6.黒犬改め
「やっほ~。久しぶり。20年ぶりくらい??」
「……五月蠅い」
「えええ~。ほんっと夜のは冷たいなぁ。折角、力の補給してあげたのにぃ」
「頼んでない」
「でも、人型に成れないくらいに弱ってたじゃん。放っておいたら、消滅してたよ? そこまで弱るなんて、何してたのさ?」
ケラケラと笑いながら絡みまくるカウィに、元黒犬な男は鬱陶しそうにため息を吐く。そしてカウィには構わず、少し垂れ気味な美しい青紫色の瞳をカテリーナの手へと向けて整った顔を顰めた。
「痛むだろう」
「え、あっ…………はい」
「すまない」
「っえ!?」
大きな手がカテリーナの血塗れな手をさらりと撫でると、ズキズキとした痛みが消えた。
驚いて見てみれば、血やら唾液やらでベトベトだった手が綺麗になり、傷痕も無くなっていた。
「あらあら。大したご寵愛ぶりねぇ」
「えぇ~~勿体ない! 折角の御馳走なのに消しちゃうなんてぇ」
「五月蠅い」
すり、ともう一度カテリーナの手を撫でた男は静かに立ち上がると、身に纏う黒衣を払う。ヴィクトールと同じくらいの長身だ。
夜色の髪の毛や褐色の肌、そして漆黒の服と全体に黒いその人は、大きな手でカウィのド派手な頭を鷲掴む。
「い~た~い~~」
「嘘を吐くな。お前がこのくらいでどうこうなる訳ない」
「そうだけど、僕の扱いひどいくない?」
「五月蝿い」
「もー! でもホント、どうしたの? 誰か裏切りでもした?」
一瞬前までの騒々しさを引っ込め、カウィが問い掛ける。
不機嫌さを現すように派手な色の髪の毛がブワリと広がり、空気が重くなった。何だか、息も吸いにくい。
ビクリ、と体を震わせるカテリーナを庇うように黒い男が立つ。
「享楽の、抑えろ。俺たちの気は人間に毒だ」
「はーいはい。で、僕の質問には答えてくれるの?」
「ちっ。…………単に、王都に陽光のが棲み付いて煩かったから、そこの昏闇の森でずっと寝ていただけだ」
昏闇の森は、エトワルトの街の南に広がる大きな森だ。
鬱蒼と木々が生い茂るその森は、昼でも昏く、魔物も多く棲む危険な場所だ。
そんな危険な場所で寝ていた、なんてどういうことだろう。
いまいち理解が出来ないカテリーナだったが、カウィにとっては違ったらしい。
バサリと色とりどりな髪の毛を振り乱して叫ぶ。
「はぁ!? たったそれだけ?」
「五月蝿い。性質が違うんだ。お前にとやかく言われる謂れはない」
「そうだけどさぁ」
不貞腐れたように文句を言うカウィには、少し前の重々しい空気は完全になくなっている。
唇をへの字に曲げて、黒い男に絡んでいるがもう相手にされていなかった。
男はカウィを鬱陶し気に振り払い、カテリーナへと向きなおる。
そしてカテリーナの手を取り、耳に心地よい低音の声で語り掛ける。
「俺はノクス。夜を司る魔族だ。力を分けてくれて、ありがとう」
「は、え、どうも?」
「どうか、名を呼んでくれないか?」
「え……、と? ノクスさん?」
「呼び捨てで良い。はは、やっと見つけた」
どことなく色気の漂う美貌をふわりと綻ばせ、黒い男――ノクスはカテリーナを抱き上げる。そしてがっしりとした腕でぎゅうと強く抱き締め、すりりと頭を肩口に擦りつける。
長身の美丈夫なんだけど、なんか黒犬を彷彿とさせる動きだ。
背後にブンブンとご機嫌に振られる尻尾が見えた気がする。
「えっと、ノクス?」
「どうした、カテリーナ?」
抱き上げられたままだから、凄く間近な距離で青紫色の瞳がカテリーナを覗き込む。
その近さに赤くなっている気がする頬を両手で押さえ、ノクスにお願いをする。
「あの、降ろして欲しい、です」
「何故?」
「いや、その。話の途中だから」
「ふふふ、わたくしたちのことなら気にしなくて良いのよ」
「いや、気にします!」
コロコロと笑うマリーに抗議しつつ、ノクスの肩を叩く。
とにかく落ち着かない。
ペシペシ叩きまくって主張したら、かなり渋々といった様子ながら降ろしてくれた。
相変わらずマリーを恭しく抱きかかえているヴィクトールに対面する形でカテリーナが座ると、ノクスはちょっとしょんぼりしつつすぐ隣に腰を下ろした。頭の上に、伏せられた犬耳が見えた気がする。
ちなみにカウィはとりあえず満足したのか、またふらりと居なくなっていた。自由過ぎる。
そして仕切り直しをするために淹れなおした紅茶を一口飲み、口を開く。
「えっと、もう色々ありすぎてよく分からないんですけど……」
「ふふ、そうでしょうね。でもその前に、わたくしもご挨拶をさせて頂いてもいいかしら?」
マリーは小さな手でヴィクトールの腕を叩く。
それにヴィクトールは少し嫌そうに顔を顰めつつも、何も言わずにマリーを抱いて移動する。そして小さなマリーを机で隠れない位置に降ろし、斜め後ろに控える。
マリーは金色の瞳でノクスを見上げ、美しい礼を取った。
「初めてお目に掛かります、夜の王。わたくしはマリー。貴方様が目に掛けておられるカテリーナを害すことはない、とお誓いしますわ」
「ああ。享楽のが気に入っている人間なのだから、その言葉を信じよう。俺のことは、ノクスと呼べば良い」
「光栄でございます」
カテリーナに向けるのとは違い、どこか冷たい眼差しで頷いたノクスにびっくりする。
何より、何処までも高位貴族らしい傲慢さがあったマリーがここまで畏まっているということが恐ろしい。
にじにじとソファの上を少し移動して、ノクスから距離を取っておく。
が、すぐに気付かれて間を埋められてしまった。ついでに、しょんもりと伏せられた犬耳がノクスの頭の上にまた見えた気がした。
マリーに対する態度と違いすぎる……!
