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踊る人形姫  作者: 金原 紅
第一章 エトワルトのお人形
8/31

8.準備

「2か月後だなんて、そんな、無茶な……」

「おい、何をブツブツ呟いている。不審者と思われるぞ」


 冷めきった白藍色の瞳を向けてくるヴィクトールは、今朝会った時と同じ全身を覆う漆黒の外套を身に纏って仮面を着けたうえで、マリーを恭しく抱き上げている。

 独り言を呟きながら歩くカテリーナより、圧倒的な不審者っぷりだ。


 そんな不審者スタイルなヴィクトールに率いられ、カテリーナはエトワルトの中心部にある高級店が立ち並ぶ通りを進んでいた。

 マリーに協力することになったので、早速準備として色々不足しているものを揃えに行くことになったのだ。


 しかし、街中でヴィクトールのあの姿はとても目立つ。周りの人が遠巻きに、ヒソヒソと話しているのが聞こえてくる。

 なんで、堂々として居られるのだろうか……。


「他人の振りしたい……」

「ワフ……」


 人型だと目立つ、ということで犬の姿になったノクスが慰めるようにカテリーナの足に擦り寄る。

 もふもふした毛が癒しだ。

 しばらく寄り添ってくれるノクスを堪能するために立ち止まる。


 しかしそんなカテリーナの様子を構うこともしないヴィクトールはスタスタ進んでしまい、その背中は大分遠くなっていた。見失ったら、間違いなく嫌味を言われる。

 慌ててヴィクトールを追いかけようとした、その時だった。


 背後から、嫌みっぽい女の声が掛けられる。


「あら、この場所に相応しくない人が居ると思ったらカテリーナさんではありませんの。ここは、貴女のような人間が来る場所ではなくってよ?」

「っ……」

「お返事くらいできないのかしら? 折角声を掛けて差し上げたのに」


 振り返ったその先、コツリとヒールの音を響かせ、カテリーナを見下すように青い瞳を向けるのはアンゼリカだ。

 今日も豪奢なドレスを身に纏い、背後には取り巻きの美青年を何人も連れている。多分、彼女もショッピングに来ていたのだろう。


 アンゼリカは鮮やかな紅色の唇をニンマリと笑ませる。悪意に満ち溢れた笑みだ。

 カテリーナは無意識に唇を噛み締める。

 仕事も、住む場所も奪っておいて、これ以上カテリーナに何を投げつけるつもりだろうか。

 体を強張らせ、それでも負けないようにアンゼリカを見つめ返すカテリーナの足に、もふりと温かいものが触れる。


 ノクスだ。


 ちらりと足元へ視線を向けると、寄り添うようにノクスが立っている。そして唸り声こそ上げていないが、アンゼリカを睨み付けていた。

 とても心強い。

 ほっと息を吐くカテリーナとは対照的に、アンゼリカは嫌そうに顔を顰めた。


「嫌だわ、ケダモノなんて連れて。ああ、ソレを使ってゴミでも漁りに来たのかしら?」

「っ、そんなこと!」

「あら、違うの? だって貴女が働ける場所なんて、どこにも無いでしょう?」


 紅い唇を嫌らしく歪め、アンゼリカは笑う。高慢で勝ち誇ったような笑みに、カテリーナはため息を吐く。


 やっぱり、圧力が掛けられていたらしい。

 普通に他の劇場に雇ってもらおうとしていたら、路頭に迷うことになっていたのだろう。

 マリーとの出会いは、幸運だった。


 しかしそうなると、マリーとの協力についてアンゼリカに知られるのは良くないだろう。アンゼリカ如きにマリーたちをどうこう出来る気もしないけど、きっとロクなことにならない。


 そう思ってこの場をどう切り抜けるか悩むカテリーナに、冷たい低音の声が掛かる。


「おい。遊んでいる暇はない、さっさと来い」

「っは、はい」


 ヴィクトールが冷たい視線を向けていた。わざわざ、引き返してくれたらしい。

 多分マリーの指示だろうけど、手間をかけさせてしまったのでこの後が恐ろしい。


 ちらりとアンゼリカを見ると、黒ずくめでビスクドールを抱いた不審者に唖然としていた。今のうちに逃げるのが良さそうだ。

 ペコリ、と頭を下げて声を掛ける。


「すみません、アンゼリカ様。人を待たせているので、失礼します」

「え、ちょっと、待ちなさい!」


 踵を返したカテリーナの背後からアンゼリカのヒステリックな声が聞こえるが、構っている暇はない。

 さっさと歩き出したヴィクトールを追って、小走りで進む。自分で何か出来た訳ではないけれど、唇から笑いが零れた。

 呆然としたアンゼリカに、スカッとしたのだ。


 そしてカテリーナのことなどお構いなしにさっさと進んでしまうヴィクトールについて行った先は、高級そうな仕立て屋だった。

 通りに面したディスプレイには美しいレースや刺繍で飾られたドレスが展示されており、明らかに女性向けのお店だ。しかしヴィクトールにとってはそんなことは何の障害でもないらしく、あっさりと店内へと入っていってしまう。


