産休2
キーンと耳鳴りがするほどの無音だった。
もちろん、この沈黙を破ったのは彩さんだった。
彩さんの”いつも通りの”笑い声が更衣室に反響する。
「──惨めなのはあんたでしょ」
いつも通りの声色。
「結婚するんだってみじめったらしく弁当まで作って馬鹿みたいだった。元から少ない給料を節約したってたかが知れてるのに、頑張ってます感出されても、それがなに?ってほんとうざかった」
そういえば、彩さんに飲み会やショッピングなんかに誘われても付き合いが悪くなっていた気もする。
断るたびに『自分磨きをしないと彼氏に飽きられちゃうよ』とか『自分に投資して、自分の価値を高めてるんだからお金を出すのは彼氏の義務』なんて彩さんは言っていた。
「結局捨てられて、金までとられて、あんたには何にも残ってない。使われただけなのにイタいんだけど」
彩さんから見れば、私は目ざわりだったのだろう。愚かで、目障りで、わからせてやりたくなるぐらい。
「あんたは私の代わりに手切れ金を払っただけ。ご苦労様」
先ほどまでの勢いは無く俯いて黙っている私に満足したのか、今度は優しい手つきでロッカーの扉を閉めた。
「辰己に捨てられたからって不誠実とか言うの笑っちゃうんだけど。あんたに魅力が無いから大切にされないだけでしょ?
辰己が言ってたよ。あんたみたいな地味で自分の意志が無さそうなのはつまんないって。寄生虫みたいに依存されそうで怖いんだってさ」
あはは、そうだ良いこと教えてあげるっ!とやけに明るい口調だった。
「──奥さん、あんたのこと恨んでたでしょ」
胸の前で手を組んで、頬を染める様子は言葉と全くマッチしない。
「奥さんが帰国してから、歳も歳だから早く子ども作ろうって必死になっちゃってたらしくて。おばさんに迫られた辰己の気持ちが萎えてるのに気付かないのかな?って色々教えてあげてたらね……」
何が面白いのか大きく笑いだし、前かがみになった。
彼女の長く整えられた爪は健在で、お腹を落ち着かせるように撫でていた。
「──奥さん、やっと妊娠できたのに、だめだったんだって」
かわいそ~と、場違いな明るい声が聞こえた。
「あんなに、ワタシは男性と肩並べて働いてます!って顔してるのに、メンタル激弱(笑)まあしょうがないよね。歳だし」
あの日、初めて三山夫人を見かけた日。
三山夫人は辰己と視線を合わせ、とても穏やかな顔をしていた。前向きに、現実を見据えた大人の女性の顔をしていた。
あの顔の裏では、きっと色々な感情を飲み込んでいたのだろう。
それと同時に、あの謝罪の場での『もうほっといて!!!』という三山夫人の叫び声が頭の中でリフレインする。
「でもまだ辰己を離さないからさ。いい加減気付けって、私と辰己の赤ちゃんのエコー写真とあんたの写真を手紙で送ってあげたら、発狂してておもしろかったよ」
『あの写真だって』
『都合が悪くなったら消せると思ってるの!?』
三山夫人の怒りの中にあった悲しそうな目が、泣き伏していた場面がぐわんぐわんと揺れた。
「あんたたちが勝手に共倒れしてくれて助かったわ。結局、辰己は私を選んだの。あんたも、あのヒスってた嫁も、捨てられたってこと」
彩さんの、勝ち誇ったかのような目がギラギラとしているように見えた。
「……そうまでして手に入れたかったんですね」
私は、この人の何を知ったような気になっていたんだろう。




