愛の詩を送ろう②
喧騒に包まれた「オイップの酒場」を抜け出し、パルマとシルバは暗い夜道を歩いていた。
見上げると、星が空を埋め尽くすように瞬いている。静かな夜だったが、シルバに担がれたレーベンからは呻き声が時折漏れていた。酒場での醜態を思い出し、勝手に気まずさを感じていたパルマは黙々と歩くシルバに声をかけた。
「そういえば……以前より明かりが目立ちますね」
「ん? そうなのか? ここの街は初めてだからな」
「あ~……」
再びの沈黙。会話の弾む小説のような展開にはならないなぁ……私にはそんな技術もないな、と落ち込むパルマ。
「……聞いた話だが、あの一件で魔法具の使用も増えたらしい」
「そう、なんですか……?」
「ああ。魔力を利用した魔法具は長年使用し辛い状況だった。だが今はこの街には生活に回せるほどの魔力がある。この街の明るさは、君の力のおかげだろう」
シルバは貼り付けた面のような顔をまっすぐパルマに向けていた。シルバが超がつくほどの堅物で真面目なことをパルマは経験上分かっていた。ゆえにその一言も本音だろうことが分かった。じわじわと顔に血が上っていく。
「え、あ……そ、そういえば〈星天祭〉というのがありまして…!!」
気恥しさで悶えそうになったパルマは慌てるように話をそらした。
「星天祭? 祭りか? ……確かに飾り付けが目立つな」
「で、でしょう!? このダイバテインでも人気のお祭りなんでふ、す……!」
今度は噛んだ恥ずかしさで顔を赤くするパルマ。
その慌て方を見て、シルバはこう思った。「可愛い」と。
二人(三人)が歩く道はダイバテインの主要な交通を担うキンド大通りから3つほど横に逸れた狭い裏路地だったが、左右を囲う建物の窓には花やランタンなどが彩るように飾られていた。暗い夜道に不定期で並ぶ魔法具の明かりに足元を照らされながら、ポツポツと二人は会話を続けた。「災厄の日」から迫害され続けた日々、ディンと出会ってからの放浪の日々、ダイバテインでの日々……。会話といってもパルマが自分の生い立ちを話し、シルバが言葉少なに相槌をうつ程度だったが。
「……それで今は教会の神官に」
「そうか……「災厄の日」から生まれていたということは、その、パルマ殿は年上なんだな」
はぁ? こんなにも壮絶な物語を聞いて感想がそれだけ? それもうら若き女性に対して年齢の話? 勝手に話したのは自分だと分かってはいるが、それでも静かな怒りがふつふつと湧き出し、顔が熱くなっていくのがパルマ自身でもわかった。額に青筋を浮かべて無言で微笑むパルマに、不動の騎士は表情を変えずとも今まで感じたことのない恐怖を覚えた。
「うぅ……こ、ここは……」
「目を覚ましたか? 通りまで出た。もう少しだ」
白い鎧に担がれていたレーベンが苦し気な声とともに目を覚ます。話題をすり替えるようにレーベンを介抱するシルバは、冷たい視線を突き刺さされていることには気付いていた。どうやら話している間にいつの間にか裏路地を抜け、キンド大通りに出ていたようだ。
「……アンヒルに」
「ええ、今向かっていますよ」
「い、いたい……」
「何故あんなことになったんですか? 一歩間違えれば殺されてましたよ」
「さ、酒場で寂しげな女性に出会って……彼女へ詩を捧げただけなのに……」
「本当は?」
真顔で見つめるパルマ、その美しい顔が逆に恐ろしさを生み出していた。その金色の瞳を、レーベンは直視することができなかった。
「一度寝ただけ……あ、二度です」
「愛の神官の前で……レーベンさん、あなた最低ですね」
「ああ、最低だな」
「私は吟遊詩人だ! この世界を巡って、様々な出来事を経験してその物語を歌い伝える、それが使命なのさ」
体のいいことを言っているが、愛の神の教えに背き、欲望に忠実に生きると宣言しているこの吟遊詩人をパルマは心底軽蔑した。自身の教義に基づいて生きる、それは神官とて同じだ。それでも、顔を晴らしてまでそんな破廉恥なことを堂々と言えるこの男に愛の神官として許すことはできない。
「シルバさん、早くその男をアンヒルに置いて終わりにしましょう」
「そうだな」
