【8話】クリスマスイブデート-2
「二人が動きだしたで。」
「向かっているのは、クラゲのコーナーみたいですね。」
ひときわ薄暗いその部屋は、壁に設置された水槽のほか、フロアを突き抜けるように柱状の水槽もいくつか設置されている。スポットライトに照らされた大小様々なクラゲたちが水槽の中をゆらゆらと佇み、訪れる人々を癒してくれる。
『わぁ、綺麗。』
ゆずはが思わずつぶやく。無数に揺らめく半透明の生物たちは、まるで星空のように見えた。
『クラゲは英語でジェリーフィッシュだけど、こうも綺麗だとジュエリーフィッシュって呼んでもいい気がするよね。宝石みたいだし。』
律葵がロマンチストみたいな、それでいて少しズレていそうなコメントを添える。手を繋いで二人で水槽を覗き込んでいる様子は、傍から見る分にはとても仲睦まじく、まるでこの後破局するようには見えない。ところで、ジェリーフィッシュからわかるように、そいつらはゼリーみたいなもんだ。というか、身体の95%が水らしいから、もはや水だぞ。宝石だなんて烏滸がましい。
「語くん、そういうのが余計やねん。自分、絶対大水槽の前で「美味しそう」とかいうタイプやろ。」
え、ダメなの。なんなら、帰りに寿司食べに行っちゃうけど。
「デリカシー、学んでくださいね。減点です。」
数種類のクラゲの水槽を巡り、二人が最後に足を止めたのはミズクラゲの水槽だった。体長15~30センチ程度の中型のクラゲで、日本の近海でも見られる。クラゲと言えばこれをイメージするのがミズクラゲだ。ミズクラゲたちは水槽の中をたゆたうようにゆらゆらと漂っていた。
『なんだか、クラゲって自由だね。悩みとかないのかな。』
『脳がないみたいだから、悩みもないんじゃない。』
ゆずはがぽつりと呟いた言葉に、展示の説明を読みながら律葵は答える。
『そっか。君は悩みがないのか。羨ましいね。』
水槽を指でつつきながら、クラゲに言葉をかける。
『ねえ、ゆずは。見て見て。このミズクラゲって、別名MOON JELLYって言うんだって。月のゼリーか。そういえば、クラゲって漢字だと海に月って書くよね。月からの使者か何かなのかな。』
『たぶん、海の中にいる姿が月に見えるとか、そんな理由だと思うよ。』
『そっか。なるほどなー。…なあ、ゆずは。月が綺麗ですね。』
クラゲを月になぞらえ、文学的にその気持ちを伝える律葵。こいつ、バカなのかロマンチストなのか微妙に頭の回転早いのかよくわからんな。
『…ねえ、りっくん。』
少しの沈黙の後、ゆずはは律葵の名を呼ぶ。絞り出すような声で。その顔は俯き、表情は読めない。
『私、クラゲが羨ましい。』
『どういうこと?』
『私、自由になりたいの。…私たち、終わりにしよう。』
『…なんでそんなこと言うの?』
『ごめん…。』
『ごめんじゃわからない…。』
突然のゆずはの話に、戸惑いを隠せない律葵。なぜ何の前触れもなく、別れを告げられたかわからない。わからないけれど、何か言葉を発さなければ、ゆずはとのこの関係は終わる。それだけは、それだけは受け入れられない。
『…りっくんはいつか私を受け入れられなくなるから!ごめんなさい!』
振り返ることなく、ゆずはは走り去った。ぽつり残された律葵。ゆずはの最後の言葉とその表情が頭から離れない。ゆずはの頬を伝った涙がまぶたの裏に焼き付き離れない。行き場を失ったプレゼントの紙袋が、ポケットからぽつりと落ちた。




