愛の詩を送ろう④
ひとしきり叱られ、萎れたハーファを置いてパルマはダイバテインの市場へ繰り出すことになった。当然かのような顔でついてくるシルバの両手には、ディンが支度金を使い果たして集めた金銀装飾がぶら下がっていた。
「まったくもう!!」
パルマはふつふつと沸く怒りに任せ、乱暴な足取りでキンド大通りを北へ向かうと、西側に伸びる路地へと入った。
その通りでは軒に商店が連なり、店からは店主が顔を出して猥雑な掛け声で客寄せを行っていた。王都とはまた違う雑多な商店街、さすが交易の拠点でもある街だ、シルバは感心しながらも手慣れたように足を進めるパルマの後に続いた。
素性を隠すようにフードを深く被ったパルマは賑わう通りに興味を示すことなく通り過ぎると、細い路地に入ってすぐの店の前で立ち止まった。
「……チューク商店?」
「ここで買い取りをお願いしましょう」
この店は他の建物とは明らかに異なっていた。大体の建物は通りに沿うように平たい構造になっているが、『チューク商店』と呼ばれるその建物は1階の出窓が道路にはみ出るように突き出ていて、丸みを帯びた奇妙な形をしていた。
歪な構造の住処を好む種族に覚えのあったシルバは、嫌な予感がしながらもパルマに従って建物へ入ることにした。
店内へ一歩踏み入れたシルバの前には、まるで混沌を凝縮したような空間が広がっていた。
色とりどりの薬瓶がぎっしりと棚を埋め尽くし、その隙間からは薬草や小さな樹木が、まるで棚に寄生するかのように芽吹いている。
壁には魔力を帯びた武具がずらりと飾られ、空気はほんのりと金属と草の香りが混じった、どこか非現実的な匂いに包まれていた。
パルマはそそくさとその奇妙な棚の間を抜け、ふと足を止める。
目の前に現れたのは天井まで届きそうなほど巨大な本棚だった。
「……素敵」
古びた紙の匂い、どこか懐かしさを感じる香り。フードを外し、本棚を見上げるパルマの瞳は輝きに満ちていた。
ここには全てが詰まっている。過去の偉人たちが作り上げた歴史書、知を集約した魔導書……この世界は詩を紡ぐことで作られてきた。その体系化された言語が持つ魔法にパルマは魅了されてきた。そして出会ったチェロフという師。パルマはこの本棚を見るたびに自分を絶望の淵から救い出してくれた本たちとの出会いを思い出す。
「本が、好きなのか?」
「へ?」
「私は、歴史書以外は読んだことがない」
パルマは口の端から垂れるよだれをすすり、そういえばシルバが傍にいたことを思いだした。
それより、歴史書以外読んだことがない、ですって!? 世の中にこんなに素敵な本が存在しているのに!?
「もったいない! 『火の繁栄』も読んだことが無いのですか? 魔法の入門書ですよ!?」
「ないな。魔導書は魔導士が読むもので騎士が学ぶべきものではないと言われていた。基本的には王家にまつわる書物しか読むことが出来なかったからな」
「歴史書と言ってもジムニーの書いた『王家の繁栄と没落』とピエルネスの『王の足跡』では著者自身の視点の違いを楽しみながら読むべきです!」
「そこまでは……」
「じゃあこの本はおススメですよ! なんと各国の騎士団長への取材を元にした……」
「あら、パルマ?」
大きな金色の天秤が置かれ、本が山積みにされたカウンターの後ろから声が聞こえる。
「ごめんなさいね、気が付かなかったわ」
奥から現れたのは、体を隠すほどの巨大な帽子を被った女性だった。シルバはその姿を見た途端、腰に提げていた剣を抜き放つとその刃を突き付けていた。遅れてシルバが持っていた宝飾品が床に散らばる音が広がった。パルマが銀色の風が吹いたと見間違うような速さだった。
その表情から感情が表に出ることは無かったが、体中からは明確な殺意の匂いを放っていた。
「な、なにしてるんですかシルバさん!?」
「……なぜ『魔女』がここにいる」
「あら、ずいぶんな挨拶ね」
切っ先があと数センチ伸びれば命を失う状況で、その魔女は微笑みを崩すことはなかった。帽子からのぞく紫と黒の交じり合った髪、見目麗しい肢体とその見た目にそぐわぬ古めかしき雰囲気。絶えぬ微笑みと品定めするかのような目つきにシルバは首筋の毛が逆立つのを感じた。
「ふふ……あなた、私たちに縁でもあるの?」
「黙れ」
「あら、魔女は魔女でも、私はこの街の立派な住民よ?」
「ちょっと……! シルバさん!」
見たこともない殺気を纏うシルバをパルマは止めようとするが、その声は届いていない。
近衛騎士団が愛用するドワーフ謹製の武器。ミスリル製で空気さえ切り裂くと言われるブレードの切っ先が、じりじりと魔女の喉元に近づく。
「やめてください!」
喉が痛いほどの怒声を上げたパルマが素早く、そして小さく聖なる理を謳う。その瞬間、一筋の風がシルバの頬を撫でたかと思うと、、次の瞬間には白銀の鎧ごと壁に叩きつけられていた。鎧に守られているとはいえ、その衝撃に二度三度せき込むのが限界だった。
「わーお……大丈夫?」
驚きか哀れみか、魔女は自身に切っ先を向けていた騎士に向かって声をかける。
立派な体躯の男が吹っ飛ぶのだから店内も無事であるはずがない。崩れた棚を一瞥すると、ジロッとパルマをねめつける。
「パルマ、高くつくわよ?」
