愛の詩を送ろう③
「ふがっ」
まぶしい……。愛の教会とは違う、ヒビの無いステンドグラスが七色に光っている。目を覚ましたパルマはその光景を見て、自分が教会内の寝台で横になっていることに気づいた。
「おはようございますー。朝ごはん、食べますかー?」
「あ、お、おはようございます……? これは……?」
そばにはラミアが簡素な食事を持ち、柔和な笑顔をパルマに向けていた。ラミアはパルマを誘うように教会の中に置かれたテーブルに着かせ、手慣れた様子で食事を目の前に置いた。教会を仕切るように伸びる長テーブルには多くの人々が座り、食事をしていた。まるで教会ではなく、市場に連なる食堂の一つと言われても分からないだろう。
何が何だか分からないまま、パルマも目の前に出された朝食に手を付ける。
「アンヒルでは毎朝配給を行ってるんです。家の無い人や貧困を抱えている人たちにぃ」
「……こんなに」
ダイバテインは王都の次に大きな経済規模を持っている。特に種族間戦争の停戦後、大陸中央に位置するこの街では各国間で貿易が再開、王都へもたらされる富の約三分の一をダイバテインが補っていると言われている。
その街ですら戦後の荒廃の影響で貧困から抜け出せない人々が一定いる……。
結局誰も救えていない、奇跡を起こせてもこんなにも苦しんでいる人たちがいる。自身の無力さを感じるパルマに、ラミアは変わらない微笑みを向ける。
「一歩ずつ、ですよ。私たちは信じるものを大事に、やれることをやるのみ、ですぅ」
「……そうですね。ありがとうございます」
──励まされちゃったなぁ。ラミアは慈愛の神官として立派に務めを果たしている。
パルマは教会に引きこもっていた頃の自身を恥じ、そしてこれからの自分に期待しよう、そう思った。
「……あの、そういえばレーベンさんは」
「あそこですよー」
ラミアの指す方を見ると、恐らく教会で世話しているであろう子どもたちがレーベンを囲んで楽しそうに笑っていた。
いや、笑われている、という表現が正しいだろうか。
今の時代となっては奇跡にも等しい≪傷癒≫とはいえ完全には怪我を治すことはできない。完全に癒すことが出来るのは≪大癒≫ぐらいのものだろう。
目の上を腫らしたレーベンが鬱陶しげに子どもを追い払うほど、その仕草に釣られて余計に子どもたちの笑い声は大きくなった。
「もうー」そう呟くと、ラミアは子どもたちのもとに駆け寄り、その行いを正すよう注意していた。
いつもの調子でレーベンがラミアに絡むようだったら……パルマはすぐにでも動けるようにしていたが、そうはならなかった。むしろレーベンはラミアを前に叱られている子どもと同じように静かだったからだ。
あの酒場での姿はなく、もじもじと足元の小石を指で遊ぶだけだ。チラチラとラミアを見てはいたが。
ラミアがパルマの元に戻ってくるときも、レーベンは名残惜しそうにその背中を見つめるだけだった。
「レーベンさんは優しい方ですねぇ」
「……そうですか?」
レーベンの軽薄な振る舞いしか見ていないパルマは小首をかしげる。
「最近街に来たみたいで。なぜかよく顔を腫らしてきますけど、子どもたちにも優しいですしぃ」
「ふーん……。あの子たちもここで?」
ラミアに注意されて一瞬は静かになっていた子どもたちは再び標的をレーベンに戻したようだった。しかしレーベンはもうあしらうようなことはせず(面倒そうではあるが)、子どもたちの遊びに付き合っている。そんな光景を見つめるラミアの顔には優しさが溢れているようだった。
「あの子たちは国境際の紛争で家や家族を失ったんです。大きくなるまでちゃーんと面倒みますよぉ」
これが慈しみかぁ、分け隔てない優しさに敬意すら覚えたパルマは、昨日からの話をラミアから聞くことにした。自身が寝てしまったこと、シルバがあの後すぐに帰ったこと、今がお昼近いこと……。
あれ、昼? 確かに日が高い気はしていたけど……まずい、教会……!