「ようこそいらっしゃいませ、ヴィクトール様。本日はどのような御用でしょうか」


 店に入った途端に壮年の男性が、ヴィクトールの名前を呼び恭しく頭を下げた。

 この店は、マリーたちの協力者なのだろうか。しかし、ヴィクトールに抱かれたマリーはピクリとも動かず、人形の振りをしている。

 迂闊なことを話さないようにした方が良さそうだ。


 きゅっと口を噤んで、ヴィクトールを伺う。

 明らかに不審者の見た目だが堂々と立つ彼は、ちらりとカテリーナに視線を遣り、慣れた様子で注文を口にしていく。


「この娘用に服を見繕って欲しい。既製品で構わないが、普段使い出来るものと茶会などで使えるものをそれぞれ幾つか。あとは小物なども合わせて用意してくれ」

「承知致しました。準備する間、こちらでお待ちになられますか?」

「いや。芸術祭用のドレスも注文したいから、個室を用意してくれ。既存のデザイン案もいくつか持って来て欲しい」

「承知致しました。では、こちらへどうぞ」


 再度恭しく頭を下げた店員は、店の奥にある階段へと進んでいく。


 この通りのお店は全て2~3階建なのだが、この店は1階が既製品の売り場、2階以上がオーダー用の個室になっているようだ。カテリーナたちは、3階の一番奥にある部屋に案内される。


 その広い部屋は、上品ながら精緻な装飾があちこちに施され、置かれているソファやテーブルも立派なものだ。場所も、この部屋を目的としない人は通りかかることもなく、人払いがしやすい。

 どうやら、高貴な人が内密に利用するための部屋っぽい。


 そしてカテリーナたちがソファへ腰を下ろすタイミングで別の店員がデザイン案を持って来ると、「ごゆっくりお選びください」と一声かけて全員退出していった。

 色々と心得てるのだろう。


 店員の対応含めて、なんだか別世界感がすごい。

 ドキドキして背筋を伸ばしたまま硬直しているカテリーナに、柔らかな笑い声が掛かる。


「ふふ。さて、どれか気に入ったものはあるかしら?」


 いつの間にかテーブルに広げられていたデザイン案を眺め、マリーが首を傾げる。

 店員が居る間は人形の振りをしていたマリーが遠慮なく喋っている、ということはこの部屋の近くには完全に誰もいなくなっているのだろう。

 本当に、ここは今までのカテリーナとは住む世界が違う。


 積極的にデザイン案を見ているマリーとは対照的に、ヴィクトールは完全にマリーの台座と化している。カテリーナ用のドレスなんて欠片も興味はない、という態度があからさますぎる。

 犬の姿のノクスはテーブルに置かれているデザイン案を幾つか見ていたが、コテリと首を傾げたきりだ。よく分からないらしい。

 自由過ぎる男性陣の姿に緊張が解け、カテリーナもデザイン案を見ていく。


 芸術祭はその名の通り、音楽や美術などの芸術を街を挙げて楽しむお祭りだ。

 芸術の都という名前に相応しく、エトワルトのあちこちで絵画や彫刻などの美術品が飾られ、街中が音楽で溢れる。王立歌劇場をはじめとした大小様々な劇場でも、一日中歌劇やコンサートが公演されるのだ。


 そんな芸術祭用、というだけあって個性的なドレスが結構多い。

 有名な絵画を刺繍で表現したドレスや、まるで花畑のようなスカートのドレス、異国の雰囲気のドレスなど様々だ。

 苺ショートケーキのぬいぐるみの様な飾りが沢山付いたドレス、とか誰が着るんだろう、と思うようなものまである。

 芸術が爆発しすぎだ。


「あ……」


 そんなイロモノも紛れるデザイン案の中、1枚のドレスデザインに手が止まった。


 そのドレスは、白と淡い若葉色を基調とした比較的シンプルなものだった。

 装飾は花や葉をイメージした金糸の刺繍と、赤い実のような小さなビーズが飾られているくらいだ。

 妖精の翅をイメージしたような薄い生地を、ふんわりと何枚も重ねたスカートが可愛らしい。


「あら、歌劇の『妖精姫』モチーフのドレス? そういったものが趣味なのね」

「趣味、というか……。昔、母が舞台の上で妖精姫を()っていたのを思い出して……」

「そう。まぁ、良いのではないかしら。芸術祭らしいドレスだし、可愛らしい雰囲気でカテリーナに似合いそうだわ」


 カテリーナの感傷には興味なさそうに頷き、マリーは小さな手を伸ばしてデザイン案を持っていく。

 そしてヴィクトールにデザイン案に対する指示をしているらしいマリーを眺め、カテリーナは軽く目を瞑った。


 思い出すのは、キラキラと輝くクリスタルや幻想的な照明で別世界のような雰囲気の舞台上で、高らかにアリアを歌い上げるエメーリアの姿。

 衣装のドレスも相まって、幼い日のカテリーナには本当に妖精のお姫様のように見えたのだ。

 あの日のエメーリアが、密かな憧れだった。


 あの日の衣装をモチーフにしたドレスを着れる。そう思うと、自然と笑みが零れていた。




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