「チュークさん、ごめんなさい……」
「まったく……」そう呟いて自分の存在を隠すかのような巨大な帽子をカウンターの上に置く。
奇妙な商店の主、チュークはひしゃげたパルマの耳を見つめてため息をついた。
※※※※※※※※※※※※
「ざっとこんなもんかしら」
「え……」
チュークがカウンターに置いた金貨を見て、元の形に戻っていたはずのパルマの耳が再び萎れていた。
1000ラルクあった支度金が400ラルクに……買い取りは二束三文となった。チューク曰く、壊れた棚には年代物の魔道具もあった、らしい。
パルマから向けられる濡れた子犬のような目に、チュークは微笑みで返すのみだった。
そのやり取りをシルバは一歩引いたところから見ていた。ハイエルフと言う悠久を生きる種族にしては、パルマはどうにも幼く見える。自身より長く生きているはずの彼女、その一挙手一投足が……シルバには熱い感情を湧き起こすものだった。
年齢は関係ないよな、そんなことを考えながらシルバは痛む背中をさすった。
「チュークさぁん」
「甘えた声出しても無駄よ。これでも色付けてあげたんだから」
「だって最初の半分もない……」
「あら、そちらの騎士様とあなた、それ以外にだれが責任取るのよ?」
パルマはジロリと振り返ってシルバを睨みつける。直立不動で立つ騎士は何も答えなかった。ただ片手で背中をさするその姿を見て、パルマも言葉が出ることは無かった。
「はぁ……分かりました。その代わり……」
パルマは萎れた耳をピンと起こし、壁一面を埋める本棚を指さした。
「本、好きなやつください!」
「はぁ、あなたねぇ……。まぁいいわ、ただし一冊!だけね」
「やった!」
一転軽やかな足取りで本棚へ向かうパルマを見送ったシルバは、カウンター越しのチュークと目が合う。
「あなた、どうしてパルマと?」
「……関係ないだろう」
「そう? 私の可愛い可愛いパルマが何の罪もない商人に剣を向ける男といるのよ? 気になるのが自然でなくって?」
「……私の?」
気になるところはそこではない気がしたが、聞き捨てならない。どうにも不思議だ、このチュークという魔女と話していると、失われたはずの表情が疼く。明確な敵意をぶつけるシルバに対して、チュークは余裕の笑みを崩さない。
「そんな顔ができるのね。でもね、私はそれじゃない」
カウンターの上に置かれたパイプを咥えたチュークは、本を平積みにしながら選ぶパルマに呆れた表情を向けて煙を吐く。
「残念だけど、良い魔女もいるってことね」
「どうかな」
シルバはふと、自分が吹き飛ばされたときのパルマの顔を思い出した。
次はあの程度では済まないだろうな。同じ街に魔女がいることを、シルバは認めるしかなかった。
※※※※※※※※※※※※
「ありがとうございました!」
『チューク商店』を出たパルマの足取りは軽かった。その胸には一冊の本が抱えられていた。
小粋なステップで商店街の道を歩くパルマは、フードで隠れているとはいえ笑顔なことが分かった。
「そんなに嬉しいのか?」
パルマはピタリと足を止め、振り返ったかと思うとシルバの顔に本を突き付けた。
「これはかのチェロフ様の”テリー王妃”シリーズの2作目、『テリー王妃と機密の部屋』です! 初版は持ってるんですが第2版もまさかあるなんて……!」
「……? そうか、良かったな」
本を教材としか考えていないシルバには理解出来なかったが、パルマが幸せそうなので良しとした。
目の前に突き付けられた本の表紙には、そのチェロフという著者の名前が金色の文字で刻まれている。
「そのチェロフ”様”というのは…」
「チェロフ様をご存じない!?!?!?」
デカボイスを響かせ、周りの人々から睨まれていることなど気にもせず、パルマはチェロフの魅力を語りだした。
突然現れたかと思うと脅威の速筆で恋愛を題材にした小説を大量に生み出してきた傑物。様々な恋愛模様を描き、その描写の細やかさはさながら現実。
特にチェロフは『十の心得』を生み出し、多くの作家に影響を与えた。
その1 愛はトーアの鏡のように
その2 言葉はレミールの語りのように短く、想いはローナ海のように深く
その3 贈り物はガリムの布に包むように
その4 沈黙もまたヴィヴィの詩
その5 バルトールの前でも踏み出す勇気を
その6 見返りを望まず与える心をパル=メクの祈りとせよ
その7 争いのときこそ、エルフの耳を澄ませ
その8 別れを恐れドワーフの門を閉ざすな
その9 小さな秘密はトマスとレルーの絆となる
その10 何よりもまず、自らを≪傷癒≫の光で包むべし
「パルマ殿は経験があるのか?」それぞれの意味を熱く語っていたパルマへ水を差したシルバは、氷のように冷たい目を向けられることとなった。そしてパルマの言葉が途切れたタイミングで、市場の通りを駆けるようにリュートの音色が鳴っていることに二人は気づいた。
聞き覚えのある音色……パルマはアンヒルの教会で見せたレーベンの表情を思い出した。
「この世の恋を成就させよ、か……」
堕落した吟遊詩人とはいえ仕方ない。パルマは一度レーベンを愛の教会に連れて行くことを決め、その音色を追いかけることにした。
『十の心得』その5を呟きながら。