美大1年 初秋
丁寧に引かれていく線。
一本一本、空間を埋めるような作業を俺は続ける。
画用紙の上に乗せられたその様々な種類の線は、時間をかけて紡がれ一つの作品になる。
「アオイ、綺麗に描けてる?ちゃんと私が満足するように美人に描いてね。」
「わかってる。」
今日の課題は人物画。
二人組みになって絵を描く授業で、俺はレイナと組んで絵を描いた。
別に相手は誰でもよかったのだが、レイナがどうしてもと譲らなかった。
小さな個別の作業部屋で、先ほどから綺麗に描いてとねだってくるレイナに、俺は散々適当な返事を繰り返す。
「ねぇ、アオイはなんでここに、この美大に入ろうと思ったの?」
唐突な質問は彼女の得意分野だ。
毎回予測不可能な質問を俺に吹っかけてくる。
俺は白黒のレイナの大きな瞳にまた一本線を入れた。
「特に理由なんてないんだ。ただ絵を描きたかったから、この大学が一番有名で、近くだったってだけだよ。」
「そうなの。私はね、一度日本に来て見たかった。美大の中で一番素敵だったの、ここが。」
同じ態勢が苦しくなってきたのか、小刻みに揺れている。
早く書き上げてあげたいのだが、綺麗に描けなんて言われると微調整で時間がかかってしまうのだ。
「ねえ、もしかして、私たち運命の赤い糸で繋がれてるのかもしれないわね。」
「赤い糸って、レイナと俺が?」
「そう、私とアオイ。」
「赤い糸なんて話、レイナの国にもあるんだな。」
「いいえ、日本に来て知ったのよ。なんだかロマンチックな話でしょ?」
そう言って彼女は柔らかく微笑む。
その笑顔はなんだかとてもまぶしくて、俺は少しだけ目を細めた。
…本当に彼女は整っている、彼女の唇に線を入れながら思う。
「アオイは私のこと嫌い?」
彼女の目に鉛筆を持っていったあたりで手が止まってしまった。
彼女のグレーの瞳がまっすぐ俺を見ているから。
二人きりの作業場に感じるレイナの熱。
俺はどうすることもできず彼女の瞳に吸い込まれた。
「嫌い、じゃないよ。」
色のない彼女はどこか冷めたように俺の目の前に存在していた。
まっすぐ俺に向けられる視線、それがどこか突き刺さるように感じる。
その四つの目は俺の全てを見透かすかのような錯覚を覚えさせた。
『実家』
バイトが終わり、電車に乗り込んだ時だった。
マナーモードにしていた携帯が震え、ディスプレイに表示された名前に肩が揺れた。
俺はしばらく画面を凝視していたが、出ないでいるとコールが切れた。
実家から電話がかかってきたことなど、携帯を持ち始めた当初から数えるくらいしかなかった。
現在実家には俺の父、母。
そして俺の大学入学とともに海外へ行っていた姉が帰国して三人で住んでいるはずだ。
その中で電話をかけてくる可能性が一番あるのは姉だろう。
しかしその姉とも歳が離れているせいか、あまり連絡を取ると言うことはなかった。
基本的に自由な家族なのだ。
いろいろ考えを巡らせているうちに降りる駅についてしまった。
街灯の少なめな道を歩く。
真っ暗な空には細い三日月が浮かんでいて、ニヤけた口元のような形をしていた。
携帯を握りしめた左手は少し汗ばんでいて、気になってしょうがない。
「…かけて、みる、か。」
足を止めてリダイヤルボタンを押す。
わずかな沈黙の後に呼び出し音が響く。
1秒、2秒、3秒。
自分からかけておいて、このまま誰も出なければいいなんて思う。
そうしたら俺はしょうがないなと、このまま電話の電源を切っておけるのだ。
プッ、とコール音が途切れて一瞬の沈黙が訪れた。
『葵?久しぶり。あたし。』
聞き覚えのある女性にしてはハスキーな声。
やっぱり、先ほどの電話は姉からだったようだ。
もう2,3年会っていなかったはずなのに、予想よりも気さくに話しかけられて戸惑う。
『元気だった?確か美大に入学したんだったよね?』
「あぁ、案外一人でもちゃんとやってる。姉さんこそ、アメリカから帰国してこっちで何してんの?」
姉は高校2年の頃にアメリカに海外留学をしていた。
卒業してからもそのままアメリカで就職して働いていると母から聞いていたのだけれども。
『それがね、ちょっと結婚することになってさ。』
…ちょっと、で結婚?