どんな時でも表情を崩さないシルバも、レーベンに多少の軽蔑は抱いていた。しかし、どこかで憧れに似た想いも持っていた。どこまでも正直で、感情赴くまま生きるレーベンは明らかに自分が持っていないものを持っていたからだ。
キンド大通りから5分程北に向かうと、アンヒル教会に行きつく。慈しみの神アンヒル、パル=メクと近しい存在だが、優しさに重きを置いており、全ての存在を平等に扱うことを教義としている。
夜も深い時間にも関わらず、教会の中に小さい光が見えた。質素な(とはいえパルマたちの教会とは比べ物にならないぐらい綺麗だが)扉を静かに叩いたパルマの前に、愛嬌のある返事が返ってきた。
「はぁい、慈愛の神に御用でしょうかぁ?」
現れたのはパルマにも似た特徴を持った美しき女性だった。ツンと張った耳(パルマの耳よりは丸みはあるが)に白い肌、深い青色の瞳は静かな海を想像させた。
「あら、あなた……」
「こ、こんばんは。私は愛の教会の神官、パルマールと申します」
「パルさん、私はラミアですよぉ。私、あなたのこと知っていますよぉ」
「……エルフの皆様にはその、ご迷惑お掛けしています……」
パルマは知っていた、あの日以来、ハイエルフと近しい種族のエルフにも迫害の手が及んだことを。パルマの種族と近いエルフは、元々他種族との交流を避けて暮らしていた。だがそれでも少なくない数が他種族の領地に住んでおり、多くは迫害の対象となった。
「迷惑……? パルさんはあの祝福をもたらした方でしょう? 私、光を見た時とっても暖かい気持ちになりましたよぉ」
「あ、なんで……」
「有名になってますよ。トムバーグおばさんから聞きましたからぁ」
「あのバ……おば様が、そうだったんですか」
ダイバテイン1の噂好き、世界中に耳があって彼女に知られれば5秒で世界に知れ渡ると噂されるトムバーグおばさん。彼女に知られたらおしまいだ。観念したように作り笑いを浮かべるパルマ。
「……あらぁ、レーベンさん?」
ラミアはシルバの方にぶら下がるレーベンを見て、不思議そうな表情を浮かべた。
「また何かあったんでしょうかー?」
「や、やぁラミア……少し、助けてほしくて……」
顔を赤く腫らしたレーベンが弱弱しい笑顔をラミアに向けると、「あらぁ」おっとりした声からは想像もつかないほどてきぱきとシルバを教会に案内して布団を敷くとその上にレーベンを寝かせた。手をかざしたラミアが詩を紡ぐと、柔らかい光がレーベンを包んだ、神聖魔法の一つ≪ヒルノ≫だ。光はレーベンの傷を癒し、その表情から見ると苦痛は少し和らいだようだ。
「私、神聖魔法を全然使えなかったんですー。でもあの光が起きてからこの通りですよ。パルマさん、あなたがもたらした光は、神に仕えるものたちに希望を与えてくれたんですよー」
「そんな……私、そんなこと言われたの初めてで……」
「辛かったでしょう、でも皆パルさんに感謝しているはずですよー」
パルマは、自分の頬から伝う涙に気づいた。気付いた途端、嗚咽を止めることができなかった。これまで自分の存在全てを否定されてきたように感じていた。誰からも必要とされず、誰からも愛されることが無かった自分の人生に、光が当たったように感じた。「皆さんのお役に立てて良かったです」そんな言葉を発したつもりだったが、口から出ていたのは言葉ではなかっただろう。
なんとなく、シルバは視線の行く先を探した。教会内には寝台がいくつか置かれ、その上にはけがをした者や幼い子どもが寝息を立てていた。
「……この人たちは、この街が拾いこぼしている人たちですー」
いつの間にかシルバの横に同じ光景を優しく見守るラミアの姿があった。シルバは振り返ると、泣きつかれたのかチャーチチェアに寄りかかっているパルマと、顔の腫れが引いたレーベンが寝息を立てていた。
「お疲れのようだったのでー」
「そうだな……」
「……ダイバテインには多くの種族が住んでいますー。その中には定職を持てず、路地裏に住み着いたりする人も。アンヒル様は”慈しみ”を大事にしています。私たちはすべての人々を救いたいのですー」
「すべて、か。中々、大変そうだな」
「いいえー、騎士様に比べれば―」
「彼女も、な」そう言ってパルマを見やるシルバ。よだれを垂らしながら眠りにつくパルマを見て、シルバはこう思った。「可愛すぎる」と。