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第一章

第一章 「力の目覚め」


 目を覚ました光は、時計へ視線を向ける。

(……ん、丁度良いな)

 もう一分程で授業終了のチャイムが鳴るはずだ。

 そう考えている間にも、教師は授業を打ち切り、日直に合図を送る。

「起立!」

 日直の声と同時に起立と、礼を行った後に、再び着席。周囲が立つのに遅れないよう、それでいて早すぎぬように立ち上がるのがコツだ。

 ――眠い。

 それもそのはずだ。昨晩は日付が変わるまでTVゲームをしていたのだ。授業中に、不足してしまった睡眠を補うと言うのはある意味仕方がない行為である。それに、今の授業は古文なのだ。現代ではまず使われない 言語なのだから聞き流したとしても問題はあるまい。

 公立波北高校の一年生、火蒼 光。

 運動神経は低く、社会が苦手。その代わりに数学や理科が割と得意で、ゲームやインターネットを趣味とする。誰が見ても完全なインドア派の高校生だ。

「はぁ、やっと終わったか」

 溜め息混じりに目の前の席に座っている親友、矢崎 修が呟く。彼とは小学校からの付き合いになる。

 なんと、修は一人暮らしをしている。親はいるのだが、忙しいのだ。毎月生活費を仕送る以外にほとんど交流はないとの事。

 確か、記憶が正しければ修の両親はかなりの事業家である。本来ならばもっと上質な高校へ入ってるはずの人間なのだが、修はそんな両親をあまり良く思っていないようだ。

 そのせいで、中学卒業と同時に引っ越す両親に従わず、現在はマンションで暮らしている。その時の口論に、光は一度遭遇した事があるが、それはそれは凄まじいものだった。

「ああ、そうだな、次なんだっけか?」

 眠そうにあくびをしながら修に問う。

「英語だっけ?」

「聞き返すなよ」

 成績優秀そうな名前を持っている割に実際の成績は下の中ぐらいだ。

 大きな事業家である両親は、修の成績に関して厳しい態度を取り、何度も修を叱っていた。無論、それは逆効果で、修は一層勉強をしなくなって行ったのだ。修は修で、親の理想とする人物像は自分の望むものではないと断固として言い張った。

 結果、半ば家出の状態で現在に至る。

 昔の修は、そう言った経歴のために、小学校、中学校と、少し浮いた存在であった。

 そんな修とまともな会話が出来たのは、光ぐらいだった。

 光も当時は身体が弱く、まともな友人はいなかった。

 運動神経が鈍いのは、身体が弱かったために運動があまり出来ず、そのために運動が下手になっていく、と言う悪循環のせいでもある。

 その影響で、スポーツはするのも見るのも嫌いだ。

 自分のバッグから時間割の表を取り出し、次の授業が何かを確認した。

「社会だとさ」

 修にそう答えて次の授業の教科書等、授業に必要なものを取り出す。

「また寝られるな」

 小さく呟く。

「社会か……」

 修は何かと雑学知識を持っている。特に社会の歴史関係において、光にとっては――いや、ほとんどの他の人にとっても――知らなくてもいい事を多く記憶している。

 修は光とは逆に、社会の歴史と国語を得意とし、理科や数学を苦手としている。しかし、趣味は読書やコンピュータと言う、光と同様にインドア派。修の雑学知識には、趣味である読書が大きく関係している。小説等のものだけでなく、他にもいろいろ持っているようだ。

「政経だしなぁ」

 修が呟く。

 ここ、波北高校では、一学年は全員共通で政治経済を学習する事になっているため、歴史の好きな修にはあまり興味のない分野だ。

「俺は寝るけどな」

 さっきの古文で四時限目が終わった。次の社会が終われば清掃の後に下校になる。この公立波北高校は一応進学校の部類に入る。一時限六十五分授業で一日5時限とする時間割が組まれており、昼食は三時限目と四時限目にある。進学率はそれなりに高い。部活は全て平凡で、特に入りたい部活もなかった二人は帰宅部に在籍している。

 因みに私服校だ。そのため、鞄も各自で用意している。

「よく入学できたな、そんな態度で」

 半ば呆れたような笑顔で修が言う。

「お前に言われたくねぇな」

 同じような表情で修に言葉を返す。

「そうだろう、そうだろう」

 修は自分の成績が悪い事を自慢できる数少ない人間である。小学校の頃から性格はあまり変わっている様子はない。提出物は毎回出さず――出さないと言うよりはやっていないから出せないのである――、小学校五年の時の夏休みの宿題すらまだやっていない程だ。それにもかかわらず、進学校にいるのは、光の半ば強引な説得と、勉強の手伝いの賜物だ。かなりの苦労だったが、提出物をやらないのはまだ完全に直っていない。

「てか、お前、今日提出のアンケート持ってきてるか?」

「む…」

 修が急に押し黙る。

 やれやれと首を振りながら溜め息をつく。光は提出物関係には敏感で、出されたものはしっかりこなす。例えば、週末に出される数学と英語の課題プリント等である。配られてから下校になるまでに課題プリントに手をつける等、ちょっとした裏技は使っているものの、それでも提出しなかった事は一度もない。たまに、学校にいる間に課題を終わらせてしまう事があるが、それはそれで良い。

「まぁ、こういうのは最終的な期限には全部集まるように余裕を持って期限作ってるから一日ぐらい大丈夫だとは思うけどさ・・」

 光が一応フォローを入れる。

「なら、まだ大丈夫な訳だ」

 開き直る修を光が教科書で叩く。

「そう余裕持ってるからこそ、早く出せっつーの」

「余裕の分はちゃんと使ってやんなきゃ」

 微笑んで言う修に今度は角をぶつける。コツッと小さく音がした。

「痛い」

 修が率直な感想を口に出す。

「いい加減に出せや」

 引き攣った笑顔で光が修に言い聞かせる。

「憶えてたら明日出す」

「憶えて無くても出せよ」

 なんとか了承した修に追い撃ちをかける。そうでもしておかなければ出さないのだ。それで単位落としたら修が後輩になってしまう。

「流石にそりゃ無理でしょ」

 数分会話していると、すぐに教師が入って来た。眼鏡をかけたおっとりしている印象を与える社会の担当教師は授業中に指名する事が無く、寝ていても文句は言わない上に成績の評定には寝ている事が影響しないと言う、とてもありがたい教師だ。