『相手がさ、日本商社のNY支部を担当しているキャリアの人でね。
もうなんていうの?一目ぼれ?
出会ったときにね、あたしこの人と結婚するんだろうなってわかっちゃって。相手の方もそうだったみたいで。あれよあれよと。なんか赤い糸的なものって本当に存在してるのかも?』
永遠と続きそうな姉の話の展開になかなかついていけない。
わたしたち、赤い糸で繋がれてるのかもしれないわね。
かろうじて聞き取れた、「赤い糸」の話で急にレイナの顔を思い出した。
風が冷たくなってきていた。
もう秋に差し掛かっている。お昼の暖かさはなくなって、急激な冷え込みに鳥肌が立った。
姉の話を聞きつつ歩き始める。
話の内容はほとんどが惚気話のようだった。
『ってことで、来年の6月6日よろしくね。』
「あ、ごめん。何?もう一回。」
『やだぁ、聞いてなかったの?だから来年の6月6日。グアムで結婚式あげるんだってば。顔合わせとか、結納とかは大丈夫だから結婚式だけは来てね。』
よろしく、と一言添えて姉は電話を切ったようだ。
嵐のような電話の終了に、俺は一息つく。
久々に会話をしたと思えば、これ。
本当に自分は姉とは似ていないと思う。
行動力抜群で、自分の言いたいことははっきりという姉。
人見知りで基本的にインドア、自分の言いたいこともはっきりと言えない俺。
あまりにも対照的で思わず笑ってしまった。
来年の6月。
半年以上もあるのでなんだか忘れてしまうような気がしている。
秋風の冷たい中速足で歩いて帰宅した。
自宅のアパートには電気がついていて、俺は急いで玄関の扉に手をかける。
「アオイ、おかえり。食事にしましょう。」
扉を開けるとキッチンに立つレイナの姿。
小さな1Kのアパートはレイナが入るとどうしても違和感を感じてしまう。
最近、レイナは俺のアパートに出入りするようになった。
バイトがある日は帰るとこうしてご飯を作ってくれたりしている。
「あぁ、ありがとう。」
肉じゃがにほうれん草のお浸し。
最近日本食の料理の勉強をしているらしい。
最初の頃は醤油がしょっぱいと苦手な様子だったが、今では醤油をつかった料理までマスターしている。
「なぁに?アオイ、今日機嫌良さそう。」
茶碗にご飯を盛りながらレイナがこちらを見る。
「いや、さっき姉さんから電話があって。」
「へぇ、アオイにお姉さんがいたの。」
「そう。」
レイナがアオイは一人っ子だと思ってた、などと小さくつぶやいている。
確かに、歳が離れているので姉から見てもお互い一人っ子みたいなものだ。
「姉さんが結婚するらしい。しかもその相手とは赤い糸で結ばれるんだとか。」
「赤い糸の相手!!」
レイナが急にキラキラと大きな瞳を輝かせてこちらを見る。
「やっぱり赤い糸の話って本当なのね!すごい!!」
「本当かどうかはわからないさ。」
「私のを手繰り寄せたら、アオイが釣られてこないかしら?」
「人を魚みたいに扱うの、やめてくれ。」
レイナは自分の左手を見つめながらそんなことを言っていた。
運命とか、赤い糸とか、正直俺はそんなに信じていない。
レイナは前世の相手だとか、これは運命だとかロマンチックなのが好きみたいだけれど。
レイナの乙女思考は尽きることがないらしい。
またいろいろ話し始めた彼女の話に適度に相槌を打ちながら部屋を片づける。
「私たちが、現代に生まれてくる確率はまさに奇跡なのよ。そしたら、またその中で私たち二人が出会ったこともさらに奇跡が重なって。これが運命といわずになんと呼ぶのよ。」
私たちが出会った奇跡。
確かにそうだな、と小さくつぶやく。
レイナや蓮、そして李紅と出会ったこともまさに奇跡。
そういわれると、自分も赤い糸や運命を少しは信じてもいいような気がした。
「さぁ、アオイ。私たちの出会いを祝して。」
「あぁ。」
『いただきます。』
二人の手を合わせた音が部屋に小さく響いた。




