5.そろそろ不思議はお腹いっぱい
マリーたちに連れられて行った先は、エトワルトの中心部。
劇場や美術館など芸術に関する様々な施設や、それらを目当てに訪れた人々をターゲットとした高級店やホテルが集まった中心街と呼ばれる場所でも一等地に建っている超高級ホテルだった。
エトワルトの代名詞とも言われる、街の中央にある王立歌劇場を正面に臨む歴史と格式を持ち合わせたホテルは、王族や貴族の御用達だ。庶民であるカテリーナは足を踏み入れたことすらない。
そんなホテルの最上階にあるスイートルームへと我が物顔で進んでいくヴィクトールにギョッとして。さらになんでこんな見た目超絶不審者が入れるんだ、と呆然としているうちにシャワールームへと放り込まれた。
掃除したとはいえ、礼拝堂の床で一夜を明かしたカテリーナは、確かに埃っぽい。カテリーナとしてもシャワーを浴びれるのは嬉しい。
でもシャワールームは全体的になんか金ピカだし、備え付けられているボディソープとか化粧品とか凄く高級そうなものがズラリと並んでるしで、とても居心地が悪い。
そんなイマイチ心休まらない場所にビクビクしながら、とりあえず手早く全身を綺麗にする。身支度に時間をかけ過ぎると、それはそれでヴィクトールから嫌味を言われそうな気がするのだ。
そして手持ちの中でも一番マシな服に着替えるけれど、持っているのは着古したワンピースだけだ。どうやっても、場違い感は拭えない。
前王の娘とか言われたけど、やっぱり、カテリーナはこの場所に相応しくない庶民の小娘でしかない。
それでも。
マリーの話を聞けば、今まで知らなかった父親のことが分かるはずだ。
母がずっと隠してきたこと。
自分の出自。
マリーたちに協力する、とか王宮へ行くとかはまだ分からないけれど、とにかくそのことが知りたかったのだ。
「お待たせ」
「ワフ!」
シャワールームの外で待っていた黒犬と合流し、そっと彼の頭を撫でる。場違いな自分にとって、唯一の味方な気がしてしまったのだ。
黒犬もスリスリとカテリーナの手に擦り寄り、それから案内するように歩き出す。
超高級ホテルのスイートルームは広く、実はどこへ行けば良いか分からなくて困っていたから助かった。
黒犬に先導されて辿り着いたのは、広々としたリビングスペース。
王立歌劇場を見下ろすことが出来る大きな窓のあるそこは、白を基調としながらも要所要所にダークブラウンやダークレッドが使われた、高級感と重厚感に溢れた部屋だった。
その中央に置かれた、飴色の艶が美しいテーブルには温かな湯気が立ち昇る料理が並んでいる。そしてテーブルを囲むように置かれているソファの一つには、マリーを抱えた男が腰掛けていた。
がっしりとした体躯を騎士服のようなかっちりとした服に包み、傍らには長剣を立てかけている。肩よりも長い銀色の髪は項の辺りで一つに束ね、硬質な美貌を持った顔は全くの無表情だった。
冷めきった白藍色の瞳と、恭しい手つきでマリーを抱えていることから推測すると、その男はヴィクトールだろう。
でも、仮面と全身を覆うマントを取り払ったその姿に、物凄い違和感を感じてしまった。
マリーが騎士、と言っていたからこの姿でおかしいことはないのだけど、初対面が超絶不審者だったのだ。
不審者なインパクトが強すぎて、普通な騎士然として居られると、なんか納得がいかない。
もやもやした気分で立ち尽くしていると、マリーがにこやかに声を掛ける。
「カテリーナ、お帰りなさい。さぁ、座って頂戴。勝手に食事を手配してしまったけれど、口に合うかしら」
「……ありがとう、ございます」
恐る恐る、マリーが示すソファへと腰掛ける。黒犬もカテリーナのすぐ足元に伏せた。
ほんのりカテリーナの足に頭を乗せる黒犬に口元を緩め、料理たちへ目を向ける。
並ぶのは、クロワッサンとスープ、サラダにオムレツ。カテリーナにも馴染みがある料理ばかりなのは、気を遣ってくれたのだろうか。