 授業の半分程を寝て過ごし、起きた時点で黒板に書かれている文字をノートにある程度写して再度眠る、と言うのが光の授業パターンだ。授業終了前に目を覚まし、新しく黒板に書かれている文章をノートに写した。こうして社会の授業は光にとっては、主に体力回復に使われている。

 授業が終わると次は掃除だ。それを手早く済ませ、荷物をまとめて生徒昇降口へと向かった。

「んじゃ、帰るか」

「おう」

 先に昇降口で待っていた修と合流し、帰路に着く。家が近いと言うわけではなく、修の帰路の途中に光の家があるのだ。そのお陰で帰る時はほとんど修と一緒になる。

 家までの距離は、余裕を持っても徒歩で十分程度。学校から二・三分程で橋を渡り、サイクリングロードに差し掛かった。脇には川が流れ、対岸の道路とサイクリングロードは川よりも高い位置にあり、橋で繋がれているのだ。光と修が帰る時間帯には全くといって言い程人影の見当たらない落ち着いた場所だ。

 そこから更に歩き、数分で両者の家に辿り着く。

「あ、今度お前ん家寄っていい?」

 そのサイクリングロード辺りを歩いている時に修が訊いてきた。

「ん、いいよ」

 恐らくこの前買ったゲームをやりたいのだろう。兄弟のいる光は、コントローラーが二つあるため、二人同時プレイが出来るのだ。

 また、修が一人暮らしのために、ゲームを買う程の金がないというのも理由の一つだ。もっとも、古本を買ったりしているために金欠になっていると言う事情もあるのだが。

「おっと、ここまでだ」

 サイクリングロードの途中の脇道の前で立ち止まる。丁度、光の家と修の家との分岐点だ。

「じゃ、また明日な」

「おう、また明日」

 小さく手を振って光は脇道に逸れた。そこから家までは百メートル程度だ。修の家はもう少し離れた場所にあるが、光の家からそう遠くではない。


「ただいまー」

 家に入り、そう告げて靴を脱ぐ。まずは荷物を降ろすために二階の自分の部屋に向かい、バッグをそこに置くと、一階に戻り、手洗いやうがいを済ませる。光の通う波北高校は制服のない私服校のため、着替えると言う行動をしなくて済む。そうして二階に戻り、一番奥の部屋に入る。

「よぉ」

 そこでは制服を着た自分の兄、晃が先にゲームをやっていた。

 晃は光と同じ高校に通ってはいない。本来は同じ高校を目指していたのだが、中三の時に成績があまり伸びず、ワンランク下の高校に受験し、入学したのである。

 実は、光が今の高校に入ろうと思った動機の中に、兄より上を行きたい、と言うものも含まれていた。

「制服ぐらい脱げよ」

 晃がゲームをしている事で、光は同じ部屋に設置されているノートパソコンを立ち上げた。最近ネットでダウンロードしてきたゲームを進めようと考えての事だ。

 これが、先に光がゲームをしていると、逆の立場になる。晃がパソコンを立ち上げて使うのだ。

「面倒」

 晃は一言で片付ける。いつものことなのだが。

「あ〜、学校爆発しねぇかな〜」

 無茶苦茶言ったものである。これも誰しも一度は考えた事があるのではないだろうか。学校は休みたい、しかし、授業で他の生徒に遅れたくもない。そうなると、学校が爆発してしばらく休みになるというのは、その両方を満たしてくれる良い選択肢だ。まぁ、実現は限りなくゼロに近いのだが。

 家について一息ついていると、学校での疲れからそんな事を口走ってしまう事がある。

「そうだなぁ、全てが思い通りに行けばいいのにな」

 これも恐らく誰もが抱いている思いだろう。だが、世界はそう都合よく出来ていない。それに、全てが思い通りに行ったらつまらない事もあるだろう。それでも、何か不満がある時は、ついつい考えてしまう。

 晃も良く同じ事を言う。そして、その時は同意するような答えを光が言う。

「なぁ、兄貴」

 ふと、晃が進めているゲーム画面に視線を落とした光が口を開いた。

「ん〜?」

 テレビ画面から視線を外さずに答える晃。その画面には、魔法を唱えているキャラクターが映っていた。

「人知を超えた力って欲しくねぇ?」

 晃に質問をぶつけてみる。画面内のキャラクターは、敵キャラクターに雷を落としていた。

「欲しいな」

 晃はこういう質問には即答する。

 どこかの物語の主人公のように、何か凄まじい力を手に入れたいと思う事は誰しもあるだろう。無論、光も欲しいと思う。手に入ったらどうするか、それは生活に役立てたいと思う。実際そうなったらどうするかはなってみなければ判らないのが正直なところなのだが。

 光と晃の両親は幼い頃に死亡しており、父親の弟である孝二が光達を引き取って育てていた。給料の丁度いい仕事に就いているらしく、金回りはそこそこ良い。しかし良すぎもせず、丁度良い――言い換えればどちらとも言えない――適度な生活をしていた。

 しばらくして、玄関が開く音と共に、孝二が帰ってくる。

 夕食を食べ、寝るまでの時間は適当に過ごす。

 似たような毎日だったが、嫌ではない。同じように過ごしても、授業は進んでいくし、ゲームも進められる。年月も同じように流れ、新しくゲームが発売されたり、科学的な大発見があったり、周囲はゆっくりと動いていく。

