板と自販機
高校一年から三年の間、偶然にもずっと同じクラスだった、永野と山田。乗る電車も同じで登下校も一緒にしている。(付き合ってはいない)
放課後の教室。どこにでもある進学校。窓から身を乗り出して、景色を見ている女子生徒。その近くの椅子に座って、スマートフォンを横持ちしてなにかをしている男子生徒。その空間に、ただ二人がいるだけ。それだけのことなのに、これほど居心地が良いのは何故だろう。
「ねぇ、山田。私って本当に存在していると思う?」
「は?」
「そう確信できる証拠はある?」
「どうしていきなり?そんな難しい質問永野らしくないね」
「それどういう意味?」
永野の膨れた頬が、夕日とはいえないまだ明るい日差しで照らされる。
「なんでそんなこと考えたの?」
「あそこに山があるじゃん。全部薄っぺらい板に絵が描かれてるだけだったら面白いなって思ったんだ」
「永野自身もそうなんじゃないかって思い出したってこと?」
「そう!やっぱ山田は理解するのが早いな」
なんでこいつのほうがドヤ顔してるんだろう。
「おれは、永野が板だったら面白いとは思わないかな」
「なんでー?好きだから?」
「なんでそうなるんだよ。まあそうだけど」
「マジで?」
「いやラブじゃなくてライクな。勘違いすんなよ恋愛脳が」
「勘違いしてませんー」
「はいはい」
「お腹空いた。なんか奢って」
「永野に彼氏できたらなんか奢ってやるよ」
「こいつだるすぎ。この私に似合う男がこの世界にいるわけないじゃん」
「商店街のメンチカツでいいか?」
「え奢ってくれんの?まじ神!」
17時30分吹奏楽部の演奏と野球部の声が下駄箱まで聞こえてくる。北門を出てまっすぐ。四つ目の電柱があるところを右に行くと商店街が見えてくる。お肉屋で買ったメンチカツと自販機で買った缶のコーラを持って近くのベンチに座った。
「メンチありがと」
「明日なんか奢れよ」
「明日日曜だよ?山田クンは日曜日に学校にくるほど真面目ちゃんだったの?」
「うっざ。間違えただけな」
缶を開けた音が妙に大きく感じる。
「てかさ、好きな人が板だったら嫌ならさ、嫌いな人だったら板でもいいと思う?」
「嫌いって言うか好きじゃなければなんでも板でいいと思っちゃうな」
「えじゃあクラスの大半が板でも気にならんの?」
「そうなるかもね」
「私は、どんな人でも板だったら嫌だな」
「なんで?」
「わかんない。正直ただの綺麗事かもしれない。逆になんで山田は他人なら板でもいいって思うの?」
「だってそっちのほうが楽だから」
「どうして?」
「だれがなにを考えてるのかとか考えるのめんどいじゃん。最初から板だったらそんなこと考えなくていいしさ」
「確かに。だったらさ、実際に板じゃなくても他人は板だって仮定したら良くない?」
二回しか口に運んでないコーラはすでにぬるくなっていた。
改札と券売機位しかない小さな駅で電車を待っていた。
「さっき永野が言ってた、板じゃなくてもそう仮定すればいいってどういうこと?」
「山田でもわかんない?私の天才的なひらめきが」
「詳しく聞いたらわかるし」
「負け惜しみー」
「いいから早く聞かせてよ」
「せっかちはモテないぞ」
「うっさい」
「じゃあ説明してやるか。他人の考えることなんていくら考えてもわからないんだから考えても無駄じゃねってこと」
「なるほど」
遠くで踏切の音が鳴っている。
「ねえ山田。電車1個見送らない?」
「やだよ。野球部の連中と電車被るじゃん」
「まだ帰りたくない」
「帰ってゲームしたい」
「…まだ一緒にいたい」
こんな言葉を無視できる男子高校生はいるのだろうか。いやきっといるはずがない。僕は、席を立った。
向かった先は自販機。
「フェンタオレンジかグレープどっち?」
嬉しそうな永野の顔がいつもより輝いて見えた。
「グレープ!ふるふるゼリーのやつね!」
ゼリーのフェンタとDr Papparを持って永野の隣の席に座る。
「ありがと。なんそれおいしいの?」
「おれもわからん。初めて飲む」
