三度目の断罪で気づきました。この茶番、進行台本がございますわね? ~ループ令嬢、運命の強制力(という名のお役所)に開示請求いたします~
「エルシア・ヴェルメリオ! 貴様との婚約を破棄する!」
王太子クラウス殿下の声が、大広間に響き渡った。
卒業記念の夜会。楽団が止まり、三百の視線がわたくしに集まる。
――はい、ここで聖女様が一歩前へ。半歩遅れて、殿下が彼女の肩を抱く。
聖女ミレーヌ様が一歩前へ出た。半歩遅れて、殿下がその肩を抱いた。
――次。左奥のグラスが割れる。
左奥で、ぱりん、とグラスの割れる音がした。動揺した給仕が落とすのだ。三回とも、同じ音、同じ場所。
一度目のわたくしは、泣いて弁明して処刑された。
二度目のわたくしは、一年かけて集めた証拠で完璧に論破した。大広間は騒然となり、わたくしの潔白は証明され――三日後、隣国へ向かう馬車の「事故」で死んだ。
そして三度目の今夜、わたくしはようやく確信した。
この断罪、アドリブが一つもない。
誰かの憎しみで動いているのなら、もっと揺らぐはずだ。人間の悪意はもっと下手くそだ。なのにこの夜会は、殿下の怒声の間合いから群衆のどよめきの秒数まで、寸分違わず三回繰り返されている。
つまり、これは。
――台本が、ありますわね?
「聖女ミレーヌへの度重なる嫌がらせ、階段からの突き落とし、毒殺未遂! 言い逃れできると思うな……」
「恐れ入ります、殿下」
わたくしは、すっと右手を挙げた。
「進行について、確認をさせていただいても?」
「…………は?」
「本日の式次第を、拝見できますかしら」
大広間が、しん、と静まり返った。
三百人が三百人とも、初めて聞く台詞に固まっている。ええ、そうでしょうとも。この一言だけは、台本にないはずですもの。
***
「し、式次第だと? 何を血迷って……」
「では、僭越ながらわたくしが申し上げます」
わたくしはドレスの襞を整え、暗唱を始めた。
「この後、殿下は『貴様のような毒婦が王妃になれば国が滅ぶ』と仰います。続いて身分剥奪の宣言。その途中、右の柱の陰でバルテル侯爵が咳を三回。聖女様が涙ながらに『わたしのせいで、ごめんなさい』と仰り、群衆から『なんとお優しい』と声が上がります。声の主はケッセル男爵夫人。最後に近衛が左右から二名ずつ、わたくしを連行して幕引きです」
「な、なにを根拠に、そんなでたらめ……」
「では続けてくださいませ。答え合わせをいたしましょう」
殿下は真っ赤になって口を開き――
「き、貴様のような毒婦が王妃になれば、国が……」
言いかけて、凍りついた。
右の柱の陰で、バルテル侯爵が、こほ、こほ、こほ、と三回咳をしたからだ。
どよめきが波のように広がる。聖女様の顔から血の気が引いていく。彼女は涙の準備をしていた目元のまま、泣くに泣けなくなっている。台本の途中で客席が騒ぐと、役者は続けられない。
「皆様、お静かに。誰も悪くありませんのよ」
わたくしは声を張った。
「殿下も、聖女様も、証人の皆様も――ただ、書かれた通りに動いていらっしゃるだけ。人間の悪意なんて、最初からどこにもございません。ですから確認したいのです」
大広間をぐるりと見渡す。
「この台本、どなたがお書きになったの?」
誰も答えない。当然だ。役者は自分が役者だと知らない。
ただ一人。
大広間の隅、書記席で記録を取っていた地味な文官が、ゆっくりと羽根ペンを置いた。
***
「……式典進行室の、リヒトと申します」
歩み出たのは、灰色の官服の青年だった。飾りのない眼鏡、インクの染みた指先。三度の人生で、名前を知る機会すらなかった顔。
なのに、なぜだろう。その声を聞いた瞬間、胸の奥が軋んだ。
「進行室……? 聞いたことがないな。何の部署だ」
殿下の問いに、リヒト様は淡々と答えた。
「王宮地下三階。国家の重要儀式の進行台本を管理する部署です。建国以来、王家の婚姻、戴冠、そして――排除は、すべて当室の台本に沿って執り行われます。筋書きから外れた場合、儀式は『不成立』となり、差し戻しが発生します」