 だが、時には紛争や事件等、騒がしいニュースが耳に入る。そう考えると、ゆっくりと感じる時間も、実際は結構早く進んでいるように思う。一秒はあっという間に過ぎる。計算すれば一日は八万六千四百秒だ。多いようだが、常にその秒数は減っていく。今と言う時は二度とない。良くも悪くもない毎日。それは決して居心地の悪いところではなかった。

 光にとっては、そんな取るに足らない毎日が心地良かった。

 その、少しずつ変化する毎日の中で、光の中には一つだけ大きく変わりつつある事があった。

 最近、夜に妙な夢を見るのだ。夢というものは、寝ている間にいくつも見ているものだが、最近の光が起きた時に覚えている夢がいつも同じなのだ。

 こういう事を『虫の知らせ』と考える人ならば、間違いなく何かの前兆だと思うだろう。そう思わない光でさえ、不安感があるのだから。

 それでも、睡眠時間はとらなければならない。

 そして、またその夢を光は見る事になる。



 授業終了を知らせるチャイムに目を覚まし、いつものように光は周囲に合わせて起立と礼をする。

「うっしゃ〜」

 呻き声のような声を上げながら光は両手を伸ばした。今の古文でやっと五時限目が終わった。後は掃除して帰るだけだ。

 荷物をまとめていた光の耳に校内放送が聞こえてきた。

「風紀委員は臨時委員会を開きますので、清掃終了後三年二組の教室へ集まってください。……繰り返します…」

「はぁ?」

 光は顔を上げ、放送を伝えるためのスピーカーを睨みつけて、抗議の声をあげた。光は風紀委員会に属している。風紀委員はクラス内で副ルーム長を兼ねている。与えられた仕事はこなすのが信条なので、サボる事は出来ない。いくらサボりたいと口で言っても、妙な罪悪感からか、最終的に行ってしまうのである。

「頑張れ〜」

 それを知っている修が投げやりな慰めの言葉をかけてくる。

「全く、なるんじゃなかった・・・!」

 苛立たしく吐き捨てる。だが、もとはと言えば自分のせいなのだ。クラスで委員の分担を決めなければならない時、それが終われば下校となるのだが、中々決まらずにもどかしさを感じた光は校風委員に立候補したのだ。

 結果――勿論、他に立候補者はおらず――みごと反対ゼロで風紀委員に決まったのだ。そうして、自分から進んでなった委員会なので、どうしようもないのだが、それが余計に腹立たしいのだ。そのためもあって、この台詞は今までに何度も言ってきた台詞だ。

 早く家に帰りたいと考える光には居残りでの作業は苦痛でしかない。

「俺は先帰るぞ。待ってられないからな」

「少しぐらい待っててくれよ・・・」

 力なく言う。風紀委員の臨時は大抵十五分はかかる。一緒に帰るのが日常になっているため、一人で帰るというのは何か寂しいものがあるのだ。

「ん〜、じゃあ十五分ぐらい待ってるよ。それで来なかったら行くよ?」

「それでもいい、頼むわ。出来るだけ急ぐから」

 急ぐとは言っても、廊下を走る程度しか出来ないのだが。そうして、光は廊下を走って三年二組へと向かった。


(うるせぇな、早く進めろよ・・・・)

 ストレスに耐えかねて密かに貧乏揺すりをしながら光は胸中で呟いた。こういう状態では目に映るもの全てに怒りを覚える。プリントを配るのが遅い、説明が遅い、等など。受け取ったプリントに視線を滑らせ、内容を読み取る。駐輪場の使用状況調査と題されたプリントには行う日時と、調査方法等が詳しく書き込まれていた。無論、それを読み上げる委員長の声は無視してそちらだけを記憶の隅に留める。

 学校指定のステッカーの無いものや、学年の違う場所に置かれている自転車等を指定された場所に運び、放課後に持ち主に注意をすると言う内容だった。

 最後に委員長が駐輪場調査の事をクラスに説明して注意を喚起するように言い、その後で臨時委員会を閉じた。

 時計を見ると、既に二十分経っていた。光はバッグにプリントを手早く突っ込んで教室を飛び出した。今なら走れば途中で修に追いつけるかもしれない。

 昇降口に飛び込んで自分の下足に履き替えて外に飛び出す。

 もう外は暗くなりつつあった。

 そこには修の姿があった。

「・・修?」

「ん? あれ、もう十五分経ってたんだ?」

 修は昇降口の端に腰を下ろして文庫本を読んでいた。察するに時計を気にしていなかったのだろう、今になって二十分経っている事に気付いていた。慣れた手つきで文庫本に栞を挟んでバッグにしまう。

「大丈夫?」

 ぜぇぜぇと肩で息をしている光を修が軽く気遣う。

「なんとか」

 光は一言答えて深呼吸をした。呼吸を整え終えてから修と並んで歩き出す。

「臨時、どうだった?」

「駐輪場の調査だと」

 そういうものは本来なら抜き打ちでやるべきだと光は思う。クラスに説明したらその時だけ凌ごうとするに決まっているし、委員会もその時だけでも態度を良くさせようとしているようにも見える。それでは意味が無い。やるなら徹底的にやれよ、等と心の中で呟きながらも臨時委員会の途中に意見を言える程、光は委員会の仕事に熱意は持っていない。そのため、光は自分のクラスだけは抜き打ちでやる事に決めた。

「あぁそう、俺らには関係ないね」

 修が投げやりに答える。

「まぁね」

 自転車を使う程遠いわけでもない二人は、遅れそうになった時以外は徒歩で登校しているのだ。

「まったく、遅ぇったらねぇよ」

 溜め息をつきながら光が呻く。

「にしても、あれだな今日はラッキーだったな」

「そういえば、そうだな」

 修に頷く。運が良いというのは、今日は金曜日で、明日は休日なのだが、週末課題のプリントが英語の二枚しか出されていないからである。いつもならば、英語二枚に数学一枚の計三枚が宿題となるのだ。

