9.愛の歌
「~~♪」
軽やかに弾むように、時に高らかに伸びやかに、はたまた不穏に重々しく。
不思議で美しく、残酷な妖精の世界を表現した曲をカテリーナは歌う。
瞼の裏にはかつて見た幻想的な舞台を思い浮かべ、浮き立つ心の赴くまま最後の一音まで歌い切る。
そして一息吐いたカテリーナの耳に聞こえてきたのは、小さな拍手の音だった。
「っ! マリー、すみません。うるさかったですよね」
「ふふ、そんなことないわ。とても素晴らしかったわ。ノクスも嬉しそうにしていたわよ」
「ワフ!!」
マリーは少し驚いた様子ながらもニッコリと笑っていた。犬姿のままのノクスはブンブンとご機嫌に尻尾を振り、嬉しそうに吠える。
カテリーナたちは仕立て屋での注文を終え、ホテルの部屋へと戻っていた。ヴィクトールだけは別の用事がある、ということでマリーを椅子の上に丁重に設置して再び外出している。
ホテルに戻ったのだからノクスも人型に戻って良さそうなものだが、誰が訪れて来るかも分からない、ということで日中は犬型で居るように指示されてしまっているのだった。
同様にカウィも鳥の姿で、部屋に備え付けられているメモ帳を引きちぎっていた。
中身が魔族と思えない凶行に、そっと視線を反らす。
「芸術祭用に注文したドレスが『妖精姫』のイメージだったから、つい舞台を思い出しちゃって」
「ふふふ、カテリーナは歌が好きなのね。やっぱり、舞台女優で居たかったかしら?」
「……そう、ですね。でも普通にしていたら多分、舞台どころか生活も危うかったみたいですから。だから、マリーに声を掛けて貰えて助かりました」
「そう。それならわたくしは、あの失礼なお嬢さんに感謝しなくてはいけないわね」
マリーは楽しそうにクスクスと笑う。
言っていることは酷いが、確かにテドの歌劇場に所属できている状況だったら多分ノクトとも出会っていない可能性が高いし、王宮行きについてももう少し抵抗したと思う。
なんとも微妙な気分で眉間に皺を寄せているカテリーナを他所に、マリーはコトリと首を傾げた。
「それにしても『妖精姫』の歌といったら、劇後半のアリアじゃないかしら?」
「う……。そう、なんですけど」
へにょりとカテリーナは眉を下げる。
歌劇『妖精姫』は、妖精の国の好奇心旺盛なお姫様が勝手に妖精の門をくぐって人間の国に行き、人間の王子と恋に落ちる物語だ。
恋仲となった王子と妖精姫は将来を誓い合うが、ある日突然、妖精姫が倒れてしまう。人間の国に長い時間居ることが、妖精にとっては毒だったのだ。
妖精の国に戻るよう、迎えに来た妖精が説得するが、妖精姫は「この愛こそが生まれた意味。この愛を捨てるのであれば、それは死に等しい」と拒絶する。
しかしそれを聞いていた王子が「離れていたとしても、この愛は消えない。だから、どうか生きて欲しい。妖精の国と人間の国に分かたれたとしても、永遠に想い続ける」と妖精姫に誓う。
そして妖精姫は妖精の国に戻り、王子とは1年に1度、妖精の門が開かれる日にだけ逢って生きていくことになるのだった。
先程カテリーナが歌っていたのは、序盤に歌われる妖精の国の曲だ。そしてマリーが言うアリアは、王子への愛を高らかに歌い、妖精の国へ帰ることを拒むシーンで歌われるものだった。
「歌えるんですけど……」
「どうしたの? 折角なら聴きたいわ」
「その……。気に入らなくても、文句は言わないでくださいね?」
そう前置きして、カテリーナはアリアを歌う。
歌劇『妖精姫』の代表曲として有名な、愛の歌だ。
自身を滅ぼすことも厭わないほどの深く、強い愛。
何を代えても求める、唯一の存在。
故郷への決別。
そんな強い想いを綴った詩を、切なくも美しいメロディーに乗せて歌い切る。
「…………平凡、ね」
「ですよね……」
先程歌った時とは違い、マリーはとても微妙な表情だ。
ノクスまで、どことなくしょんぼり気味だ。ぺしゃりと耳が伏せてしまっている。
あからさますぎる観客の反応に、カテリーナも肩を落とした。予想はしていたけど、こうも分かりやすい反応をされると悲しくなる。
「私、自分の経験にないような曲は感情をちゃんと乗せられなくて、うまく歌えないんです。だから、恋とか愛の歌が苦手で……」
「愛の歌が歌えないのなら、舞台女優としての成功は無理だったわね」
「うぐ……」
バッサリと切り捨てるマリーに凹む。
歌劇は大体、愛の物語だ。愛の歌が歌えないのでは、主演は無理なのだ。
そもそも、自分の経験にないと感情移入できないなんて三流だ。テドにも散々言われていたし、自覚もしてはいたけれど、凹むものは凹む。
項垂れるカテリーナの足元に、もふりとノクスが寄り添う。
やっぱり、もふもふは癒しだ。
しゃがみ込んで無心でノクスを撫でる。
温かく柔らかい夜色の毛に、一瞬人型の時の色気漂う美貌を思い出したけど、それも忘却するようにもふもふと撫で続ける。
そんなカテリーナとノクスの様子に、マリーが意味深に笑った。
「ふふ、でも直ぐに歌えるようになるのではないかしら?」
「え……?」
「楽しみ、ね?」
人形なのにどこか艶やかなマリーの笑みが、なんだか不穏だった。