「差し戻し……?」
「時間の、です」
ざわめきすら起きなかった。意味が分かった者が、わたくし以外にいなかったからだ。
――ああ。そういうこと。
一度目、わたくしは台本通り死んだ。けれど何かが不成立だった。だから差し戻された。二度目、わたくしは論破して筋書きを壊した。だから消され、それでも不成立で、また差し戻された。
運命の強制力の正体は、神様でも呪いでもなく。
地下三階の、お役所仕事。
「リヒト様。ひとつ伺います」
わたくしは彼をまっすぐに見た。
「あなたは、覚えていらっしゃるのね。一度目も、二度目も」
「……進行官は、差し戻しの記録を引き継ぐ義務がありますので」
彼は眼鏡の奥の目を伏せた。
「一度目。あなたの処刑の朝、私は台本の欄外に注釈を入れました。『恩赦の使者、刑場に間に合う』と。――却下されました。私の権限では、本文に触れられない」
「二度目は」
「『馬車の車軸、出発前の点検で交換』。……これも、却下」
インクの染みた指が、微かに震えていた。
「私にできるのは欄外への書き込みだけです。二度、あなたを救い損ねました。ですが規定を読み直して、一つだけ、本文を無効化できる条項を見つけました」
「……それは?」
「第七条。『当事者が儀式の進行中に台本の存在を看破し、開示を請求した場合、当該儀式は根本から無効とする』」
彼は初めて、顔を上げてわたくしを見た。
「三度目のあなたが、ご自分で気づいてくださることに賭けました。ですから今回は、注釈ではなく――台本のほうに、細工を」
毎回、秒単位で同じ進行。アドリブのない怒声。三回同じ場所で割れるグラス。
違和感が過剰なほど揃っていたのは、偶然ではなかった。彼が三度目の台本を、わざと「気づけるほど不自然に」書き直していたのだ。処分を覚悟で、欄外ではなく本文に手を入れて。
――二度も救い損ねた、と彼は言った。
わたくしが覚えていない場所で、この人は二回、わたくしのために却下されている。
「よ、よく分からんが!」
殿下が上擦った声で割り込んだ。
「つまりこの断罪は無効で、私は台本とやらに踊らされていただけ、ということか! ならば私に罪はない!」
「ございません。ですから殿下には罰ではなく、手続きを」
リヒト様は懐から書類の束を取り出し、事務的な速度でめくった。
「儀式無効に伴い、婚約破棄も無効。再度の破棄をご希望の場合は、こちらの申請書に理由を三十文字以上でご記入の上、証拠書類を添えて進行室まで。審査は最短で四ヶ月です。聖女殿の称号については別途、認定局への異議申立書が必要となります。様式が異なりますのでご注意を」
「し、審査? 私は王太子だぞ!」
「様式第三号にその旨をご記入ください。特記事項欄がございます」
真っ赤になって喚く殿下と、書類の山を前に立ち尽くす聖女様を、わたくしは静かに眺めた。
ざまあみろ、とは思わなかった。台本に踊らされていた人形たちに、今さら憎しみは湧かない。
ただ――お役所仕事が、これほど痛快なものだとは知らなかった。
***
夜会が解散した後の、無人の大広間。
「リヒト様。わたくしからも、開示請求をしてよろしいかしら」
「……何の台本を?」
「エルシア・ヴェルメリオの、この先の人生の分を」
彼は少し黙って、それから、堪えきれなかったように小さく笑った。三度の人生で初めて見る、進行官の素顔だった。
「白紙です。第七条が適用された当事者の台本は、以後、進行室の管轄外となります」
「あら。では、どなたが書きますの?」
「あなたが。……お好きなように」
「一人で書くのは、味気ないですわね」
わたくしは、インクの染みたその指先を見て、言った。
「共同執筆の申請書は、何号様式かしら」
彼は眼鏡を押し上げて、生真面目な顔に戻ろうとして、失敗した。
「――規定にありません。ですので」
差し出された手は、少しだけ震えていた。
「今、ここで、新しく作りましょう。第一条から」
わたくしは三度目の人生で初めて、台本のない夜を歩き出した。
【了】
お読みいただきありがとうございました。