「ん?」

 会話しながら光と修がサイクリングロードを歩いていると、前方に二人の男が立っているのが見えた。他に人影はない。その二人は道を塞ぐように立っているだけで、歩いてくる様子は無い。待ち構えているようにも見える。

「あいつら、やばくねぇか……?」

 修が男達を見て光に囁く。顔が引き攣っているのが判る。それは修だけでなく、光も同じだった。前方に立つ二人の目が不気味な輝きを放っているからだった。

「道を変えよう」

 修に小さく囁き、横道に逸れようと一歩道路の外側へ踏み出した時だった。

「っ!」

 突風が吹いて光と修が後方へ吹き飛ばされた。背中から路面に叩き付けられ、反動で軽く跳ねる。一瞬呼吸が止まる。

「な…何だ……!」

 修が掠れた声で呻いた。

 光は何とか上体を起こす。右手に握っていたバッグが飛ばされている事に気付き、周囲に視線を向ける。バッグは吹き飛ばされた時に手から離れ、倒れた場所よりも更に後方に転がっていた。

 男達がこちらへ歩いてくるのに気付いて立ち上がろうとするが、得体の知れない恐怖から、上手く足に力が入らない。

「く……来るな!」

 光は思わず叫んで座り込んだ状態のまま、腕で体を引きずるようにして離れようとする。しかし、普通に歩く速度に勝てるはずもなく、距離は縮まっていく。

 修はと言うと、道路脇で、顔を引き攣らせていた。

 男達は修を無視して光の方へと進んでくる。

(…待てよ……これって…!)

 心臓の鼓動が早くなって行く。恐怖感が込み上げてくるのと同時に、記憶がフラッシュバックする。

 今までに何度も見た光景だった。

 光が口をぱくぱくさせながら後ずさっていると、男の片方が手を横に薙いだ。途端に、光は突風を受けたかのように宙に舞い、吹き飛ばされた。

 体を横にして路面に叩き付けられ、ごろごろと数回転がる。

(まさか、正夢……?)

 ぐったりしていると、男達が会話しているのが聞こえた。その会話も朦朧としている意識でははっきりと聞き取れず、もともと日本語でもなかったために、ただ、男達が声を発している事しか解らなかった。

 ――また、無抵抗のままでいるつもり?

 その光の頭の中に女性の声が響く。

 それによって、不思議と冷静さが戻ってきた。

(…また……だって…?)

 光は問い返す。同じ目に遭った事があるのだろうか。

 ――まさか、憶えていないわけではないでしょう。

 残念そうな声が頭の中に響いた。

 ――これではどうですか?

 その直後、頭の中にイメージが流れ込んできた。青と白に輝く光の奔流。眩しく輝き、青と白の輝きが混じりあって刻々と色を変えながら光を取り巻くように周囲を流れていく。

(――!)

 光はその光景に言葉を無くした。そして、何もかも思い出した。

 数週間前、今、襲われているように、外国人の男達二人に殺されかけた時の事を。しかし、憶えているのは今見ているのと同じ青と白の光の奔流を見た所までだ。その後の意識は無い。気付いた時には、道端で倒れていた。あまりにも現実感のない事だったから、歩きながらウトウトした事は今までに数回あったから、寝不足のために見た悪い夢だと思っていた。やっと忘れる事が出来た事だった。

(……これは…)

 ――後は、解りますね…これ以上、手助けはしません。

 響いていた声が消える。光は衝動的に青と白の光の奔流が湧き出す中心へと右手を伸ばした。それと同時に、右手に青と白に輝く光が纏わりつくように集まり、全身へと流れ込んでくる。

 視界は真っ白になったが、気絶はしなかった。

 目を開く。

 もう夜に近いのに、光には周囲がはっきりと見えた。体中が痛く、重かったはずなのに、痛みもなく、体も軽く感じた。自分の呼吸はいつもより遅く、落ち着いていた。小さく息を吸い込んでゆっくりと起き上がる。

 自分の手を見た。薄っすらと蒼白い光の膜に体が包まれているように見えた。

 視線を男達に向ける。その瞬間、二人の男が一歩、後ずさる。そうして、片方の男が右手を光へとかざした。その手の周囲の空気が歪んだように見え、それが光へと向かってきた。スローモーションを見ているように、歪んだ空気が真っ直ぐに突き進んでくる。

(…知覚が拡大されている……?)

 恐らく、あの空気の歪みが光と修を吹き飛ばした突風の正体だろう。どうやって手から出しているのかは判らないが、空気を歪ませていたように見えた事から、圧縮した空気を放っているようだ。

 光は右に飛び退いて、衝撃波を避けた。周囲の動きはスローで見えるのに、自分の動きは通常よりも速かった。その速度の差に、不恰好な着地になってしまった。

 もう一人の男がこちらへ手をかざした。その手から、こちらへ向けて、空気を裂くように、鋭利な何かが向かってきた。

「――っ!」

 声にならない声を上げ、光は咄嗟に右手をかざした。反射的に、防ごうとする行為だった。

 直後、右手から蒼白い閃光が迸った。閃光は男の放った鋭利な何かを消し去って、男の右手に直撃した。

 男が吹き飛ぶ。右腕がもげたかと思ったが、もげてはいなかった。それでも、右腕を炎の中に突き入れたかのようにぼろぼろにはなっていたのは判った。その男はそのまま吹き飛んで、サイクリングロードの側を流れる川の河原へと転がり落ちていった。

