010 休息なんてあるわけない
暇な時間ほど苦痛なものはない。暇は人を腐らせ、堕落させ、中毒にさせる。それを分かった上での暇というのはいっそ死んでしまおうかと考えてしまうほどに憎くて恨めしいものだ。今僕はおとなしく椅子に座りながら淹れてもらった紅茶を飲んでいる。凛さんが帰ってこないのでこの館に釘付け状態なわけだ。この館は想像通りに暇つぶしできるものがなく、そもそもこの世界事態に僕が何時間も暇を潰していられるものなどありはしないのだろう。電子機器など空想の産物だ。よって僕はこの暇な時間を思考し続けることにしようと決めたわけなのだ。
この無駄に余りまくった時間を有効活用すべく、これまで得た情報を整理することにする。
聖柄宴。つまり僕だ。現在代理さんの前の神様を探すべく奔走中。不死(仮)。この世界最弱レベルなので猫又と特訓中の身。一人称僕。
凛さん。よろず屋凛の店長。僕を匿ってくれている人。姉御肌。九尾の狐。この世界ハイエンドレベル、らしい。
代理さん。生と死をつかさどる神様(仮)。僕をこの世界に引き込んだ人。常に着物。かわいい。キャラがブレやすい人。それもかわいい。
猫又。凛さんと同じくよろず屋してる人。この世界ハイエンドレベル、らしいパートツー。僕を殺しまくった人。
これに新しく追加で、
吸血鬼。キャラの確立を失敗している人。いろいろと残念。つまり、よくわからない。
狼男。老紳士っぽい。一度友情が芽生えた気がしないでも無かった。
ぐらいか。今のところ先代の情報はゼロだしこれから考えていかなきゃなぁ。あっさりと情報の整理が終了。まだ三十分どころか十分だって経っていない。どうしたもんか、と思考する事柄について思考する。これもまた嗜好。五秒ほど何も浮かばずボーっとしているとさっきまでいなかった狼男がすぐ近くにいた。
「おかわりはいかかですか?」
そういえばカップはもう空だった。
「そうですね。お願いします。まだ帰ってきそうにないですしね。」
実はさっきから外で爆発音とか炸裂音が絶えず聞こえてきている。あれが聞こえなくなれば大方終わりだろう。
「ええそうですね。あとどれほどかかるのやら。」
新しく注がれた紅茶が注がれたカップを手に持ち、一口飲む。紅茶には疎いので味に関してはスルーする。狼男が僕の向かいの椅子に腰かける。
「さっきから何を考えていたのですか?」
狼男が興味無さげに聞いてくる。彼もまた時間の使い道に困っているのだろう。
「ここに来てからの情報整理を少し。」
「それはまた…。ここに来る以前のことは考えないのですか?」
僕はカップを置いて、カップにできた波紋を眺めながら思考する。そういえばここに来てから向こうの事はあまり考えないな。それにほとんど思い出すことができない。凛さんあたりが細工して向こうの事を考えさせないようにしているとか?そういえば代理さんと会うあの場所、あそこの入れない扉の向こうが僕の記憶とか?考えて即否定する。ファンタジー以前に凛さんがそんなことをする意味がない。でもあの場所は確かに気になる。ここまで考えて思い出せるのは僕が何かから逃げていて、その途中で代理さんに連れてこられたことぐらい。
「もしかして思い出せないとかですか?」
押し黙った僕をみて狼男が聞いてくる。その瞳に玩具を見つけた子供のような感情を見て取れた。
「そんなことないですよ。まぁ確かに思い出しにくいですけど。」
「もしかして凛さまが隠してるとか。」
「それはないですね。理由がないです。」
「理由ならありますよ。あなたがあちらに帰りたいと思わないようにという事前策です。」
「それはないですね。僕は代理さんの手伝いがしたい。だから僕は今ここにいるんです。」
「それをあなたに自分から考えさせるように記憶に細工したとは考えられませんか?」
「それは…。」
言葉が続かない。続かない自分のボキャブラリーの無さを嘆き、否定できない自分の凛さんへの信頼の値の無さに悔しくなった。
「ここで別の考えを提示しましょう。」
またしても押し黙っていた僕を見かねて狼男は話し出した。
「あなたの記憶が辿れないのはトラウマのせいである、という考え方です。こちらの世界に来ると同時にあちらの世界での嫌な記憶を封じてしまった、ということです。因みにこちらだと、さっきの話しのおかしな点である記憶が辿れない、という点が矛盾なく通ります。」
「矛盾?」
「そうです。凛さま程の力の持ち主ならば記憶を辿れなくするのではなく、作り変えることだってできたはずなんです。でもそれがなかった。凛さまがやったにしてはおかしいんです。もしこれが誰かに細工されているのだとしたらもっと低レベルな輩の仕業でしょうね。」
これを聞いて僕は二重の意味で恥ずかしくなった。ひとつは凛さんを疑ってしまったこと、もうひとつはこの矛盾点に気付かなかったことだ。
「凛さんではなくもっと別の誰か、それも力の弱い奴がやった可能性は残っていますけどね。」
僕の身近な人物は他に代理さんと猫又。方や神様代理、方やハイエンドレベルの化け物。これはおそらく違うだろう。代理さんがあまり力が無くそれしかできなかったと考えられないでもないが、それは無い。かわいいは正義って誰かが言ってた気がするから。
「さて、トラウマについてですが何か心当たりはありませんか?」
「そうですね。言われてみれば僕がここに連れてこられるとき何かから逃げていました。何かは思い出せませんが。」
「それは興味深いですね。ほぼ間違いないでしょう。どうです?ひとつ暗示を試してみませんか?」
「暗示ですか?あなたが僕に何か仕込むつもりですか?」
「違いますよ。そんなことしたら凛さまにすぐばれて殺されてしまいます。」
そう言って肩をすくめる。てか今すぐばれてって言ったな。凛さんだったら分かるってことは猫又とかにも分かるんだろ。またこいつ僕を試していやがったな。
「暗示であなたの記憶を探ってみよう、ってことです。やってみませんか?」
「そうですね…。」
少し考える。凛さんならすぐ分かるって言ったのはこの人だから嘘をついている可能性もあるんだよな。でもどうせ何か進展しなければ帰れないし、帰る時にも記憶は必要だし。
「分かりました。お願いします。」
狼男は右手を突き出して僕の顔を鷲掴みにした。
「あなたは自分の選んだ扉をひとつ開けてみてください。」
僕は一瞬落ち、気づくと代理さんが一人でブランコに乗っていた。いつものあの場所だ。代理さんはこちらに気づくと呆れた顔を向けてきた。顔からは、また死んだんですか、早いですね、と言いたげな、むしろこれから言うんだろう。言われる前に先手を打つことにした。
「大丈夫です。死んだわけじゃありません。」
代理さんびっくりして目を見開く。そんな姿もかわいいです。僕は固まっている代理さんを無視して背後に振り返り、すぐそこの小さな扉に手をかける。後ろの僕を呼ぶ代理さんの声を、なぜか誇らしげな気持ちで無視しながら僕は扉を開けた。
そこは小学校の教室のようだ。一番に目に入ってきたのは子供たち数人が一人の席を囲んで何かを話している光景だ。話している、というより一方的に暴言を吐いているようだ。つまるところいじめだ。周りの子たちも見て見ぬふりをしている。しょっぱなで嫌な扉を開けたなぁなんて思った。囲まれている子、つまりいじめられている子が予想通りというか僕だったからだ。僕はこの先の思い出せない展開を憂えてさっそく後悔し始めた。