「あ、あの、私戻らないと! ラミアさん、また来ますね!」
「あらぁ、また来てくださいねぇ」
神官としての務めを思い出させてくれたラミアに深いお辞儀をして、パルマは教会を飛び出た。
愛の教会はアンヒル教会と違い、キンド大通りには面しておらず、さらに5つの小道を挟んだ狭い区画に位置している。その小道を風のように走り抜け、教会に辿り着くとすでに教会はその扉を開けていた。
乱れた服を正し、教会の中に入るとそこには昨日ぶりの騎士が椅子に腰かけて座っていた。
「お、おはようございます」
「こんにちは、だな」
気の利いた冗談でも言ったつもりだろうか、イラっとしたパルマは冷めたような顔の騎士を無視して、教会の庭を抜けた先のパルマの家でもある司祭館に向かう。
まずは一刻も早く着替えたい──酒場の煙草と油の匂いが香る服をつまみながら扉へと歩み寄ると、不意に耳障りな下卑た笑い声が聞こえ、尖った耳がさらにぴくりと反応した。
延々続く不快音を辿ると、どうやら祭事にまつわる道具などを保管する部屋が発生源のようだった。
この声色から察するに……嫌な予感しかしない。
そっと扉に手をかけたかと思えば、一気に押し開く。
目に飛び込んできたのは、金銀の細工が施された調度品や宝石に囲まれ、恍惚とした笑みを浮かべるディンの姿だった。
「……何を、しているんですか?」
鉄仮面の騎士にも負けず劣らずの顔で立っているパルマの姿。芯に冷えたパルマの声が響く。ディンの顔からは笑みと品のない笑い声は消え、外から静かに鳥の声だけが聞こえていた。
「パ、パルマ。これは違うんじゃ……」
「何が、違うんですか?」
鋭い視線のまま笑みを浮かべるパルマを前に、ディンのつやつやの頭からは汗がしたたり落ちていた。
教会の中で剣の手入れをするシルバの耳に、地を揺らすほどのパルマの怒声が響いた。守るべき対象、世界一の可愛さを持つパルマを守ると決めていたシルバは、最短最速の動きでパルマの元へ駆けつける。そのシルバの目に映ったのは、怒りの化身と化したパルマと情けない恰好でつまみ上げられるハーファの老人の姿だった。
「ディン!!! 何よこれは!」
古びた教会には似つかわしくないほどの財宝の数々に囲まれながら、足をプランとさせたディンが弱々しい声を上げる。
「これは自分の金でじゃな……」
「嘘おっしゃいな!」
銀の笛のように美しい声がさらに跳ね上がる。
「う、嘘とはなんじゃぁ! それが親に言うことかぁ!」
「質素倹約はどこいったのよ! 自分のお金が減るの嫌がるくせに!」
「つ、使える金があれば使うんじゃい!」
「じゃあどこで手に入れたっていうのよ! プラプラ出歩いて教会に顔も出さず!」
「自分で稼いだ金じゃもんね! フン!」
「む、そういえば気になったことがあるな」
突然会話に割り込んできた騎士の存在に気づき、パルマは慌ててハーファの老人から手を離す。床に落ちた痛みでもんどりうつディンを気にすることなく、シルバは話を続ける。
「王都からの支度金をもらっただろう?」
「はぁ、そういえば……」
「何故教会の修繕をしないんだ?」
「それは……あら、そもそも支度金はどこに……?」
周りを見渡しても美しく光る財宝しか目に入らない。確かお金はディンに保管を頼んでいたはず……。もはや答えは出ているがどうしても本人に聞くしかない。
「……どこへ行くの? ディン」
盗賊のように静かに部屋から抜け出そうとしていたディンの動きが止まる。冷ややかなパルマの声とともに、扉の前には仏頂面の男が腕を組んで立ちはだかる。
「だって……あんなお金初めて見たんじゃもん」
「……!!!」
その日、二度目の地響きが起こった。