 光は右手をに視線を落とす。

 今、起きた事が信じられないのだ。

 意思がそのまま攻撃となったかのような、閃光。

 もう一人の男に視線を向けた。両手をかざして、強力な突風を作ろうとしているようだった。

「……ぁ……」

 今まで冷めていた頭が、急速に混乱して行く。

 自分の身に何が起きているのか、目の前の男達は何なのか、突然の事と、夢に見た過去の光景が、光を混乱させていた。

 男が手を振り被った瞬間だった。

 一筋の閃光――光のものではない――が迸った。黄色く、電気を帯びたような色合いの閃光と共に、男の目の前に、一人の青年が立っていた。

 その手に銀色に輝く刃を携えて。

 男が後方へ跳び、青年との間合いを取った。

 青年が右手に握った刀を持ち上げる。その直後、バッ、と空気を裂くような音と共に刀身を閃光が包んだ。

 男が青年に対して攻撃を仕掛けようとする。その男の表情が恐怖に染まって行るのが、知覚の拡大した光には見て取れた。

 青年が地を蹴った瞬間、その姿が閃光に包まれ、一瞬で男の背後に移動していた。後から続く、空気を裂く音。

 刀が、青年の左手に握られていた鞘に戻される。

「――っ!」

 光は言葉を失った。

 混乱していた頭でもはっきりと判る、戦慄。

 男の顔が、斜めに切れていた。

 顔だけではない。腹の辺りも、顔とは対照的な傾きで綺麗に切れていた。男の体がずれる。三つに切断された体が、崩れ落ち、同時に鮮血を撒き散らす。

 目を覆いたくなるような死に際だったが、光は目を逸らす事が出来なかった。

「……お前が、光か」

 青年が、振り返った。

 刃のように鋭い視線が向けられた。金色の輝きを帯びた瞳。引き締まった、端整な顔立ちに、少し目にかかる程度のやや長めの黒髪。

 金色の燐光を纏う、その体は、ワイシャツに濃紺のブレザー――この地区での有名私立校・上条高校の制服――に包まれていた。

 青年は隙のない表情を光に向けている。

「……その目、どうやら覚醒はしたようだな…」

 青年の声。

「何、言ってんだ…?」

 やっと、光は声を絞り出した。

「大丈夫、私達は敵じゃないわ。少なくとも、今は」

 ふわりと、風が吹いた。

 修に手を差し伸べ、助け起こす一人の女性が目に入った。

 彼女も上条高校の制服を着込んでいた。流れるような美しい長髪に、穏和そうな瞳は透き通るような翡翠色の輝きを帯びている。美しい女性だった。

「遅かったな、楓」

 青年が女性に向けて言った。

 その女性の名は楓と言うらしい。

「私の力じゃ、あなた程の速度は出せないもの」

 楓が言葉を返した。

 修が自力で立てる事を確認した楓は、軽く地面を蹴って、跳んだ。ふわりと、ゆっくりとした弧を描き、光の前に音も無く着地する。

 彼女が差し伸べてきた手を、光は驚いたように見つめていた。

「…混乱、しているのね……無理もないわ」

 それを見てか、楓が呟く。

「何が…起きてる……?」

 また、心拍数が上がってきているのを光は感じた。

「何も起きていないわ」

 首を横に振る楓。

「じゃあこれは何なんだ!」

「ずっと、昔からあった事よ」

 楓の答えが光には理解出来なかった。

「どういう意味なんだ?」

 修が口を挟んだ。

 心なしか、声が震えているように思えた。無理もないが。

「順を追って説明してやろう」

 青年が歩み寄ってきた。

「俺と楓、そして、お前が使った力は具現力と呼ばれている」

「精神力を力場に変換し、物理的エネルギーを発現させる特殊な力の事よ」

 青年の言葉を楓が引き継いだ。

「全人類にそれを操れる素質があるそうだけど、今ではそれに覚醒する人の方が少ないようね」

 伝聞系なのは、彼女も詳しい事は判らないという事なのだろう。

「……全人類…」

 修が復唱した。

「具現力の解説は後回しにしよう。次に、あいつらと俺達の事だ」

 青年の言葉に光はやっと立ち上がった。

「奴等はVANと名乗っている」

 Vanguard of Ability Nations〈能力者尖兵連合〉の略だと楓が補足したが、その単語自体も先導者や前衛と言う意味を持っている。

「俺達はそれに対抗している組織ROVだ」

 Resistance Of Van〈VANの抵抗組織〉の略、と青年の後に楓が再度補足説明を加えた。

「具現力を使える素質はさっきも言った通り、全人類にあるらしい。だが、それに覚醒するかどうかは別問題だ。覚醒するものもいれば、しないものもいる。全人類が覚醒すると言う事はまずないだろう」

 青年が言う。

 具現力を操れる者が特殊であると言う事は判った。つまりは、覚醒する者が稀である事。

「VANは、覚醒者達を集めている。時を待って蜂起する気だ」

「ちょっと待て、それは世界征服って事か?」

 修が疑問を口にした。

 世界征服と言うものは、現代では難しい行為である。現代には国連等の強力な組織と、軍隊があるのだ。例え蜂起したとしても、目的を達成する前に鎮圧されるのがオチのはずなのだ。

 考えなくても解る事なのではなかろうか。

「世界征服? 違うな。奴等は自分達のための国を作ろうとしているのさ」

 青年は修の疑問を否定した。

 だが、国を作るにしても、どこかの土地を奪わねばならないはずだ。となると、どうしても国連は黙っていないだろう。

「大抵の覚醒者は過去に自分達の居場所を奪われている。周囲の者達によってな」

 青年が言う。

 具現力を使える者を、非能力者達が恐れ、忌み嫌うのだと。

「居場所を奪われた者達は、真っ当に生きていく事は出来ない。だから、そんな事のない場所を作ろうとしている」

「その準備のため、仲間を集めているのよ」

 楓が青年の言葉を引き継ぎ、結論を出した。

「でも、軍が出るんじゃないのか?」

 修の疑問の核心を、落ち着いてきた光が問い質す。

「……軍に負けると思うか?」

 青年が訊き返してきた。

「じゃあ、具現力の話に移りましょう」

 楓が言い、青年に視線を送る。

「具現力、さっきも言った通り、精神力を力場に変え、物理的な力を生じさせる特殊な力だ」

「原理は解らないわ。研究者がいないから」

 楓が補足し、青年は続ける。

 まず、具現力を使用可能な状態にしている間は身体能力と知覚が拡大されると言う事。次に、自然治癒力が高まり、通常の傷ならば容易く回復出来るという事。但し、同じ具現力で負った傷に関しては、その部分の防護膜――体を覆う力場の膜――が破られているため、一度具現力を発現し直さなければ治癒させられない事を、ざっと青年が説明した。

