い香りが印象的な子だった。
「いや、俺はここで帰るよ。」
自分の腕からできるだけ優しく腕を外してあげると彼女は困ったようにじゃあ、と言ってみんなの後を追う。
俺も幹事に会費だけ渡して他の人に声もかけず、自宅方向へと足を進めた。
来てみて分かったが、やっぱり俺はこうゆうのは得意じゃない、
みんなで騒いで、飲んで。
さっきの誘ってくれた彼女にも悪いと思ったが、ノリが悪くてその場の空気を悪くするよりはましだろう。
空気は張り詰めたように冷たい。
さっきまでアルコールで温まっていた体も一瞬にして体温を奪われていくようだ。
すれ違う人々を横目に見ながら、頭には一つのことがぐるぐるとめぐっている。
真っ暗な空には灰色の雲がうっすらとかかっているのが見える。
まるで今の俺みたいだな、なんて感傷的になるのもしょうがないと言い聞かせた。
“お掛けになった電話番号は、現在使用されていないか、電源が入っていないためかかりません。”
何度目のコールだろう。
そのたびに聞こえてくるのは感情の入っていない機械的な女性の声だけだ。
歩きながらリダイヤルでかけてみた。
蓮にも何度か連絡してみたが、同じ状態だった。
2人と連絡が取れなくなることは、今までになかったことでどうしていいのかわからない。
俺の口から白い息がこぼれる。
空に向かって伸びる白い靄を俺はそのままたどった。
それが、よりいっそう寒さを感じさせた。
家についた時には辺りはすでに真っ暗で、アパートの階段のところにはうっすらと電気がついていた。
俺は郵便受けに入っている広告をまとめて取り出し、テーブルの上においた。
電気をつけたばかりの部屋の中はまだ少し薄暗い。
俺は暖房のスイッチをオンにし、温まるまで自分の手に息を吹きかけて暖める。
外では雨が降り始めたらしく、雨だれの音が部屋の中に聞こえてきた。
小腹がすいて冷蔵庫を開けてみたが、水しか入っていなかった。
そういえば、買い物をしようとコンビニに寄ったはずだったのに。
いろいろ考えているうちに何も買わずにコンビニを後にしてしまった。
なんて間抜けなことを、と蓮がいたら腹を抱えて笑っているだろう。
その隣で、両手で口を押えて笑うリクの姿も見えたような気がした。
一日くらいなんとかなるだろう。
とりあえず諦めて水のペットボトルを開ける。
そしてそのままテーブルの上におきっぱなしにしていた広告を手に取った。
いつもはあまり見ることのないもの。
またいつもの勧誘や、どこかのチラシだろう。
ぼうっとした頭でなんとなく手に取った。
持ち上がると同時に、見慣れない茶色い封筒が俺の足元へとスローモーションのように落ちた。
『桐崎 葵 様』
綺麗な文字で書かれた変哲のない茶色い封筒。
なんだかその文字には見覚えがあった。
曖昧な記憶を辿りながら俺はその封筒を拾い上げ、裏を見る。
思いもよらない人からの差出。
確かにこの文字は知っている。
ただし、いつも見ていたのはこんなに丁寧に書かれたものではなく、もっと乱雑に書かれたものだ。
そして久しくその文字を見ることはなかった。
それもそのはずだ。
アイツと会うのも年に数回のことになっていたのだから。
その名前はかすれるくらい小さな音で吐き出された。
「れん?」
蓮から手紙をもらったのは、これが初めてだった。
いつも何かあると電話ですぐに呼び出されたし。
事前の約束事が必要なときはメールでやり取りをしていた。
俺の手元で絶大な存在感を放っているその手紙を、俺はじっと見つめた。
部屋の中には窓の外で雫の落ちる音と、換気扇の音だけが響いている。
ゆっくりと糊付けされた封をはがす。
親から受け継いだAという血液型はこんな細かい作業のときに発揮されるようだ。
綺麗にはがされた封筒には、うっすらとしわのよった真っ白い紙が入っていた。
その厚さからすればきっと一枚きりの紙だろう。
俺はまた水を一口、口へ運んだ。
プルルルル。
静かな空間に鳴り響く携帯音。
蓮からの手紙を開こうとした瞬間だった。
ポケットに入っていた携帯が着信とともに震えだし聞きなれたメロディーを奏でる。
心臓をつかまれたように心拍数を上げていた。
額にしんわりと汗がにじんでくるのが分かった。
手紙をおき、鳴り続ける携帯のディスプレイを見る。
そしてそこに記されている名前を目にした俺は、すぐさま電話に耳をよせた。
「りく!!」
「あお、い、さん。」
俺の言葉をさえぎる、久しぶりにきいた彼女の声は小さい。
電話の奥はしんとしていて、周りの音が一切しないようだった。
「アオイさん…。」
明らかに様子がおかしい彼女の声は、小さいうえに震えていた。
とっさにあの海での彼女の姿を思い出した。
途切れ途切れで聞き取りづらいの李紅の話し声、俺は口を閉ざして彼女の口から次に出てくる言葉をじっと待った。
相変わらず、電話の奥は無音に近い。
こちら側の時計が病身を刻む音だけが頭の中で回っていた。
「蓮が…。」
永遠ともとれる時の流れがそこにある。
やっと出てきた彼女の続きの言葉は、本当の意味で俺に永遠を刻むことになるとは思わなかったのだ。
耳の奥で繰り返される彼女の声は、理解が追い付かずにそのままだ。
アルコールのせいでもあるのだろうか。耳鳴りが聞こえる。
しばらくしてから電話が切れていたのだと分かった。
ふと手元を見るといつの間に用意したのか、広告の白い面に聞き覚えのある病院の名前が書いてあった。
見慣れた、小さな文字だった。
いや、まさか、冗談だろ。
レン。
れん。
レンガ、死ンダ?




