資格
静まり返ったオフィスの、自分のデスクの上だけ蛍光灯をつけさせてもらってカタカタとキーボードを打ち込み続ける。
もうとっくに終業時間は過ぎたが、家で待たせている人もいないので時計は見てない。ダラダラ残業している訳じゃないことは言っておこう。
あの花田さんに連れられ客先に出向いた後。
花田さんが言っていた『私生活なんて会社には関係ない。仕事さえしっかりしてくれれば』という言葉に嘘は無く、噂は自業自得だと知った後も花田さんの態度は以前と変わらない。
むしろちょっと変な態度を取っているのは私の方だ。
なんやかんや花田さんに気を遣わせてしまっている現状が情けなく、私も花田さんのように強くなるのだと意気込んだものの。やっぱりちょっと気負っているかもしれない。
集中力が切れたのか、手が止まってしまったところで自分の頭上以外の電気が光ったことに気付く。
「──なんだ、まだ残ってんのか」
噂をすれば花田さんである。直帰と聞いていたのに、やっぱり戻ってきた。
「お疲れさまです」
いつも不思議だったのだ。直帰したはずなのに翌日には置かれる花田さんのメモや書類事象が。妖精さんが置いてるわけでも、メモが湧き上がっているわけじゃないようで安心した。
こうなるまで私は長らく終業時間でキッチリ帰っていたので知らなかったが、どうやら花田さんはワーカーホリックらしい。
花田さんは何やら美味しそうな匂いをまといながら私のデスクをチラリと覗いて、足を止める。
「俺の優秀なアシスタントの森田サン」
「はい。花田さんの忠実なアシスタントの森田です」
なぜか低くなった声色にびくびくしながらも、手は止めない。止めてはいけない。
「このT社は俺の担当じゃないんだけど?」
どうやら花田さんは自分の手下が、別の営業担当分の仕事を残業してまでいることに気付いてご立腹らしい。
でも、これには一言では語れないドラマがあったのだ。それをいちいち説明するのも面倒で、「わかってますよ。でもアシスタント内で分配がありまして」と営業スマイルを返した。
先週、花田さんから詰められた清水さんたちはあからさまな嫌がらせは止めて、こういう手法に変えたのだ。
担当範囲外の仕事の分配バランスを聞いてみたが、彩さんが産休に入る前に”調整”しているのだとか。あきらかに彩さん担当分以外のものも入っているが、誰かがやらなければならないものだ。
今まで定時で帰らせてもらっていたし、他の営業が何をしているのか、何を求めているのかを知れるのは存外楽しい部分もある。
自分の中では納得して受け入れたことなのだが、自分のアシスタントが割りを食わされていると思ったのか花田さんはスーツをデスクに放り投げて近くの椅子を寄せて乱暴に腰掛けた。わぁ~投げ出された脚が長い。
「あー、業務に支障があるなら俺から……」
「いえ、大丈夫です! 早く帰る必要もありませんし、むしろ今は仕事ができるならしたいので助かってますから」
またあの地獄の空気を味わうわけにはいかない!あの日、取引先に頭を下げろと機転の利いた演技(?)のおかげで気付かれていないと思うが、フォローも二度目ともなれば花田さんが私を助けようと気を回してくれていることが露見してしまうかもしれない。
そんなことが公になれば、今度は花田さんまで色々面倒なことで絡まれる。それこそ面目が立たないじゃないか!
じとーっとした目で見てくる花田さんに、心配いらないとアピールするように目を合わせて壊れたカラクリ人形のように頷きまくる。
気持ちが通じたのか「そうか」と諦めたような溜息が聞こえた。危なかった。納得してもらえなかったら首がおかしくなるところだった。
「ま、それよりこっちの仕事を手伝え」
T社の資料の上にバサリと新しい書類が乗せられた。T社の資料は急ぎじゃないので、それはいいんですけど……書類に軽く目を通して頭をひねる。
それは営業アシスタントの業務範囲を超えている内容で、もちろん未経験の分野だった。
「これは……まだやったことないですね」
「その方が頭使うだろ。もっと手数を増やして、返済の見通しを見せてくれ」
にやりと悪い顔で花田さんはそう言った。
あの日話した”1.5倍の恩返し”の件、というわけだ。まだ私に”期待”してくれているのかと、胸が温かくなる。
そう言われてしまえば否はない。ちょうど興味はあるし、この業務の勉強がてら資格でもとろうかと思っていたところだった。
いそいそとカバンの中から資格の本を取り出し、表紙を花田さんに見せながら「受けて立ちます」とドヤ顔を見せた。
花田さんはそう返事があると想定していなかったのか、目を丸くさせ驚いていた。意表を突かれた顔も整っているな、とちょっと思った。
うちの会社は資格取得奨励制度が整っている方なので、資格や勉強はすればするほど手当がもらえる。これを活用しない手はないと思っていたのだ。彼氏も遊ぶ金もない独身の私のためにあるような制度だ。そうに違いない。会社からむしり取ってやる。
私のドヤ顔がツボに入ったのか、しつこいぐらい笑った花田さんの伏し目がちな顔を横目で見ながら、そういえば次のタイミングで花田さんは主任から課長に昇進することを思い出した。
花田さんが課長になっても、私はアシスタントのままでいられるだろうか。
───「俺が課長になるんだから、お前も主任ぐらいになっとけよ」
いつかの花田さんの言葉を思い出す。
あの時は諦めていたけど。
「花田さん、私がアシスタントじゃなくなっても新しい子にキレたりしないでくださいね」
「あ? お前、辞めるつもりなのか?」
今日の花田さんはゲラゲラ笑ったり驚いたりドスを効かせたり忙しそうである。普段の無愛想さが嘘のように表情筋が動いている。普通に怖いのでその顔はやめてほしい。
今、ここは会社で。オフィスにいるというのになんだか気安い空気に私も久々に気が緩んでいるのか、「いいえ?」と子どもみたいにクスクスと身体を折って笑う。ひとしきり笑って、正面に向き直った。
「恩返しに向けて、まず手始めに強くなろうかと思って。”課長”を見習って」