「具現力は、人それぞれで異なるわ。それはもう解るわね?」

 楓が確認を求めるのに、光は頷いた。

 先程襲ってきた二人組みの具現力は同じものではなかった。それに、光自身が放った力も、それとは全く違う力だった。

「具現力には大きく分けて、二つの種類がある」

「一つは、正の力――つまり、人間の理性から来る力――。もう一つは負の力――こっちは人間の本能から来る力――」

 青年に続いて、楓が説明した。

 精神力を力場に変換する際にどの感情が根底にあるのか、と言う事だと、楓が補足してくれた。

「よくそんな事が判るな?」

 修が訝しむように言う。

 研究者がいないと言っておきながら、力の根底の分類を何故知っているのだろうか。

「使っていると、何となく判るのよ。それに、どうしてか知っている人もいたしね」

 楓が困ったような表情を浮かべる。

「具現力の効果を分類すると、五つの型に分けられる。通常、自然、空間、特殊、閃光の五つだ」

 三種類の型を先に言い、楓が説明を引き継いだ。

 通常型は、最も一般的なもので、力場の内部に自身の精神力をエネルギーとして流し込み、物理的な力とするもの。自然型は、発生させる力場を媒介にして、自然界の力を操る事の出来るもの。空間型は、力場を通して空間に効果をもたらすもの。特殊型は、他の四つのどれにも当てはまらないもの。閃光型は、精神力を力場に変換するのではなく、精神力をそのまま放つ事の出来るもの。

 楓はそう一言ずつ説明していった。

「見たところ、お前は閃光型だな」

 青年が光を見て言った。

「閃光型は、攻撃能力としては最強とも言えるわ。他のタイプが力場を張ってからその中に力を発現させるのに対し、閃光型は力場自体が攻撃能力を持つの。力場を発生させてから発現するまでの時間もかからず、そのまま攻撃が出来るから」

 閃光型の詳しい説明は楓がしてくれた。

「特殊と空間型等の一部を除き、ほとんどの能力は、常に体が精神エネルギーに覆われ、身体能力の向上とダメージの軽減と回復を行う。それも防護膜なわけだが、これは意識する事で局所的に厚みを変える事が可能だ」

 青年の説明に、光は掌に視線を落とした。まだ、具現力が発動状態にあるようで、体を包む、微かに蒼白い燐光を帯びた膜が見えた。意識すると、青年の言った通りに厚みが増した。

「また、その精神エネルギーはその場に留める事や、道具に付帯させる事で接近戦も可能だ。道具に付帯させた方が集中力に余裕が出来る」

 そう言うと、青年が掌を下に向けて水平にかざした。直後、掌の少し前の空間に金色の閃光が集まり、棒のように左右に伸びた。まるで真空放電した電気のように流動的でありながら、それでも大体の形を保っていた。青年が手を放すと、金色の棒は溶けるように掻き消えてしまった。

「……初め、声が聞こえただろう。あれはセイナと言う覚醒者の声だ」

「え……?」

 青年の言葉に、光は反射的に訊き返した。

「何故知ってるのかって顔だな。答えは簡単だ。能力者の覚醒を促しているのがセイナだからだ」

 光の疑問に青年が答える。

「セイナの能力は空間干渉能力。テレパスや念力といったようなものが使えると言えば解り易いか?」

 空間に干渉し、操る能力。空間を隔てていても意思を通わす事が出来、空間に干渉するために触れずとも物体に力を加える事が出来るのだと言う。その能力を利用し、離れた場所の出来事を察知する事で得た情報や、空間を操作して得た独自の情報から、次に覚醒するであろう能力者を発見・干渉し、覚醒を促すのだと青年が説明した。

「俺は彼女の娘、セルファから、次にセイナが覚醒させる者の情報を得ている」

 娘・セルファの能力は超越の能力であると、楓が補足した。限界を超えるという特殊な能力だが、その能力は他の能力と違い、精神エネルギーを操る事は出来ないようで、生身の身体能力の限界を超えるに留まっており、戦闘能力はあまり高くないらしい。それでも、その超越の能力と、少ないながらも母から受け継いだ空間干渉能力により、テレパスは使えるとの事。

「セルファの方はVANに賛同していないようでな、俺たちに情報を流してくれている」

 母と娘が敵対に近い関係になっているというのには、少々疑問を感じたが、何故そうなったのかは青年も知らないようだった。ただ、そのお陰で青年が光達を助けに来る事が出来たのは間違いなさそうだ。

「……話を戻そう。具現力と軍、どちらが強いと思う?」

「俺は軍の方が強いと思う。軍隊を甘く見ない方が良い」

 青年の問いに、修が言い張った。

 普段、様々な本を読んでいるだけに、軍隊等に関しても並以上の知識を持っているようだ。

「でもね、軍…いいえ、通常の兵器と通常の人間では、覚醒者には勝てないわ。具現力にもよるけど」

 楓が残念そうに答えた。

 覚醒者には覚醒者をぶつけなければならないという事らしい。確かに、先程の二人組みはともかく、その片方を一瞬で葬った青年の戦闘能力は、並大抵のものではなかった。常人の反応速度で捉えられる動きではない。それに、遠距離攻撃も自在に可能なのだとすれば、様々な事態に対応できるずだ。例え訓練を受けた軍人でも、常人の域を出ない限り能力者には敵わない。

「それに、VANの人間の中には様々な組織に潜伏している者もいる。勿論、国連軍にもいるだろうな」

「そんな……」

 修が言葉を失う。

 軍の内部にも潜伏しているという事は、内部崩壊も起こす事が出来るという事だ。攻めてきた能力者を迎え撃つ時、その中で反乱が起きれば陣形が崩れ、反撃も出来ずに一気に突破されてしまう。