とりあえず可哀想な気分になったから、距離を取るのは諦めておく。
「さて、カテリーナはどういうことか理解できていないと思うのだけれど」
「はい。もう、何が何だか……」
「ふふふ。まず、ノクスとカウィのことだけれど、先程彼も仰っていたけれど魔族よ。それも、系譜を司る王。貴女も凄い方に目を付けられたものね」
「王って……? それに、魔族って想像上の存在、じゃないんですか……」
「違うわね。ほら、お隣に居るじゃない」
「そう、ですけど……!」
魔族とは、人間とは違う奇跡のような力を扱う存在と言われている。
大きな力を持った彼らは滅多に人の前には現れず、普通の人にとってはおとぎ話の存在だ。その力の一部を借り受けた人間は魔女などと呼ばれ、不思議な力を振るうとも言われているが、それも同じくおとぎ話の存在。
カテリーナにとって俄には信じられるものではなかった。
ちなみに魔物は知性や言葉を持たずに襲い掛かってくる危険な存在だが、結構その辺に存在する。エトワルトに住む者であれば、昏闇の森から出てくる魔物は日常的な危険だ。
人間ではない超常のモノは大抵は魔物、と理解していたがどうやら違うらしい。
ちらり、とノクスを見上げる。
昨夜は子犬で、今朝は巨大な狼。そして今は人型の男性になっている彼は、人間ではあり得ない。先程カテリーナの手の傷も直してしまったし、魔族と言われるとそうなのだろう。
「魔族は様々な系譜、属性のようなものかしらね。様々な資質を持った系譜に分かれていて、それぞれの系譜に王を頂いているの。先程ノクスは夜を司ると仰っていたから、夜や闇、眠りといった系譜の王になるわ。ちなみにカウィは享楽や欲望なんてものの系譜の王らしいわ」
「享楽のは、精神に働きかける領域が得意だ。本質も愉快犯だから、深く関わらない方が良い」
「えぇぇ……」
「ふふ、そうね。でも、カウィも上手く使えればとても有能よ」
「恐ろしい女だ」
魔族で、一系譜の王に対して上手く使う、とは本当に恐ろしい。カテリーナは引き攣った笑いしか浮かべられない。
マリーはコロコロと笑っているが、ノクスも肩を竦めていた。
「それでね。貴女が王女である証拠という話をしていたと思うのだけれど。ノクスに気に入られている、というのが何よりの証拠なのよ」
「……どういうことですか?」
「ふふふ、グランシエル王国の王族の特徴なの。魔族にとってグランシエルの王族の血は特別に力を与える物らしくて、気に入られやすいの。だから度々、魔族に攫われたり、食べられたりもしたそうね」
「え……」
思わずノクスを見上げる。
青紫色の瞳と目が合うと、コテリと首を傾げられた。褐色の肌をさらりと流れた夜色の髪がなんだか色っぽい。
「どうした、カテリーナ?」
「私のこと、食べるの?」
「物理的には食べる予定はない」
「物理的、に……?」
「ふふふ、随分と寵愛しているのね?」
楽しそうに笑うマリーに、ノクスは答えずに顔を顰める。
カテリーナがノクスを見上げても、ふいと視線を反らされてしまった。
「ふふ、カテリーナ、安心して? 過去の王が、森の王と呼ばれる魔族と協定を結んでいるから、今は魔族が襲い掛かって来るようなことはないわ。ただ、気に入った人間の側に居着く事がある程度よ」
「側に……。それじゃあ、やっぱりマリーさんも?」
魔族だというカウィが気に入っているらしいマリーも、王族なんじゃないか。
そう思って問い掛けるが、マリーは何も答えない。
ただ、美しい笑みを浮かべるばかりだった。