Dr Papparを開ける
「なんか匂いキツくね」
「うわまっず、なにこれ」
「えそんなに?一口ちょうだい」
「そっちもくれたらいいよ」
互いの飲み物を交換した。
「なんかゼリー出てこないんだけど」
「山田振ってないのに開けてんじゃん。どうやって振んの?」
「やばくね、手で押さえて振るしかないやん」
「なんこれ!タイヤの味すんだけど」
そうこうしている間に二人が乗る予定だった電車は過ぎていった。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。だれもが知っていることだ。きっとこの瞬間、僕に流れている時間は電車を優に越える速度で流れているのだろう。ずっとこうしていたい。時が止まってほしいと強く願うほどより速く時間は進んでしまう。
「電車見送って良かったでしょ?」
「たまには良いかもね」
嘘だ。
「私のこと好き?」
「好きじゃない」
嘘だ。
「さっきは好きって言ったじゃん」
「覚えてないね」
「じゃあ私のことどう思ってるの?」
「嫌いとも普通とも思ってないよ」
本心だ。
「好きってことじゃん!」
「さあね。うわ、来たよ野球部」
「なんか不都合でもあるの?」
「二人でいるの見られると恥ずかしいじゃん」
「ただの板に見られたって気にすることじゃないね」
「さっきはどんな人でも板だったら嫌って言ってたじゃん」
「この一時間で変わったの。いまは家族とか仲良い友達以外は皆板なの」
「おれもそういう考え方しようかな。その方が楽しそうだし」
「こういう考え方だとさ不思議と周りのことなんかどうでも良くなってくるよね」
「うん。おかげで隣にいる人に集中できる」
「私のこと大好きじゃん」
「お互い様でしょ」
「そうかもね」
次の電車は10分後。10分なんて瞬きすらできないほど短い時間だ。そんな一瞬をできるだけ引き伸ばすために、できるだけ楽しくならないように。電車がくるまで、二人の間に会話はなかった。話そうと思えばいくらでも話せる。でも、話さない。時間が止まってほしいから。たぶん、永野も同じことを思っている。もしくは、ただ眠くて、話さなくなっただけかもしれない。
改札を通りホームに立つ。
風の音と板の軋む音しか聞こえない。
電車に乗る。席に座ってすぐ永野は寝てしまった。6駅先の西樽で永野が降りる。僕が降りる駅はその5駅先の藤飼だ。
「次はー西樽ー西樽ー」
「永野、起きろ。」
「おはよ」
「次の駅だって」
「無問題」
「寝ぼけてない?」
「そんなわけないじゃん」
「今日は楽しかったよ」
「今日はじゃなくて今日もでしょうが」
「そうだね。今日も明日も明後日も」
「明日は学校ないから会えないって、昼間言ったじゃん」
「そうじゃん。電話でもする?」
「ナイスアイデア」
「もう着くね、西樽」
「じゃあ最後に1個いい?」
「なにが?」
「私って本当に存在していると思う?」
「存在してるよ」
「絶対?」
「絶対」
「そう確信できる証拠はある?」
「ないよ。けどそう信じてるから」
「右側のドアが開きまーす」
「じゃあまたね!」
そう言って永野は、僕の知らない町に消えていった。あと5駅。寂しさと満足感が入り交じったような気持ちだ。幼稚園のとき、友達と遊び終わって一休みしているときに、親がちょうど迎えに来たような、そんな感じだ。
猛スピードで進む鉄の箱の中身は、相変わらず薄っぺらい板で散らかっていた。
藤飼まであと4駅、3駅と近づくにつれ、永野との距離が離れていく。言葉に表せない、変な気持ちだ。
藤飼に着いた。外はすっかり暗くなり、街灯に虫が集っている。
月曜がこんなに待ち遠しいと思うのはこの町で僕だけだろう。西樽にもう一人、同じ気持ちの人がいてほしいなんて思ってしまう。
家に帰り、風呂、晩御飯、ゲーム、歯磨き、横になってもまだどこか落ち着かないのは何故だろう。
もしも同じ1日をやり直せるならきっと今日を選ぶだろう。わからないことだらけの世界でそれだけは胸を張って言えることだ。