「俺達は、VANを潰すために戦っている」

 青年が言った。

 VANの現在の活動は、主に組織の拡大のための資金集めやら、能力者の引き入れやら、様々な事をしているらしい。中には、傭兵として紛争地域に借り出され、金を稼ぐ者もいるとの事。そして、VANは非能力者を軽く見ていると言う事。

「でも、VANの言う事にも一理あるんじゃないのか?」

 そこへ修が口を挟む。

 確かに、自身の居場所を主張するのは正当な行為と言えなくもない。不当な弾圧を受けてきているのであれば、それを望むのは尚更だ。

「そうだな、確かに奴等の言う事にも共感は出来る。だが、俺には奴等と戦うだけの理由がある」

「理由……?」

 その言葉には光が反応した。

 実際に能力者として覚醒した光から見れば、戦うという事が目の前に転がっているのだ。それに加わるかどうかは別問題として、現に一度襲われ、反撃をしているのだ。自ら戦っている者の理由には興味がある。

「大切な人を殺されたから」

「……!」

 背筋を冷たいものが走り、思わず光は一歩後ずさった。修も同様に恐怖を感じたようだ。

 その言葉を口に出した瞬間の青年の眼光は刃のように鋭く、明らかな敵意を宿していたから。

「私も覚醒した時に襲われてね、刃に助けられてるのよ」

 楓が言った。刃とは、青年の名前だろうか。

「それに、奴等は一般人の事を全くと言って良い程考えていない」

 刃が続いた。

 その眼光は今までのものに戻っていた。

「それで、俺達をどうするつもりだ?」

 修が口を開いた。

 そこまで話せば、状況説明は終わりだろうと踏んでの事だろう。そこまで説明をしたのだから、何か交換条件とかがあるのかもしれない。まさか、これだけでさよならとは行かないだろうから。

「……それは、あなた達次第ね」

 複雑そうな表情で楓が答えた。

「もし、お前等が邪魔をするのならば、俺は容赦なく斬る」

 刃が厳しい口調で言い放つ。

 光はその刃と睨み合うように視線を交えた。

「行くぞ、楓」

 踵を返し、青年が促す。

「次に会う時までには、答えを出しておいてね……」

 楓はそう言い残すと、刃を追って地を蹴った。地を蹴って、滞空していた刃の体が金色の閃光を纏った。続いて、楓も周囲に翡翠色の閃光を纏う。直後、一瞬で二人はその場から掻き消えた。いや、光には微かに、閃光がある方向へ高速で飛んで行くのが見えた。

 声もなく、光と修はその場に立ち尽くしていた。

「俺らも帰ろう、光」

 やがて、修が言った。

 光は頷き、転がっていたバッグを取るために走った。

「あっ…!」

 そこで光は躓いた。具現力を使用可能な状態のままでいた事で、体の感覚が過敏になり過ぎたままだったのである。上手く体が動かせず、早すぎる反応に足がもつれたのだ。ひどく滑稽な転び方だったろうが、そんな事は二の次だった。

「どうやったら、戻れる……!」

 自分の両手を見て、呟く。まだ薄っすらと蒼白い燐光が体を包んでいた。

 刃と楓の説明をしている間、二人とも具現力を発動した状態で話していたが、混乱していたためもあってか、内容の方に気を取られ過ぎていたのかもしれない。

(戻れないと、家にも帰れないじゃないか……!)

 この状態のまま家に帰ったらどうなるのか、考えただけでも恐ろしい。孝二や晃の反応が怖い。

(……戻れよ!)

 目を閉じて強く念じた瞬間、体が重くなった。そのまま、自分の体を支えきれずに前のめりにまたも転びそうになる。両足を踏ん張って、何とか耐えた。そうして、両手に視線を落とした光は、自分が元の状態に戻っている事に気付いた。

「光…?」

 心配そうに修が声を掛けてくれた。いつの間にか駆け寄ってきていた。

「戻れた、よな?」

 確認を求めるように、修に顔を向ける。頷く修に、安堵の溜め息が漏れ、光はその場に座り込んでしまった。体が異様なまでに重かったし、元に戻れた事への安堵もあって、立っていられなかったのだ。

 それを察したのか、修が光のバッグを取りに行ってくれた。

「身体能力と知覚が拡大するって言っていたから、その差の影響か?」

 修が考え込むように言う。

「多分、それだ」

 光はバッグを修から受け取り、肩を借りて立ち上がった。

 疲労のように感じるのは、体と脳が急な感覚の変化に追いつかなかったためのものだろうと、光と修は推測した。実際、光はそれであっていると思った。

 まだ体の感覚が戻らない光の歩調に合わせて、修が歩いてくれたのは嬉しい事だった。

「……どうするんだ?」

 少し歩いて、修が切り出した。

「判らない。すぐに答えなんて出せないよ、これは」

 本音が出た。まだ、事情は聞いたが、自分の中での整理がつかない。ここでの決断が今後、どういう影響を及ぼすのか判らないのだ。迂闊に決められない。それに、光自身、まだ完全に落ち着いているわけでもない。一人で考える時間も欲しかった。

「俺はともかく、家族もいるからな」

 修が核心を突いてくる。

 家族と離別した生活を送っているからといって、修自身はそれにコンプレックスを抱いていない。だから、その事について他人に何を言われようと気にすることはない。光もその点で気を遣う事はしなかったし、修もそれを望まなかった。

「……一晩、考えてみる」

「じゃあ、明日の一時にいつもの場所で」

 答えた光に、修が明日の事を言い出した。

 結論を話し合おう、と言うのだろう。修も巻き込まれたのだから、光の決定で修の立場も変わるのだ。そう考えると、無関係とは言えない。

 いつもの場所、と言うのは、光と修が待ち合わせをする時によく使う場所の事だ。サイクリングロードの側を流れる河原がそれだ。近くには橋があり、その下に入れば直射日光も遮れて、涼しく、快適な場所。

「解った」

 光は無理に微笑を浮かべ、答える。力のない弱々しい微笑になっていたのが、光自身にも解った。

 修との別れ際になって、何とか体の感覚も戻ってきた。道の分岐点で別れ、光は家へと向かう。近くに家があって良かったと光は思った。


 引き戸を開け、家の中に入る。

「……ただいま」

 自分でも、かなりやつれた声に聞こえた。

「あら、お帰りなさい」

「……香織さん?」

 家の奥、キッチンの方から聞こえた女性の声に、やや遅れて問い返した。

 その声の主は澤井 香織と言い、孝二の幼馴染みである。彼女の家が近くのアパートであるため、時間が空くと手伝いに来てくれるのだ。

 孝二と香織は昔からの知り合いでもあり、仲も悪くないのだが、何故か結婚するまでには至っておらず、双方共に独身である。だが、手伝いに来る頻度も高いので、事実婚に近い。結婚出来ない理由でもあるのだろうか。

 靴を脱いだ光は、手洗いとうがいを済ませると二階の自分の部屋へと戻った。

 バッグを放ってベッドに倒れこむ。

(……具現力、VAN、ROV……)

 先程、聞いた単語を頭の中で並べて行く。

 常人を遙かに凌ぐ、戦闘能力を得る事の出来る人智を超えた力、具現力。覚醒した能力者を集め、能力者達の生活場所を求めるVAN。その組織の身勝手さに、抵抗するROV。

 何度も夢に見た光景が現実だった事。これは、頭のどこかでは現実だと理解していたのかもしれない。それを現実だと受け止める事が出来なかったがために、何度も夢に見たのか。それとも、現実である事を主張する部分がそうさせたのかもしれない。ただ、確実に解る事は、もう目を逸らす事は出来ないと言う事だ。今までは夢だと思えばそれで良かったが、現実に、修も居合わせた状態なのだ。

 何故、能力者を欲しているVANが襲ってきたのかも解らない。何か、策があっての事なのかも判らない。

 対して、ROVは何故、助けたのか。その場で仲間に引き込もうとするのならばともかく、光を敵に回しても良いような態度だった。

「おい、光、飯だってさ」

 ノックする音と共に、晃の声がドアごしに聞こえてきた。

「…行くよ」

 答え、光はベッドから起き上がった。

 体が重い。今度は普通の疲労が出てきたのだ。

 部屋を出ると一階のダイニングに入った。既に晃は席に着いて食事を始めている。いつの間にか孝二が帰って来ていた。光が帰宅した時に孝二はまだ帰ってきていなかったから、二階にいる間に帰宅したのだろうが、全く気がつかなかった。

 椅子に座り、テーブルの上に並べられていた夕食に手を付けていく。いつもより、食欲が湧かない。と言うよりも、食事をしていられるような気分ではなかった。それでも、食べないわけにはいかず、半ば無理やり押し込んでいく。

(今の、この状態はどうなるんだ……?)

 光は思う。もし、VANが光を組織に加えようとして、接触してきたら、今の生活はどうなってしまうのだろう。この家にいられるのだろうか。家族はどうなるのか。そして、敵対する立場となったとしたら、今、この状態でも攻めて来るのだろうか。不安ばかりが膨らんでいく。

「光君? ……どうかした?」

 それに気付いたのか、香織が心配そうに訊いてきた。いつの間にか、光の食事の手は止まっていた。

「…ん、いや、別に」

 口ごもりながら光は答えた。急に聞かれたため、まともな返答を返せなかった。

 具現力の事は言う訳にはいかない、と反射的に思った。言って信用されるかどうかも疑問ではあるし、信用されても困る。

「寝不足か?」

 晃が口を挟んでくる。

「だといいけどね……」

 本来ならば、否定する光だったが、今回ばかりは本当にそうであって欲しいと思った。いつもならば、夜遅くまでパソコンやゲームをやっているから、睡眠不足になり、高校で寝ているのだ。そのせいで、たまに下校時まで眠気が残る事があるのだ。

「何かあったのか?」

 孝二の言葉に、光は先程の返答を後悔した。

 いつものように否定しなかったために、不自然に思われたのかもしれない。家族だけあって、鋭い。

「…何でもない、ちょっと疲れが溜まってるだけだよ」

 投げやりに答え、ごまかしてやり過ごす。

 どうせ今日は金曜なのだから、一週間分の疲れが溜まっているのは事実だ。

「そうか? ならいいが……」

 孝二が訝しげな視線を向けてくる。

「ご馳走様」

 これ以上詮索されぬよう、光は食事のペースを上げてさっさと平らげると、席を立った。そのまま二階の自室に戻り、部屋に入ると、着替えを済ませて光はベッドに横になった。

(……どうすればいいんだろう……)

 刃との会話中、能力は遺伝するような事を言っていた。ということは、晃も能力者になる可能性もあるし、光の実の両親も、孝二も能力者なのかもしれない。けれど、今は普通の人に見える。いや、見えるだけであって、本当は能力者として、密かに活動しているのかもしれない。そう考えると、先程の食事の風景も、急に褪めたものに見えてしまう。

(……考え過ぎだよな……)

 考えが飛躍し過ぎたのに、光は一人苦笑した。いつもそうだ。最終的に自分にとって最良だと思える選択をするために、最悪の場合を考える。不安になる事は判っているのに。けれど、最悪の場合を想定して選んだ結果で成功した事もある。

 自分自身が臆病なのだと、光は思う。

 引っ込み思案なのも、他人との衝突を避けるのも。自分にとって嫌な事があるからそうしてきたのだ。ただ、気を許せる相手、家族や修に限っては、ありのままの自分で付き合える。そんなちっぽけな人間。

(俺は、どうしたいんだろう……?)

 そして、光自身、自分がこれからどうしたいのか判らなかった。

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