食べ方も分からないような料理じゃなかった事に安心しつつ、しかし並ぶ料理が一人前なことが気になる。
ヴィクトールの冷たい視線と、何か観察する様子のマリーの前で、一人で食べなきゃいけないのだろうか……。
「あの……」
「食べないの?」
コトリ、とマリーが可愛らしく首を傾げる。
そしてそんなマリーの可愛らしさと反比例して、ヴィクトールの冷たい視線の圧が強くなる。
すごく、食べ難い。
しかし料理からは良い香りが漂っているし、温かな湯気もずっと立ち昇っている。
そんな料理を前に、カテリーナのお腹の虫はギュルギュルと抗議を続けているのだ。多少の食べ難さなんて、気にしている場合じゃない。
「……いただきます」
おずおずと、スプーンを差し入れたのは美しい琥珀色の透き通ったスープ。
何種類もの具材を丁寧に何時間も煮込んで、濾して作られたコンソメスープは、とても複雑で深い味わいだ。でも、庶民なカテリーナとしては具が何も入っていないことを残念に思ってしまう。
パリパリサクサクなクロワッサンは、下町のパン屋で売っているものとは明らかに使われているバターの量が違う。一口、口に入れたただけで香り高いバターを感じるし、ちぎった指がバターまみれになって困ってしまった。
色鮮やかなサラダには、なんだか高級過ぎて舌に合わないドレッシングが掛かっているし、エディブルフラワーが多すぎてちょっとよく分からなかった。
黄色が鮮やかなオムレツは、スプーンで割り開くと中身はトロリと半熟で、ギョッとしてしまった。マリーが新鮮な卵は生でも食べられる、と教えてくれたから恐る恐ると食べてみたら、とろとろな卵はとっても幸せな味だった。
今まで卵料理といったらパッサパサな固ゆで卵だったから、大発見だ。
食後に淹れてくれた紅茶は多分とても高級な茶葉なんだろう。
いい香りなのは分かるけど、味は飲み慣れないものだったから思わず顔を顰めてしまった。
感動と困惑で忙しかった食事が終わり、カテリーナは小さくため息を吐く。
そんなカテリーナを観察していたマリーも苦笑を零し、コトリと首を傾げる。
「さて、そろそろお話をしても良いかしら?」
「はい。よろしくお願いします」
ピシリと背筋を伸ばし、マリーの金色の瞳を見つめる。
その色彩は、この国では特別なモノだ。
人形だからとあまり気にしていなかったが、元は人間だ、という言葉にもしやという思ってしまう。
「さて、まずは貴女が王女、ということの証拠からで良いかしら」
「はい。私もそれが知りたいです」
「ふふ、そう。……それなら、カテリーナ。貴女は、このグランシエル王国の王族の特徴って知っているかしら?」
「えっと……、金色の瞳、が多いと」
「ええ、それが一つ。貴女は、金というよりも琥珀色だけど、近しい色ね」
にっこりと笑うマリーに、それは無茶苦茶なのではと呆れる。琥珀色を金と近いと言ったら、多分結構な人が該当すると思う。
じっとりと見ていたら、マリーが笑みを深める。
「それと、前王が19年程前にエトワルトを訪れているのだけれど、その時に歌姫エメーリアを個人的に一晩呼んだ、という記録があるわ。貴女が生まれた時期から逆算しても、丁度計算が合うの」
「でも、その。えっと、その時にお手付きになったとしても、1度だけじゃあ……」
娘として、なんか居た堪れない話題だ。カテリーナは目を泳がせつつ反論する。
しかし、マリーはハッと鼻で笑い、なんだか忌々しそうに言い放つ。
「あの男はタネをばら撒くことについてだけは優秀だったもの。回数なんて関係ないわ」
「タネをばら撒くって……」
今までずっとお上品だったマリーから出た言葉のギャップにびっくりした。
そしてあのひと、という言い方にも違和感を覚える。
公式には今、王族は2人しか居ないことになっている。現国王陛下と、前王の弟で今はエトワルトの領主をしている公爵様だ。
10年前、前王が崩御した際の王位争いで、他の王族は皆居なくなってしまったのだ。
しかし、マリーは瞳も金色だ。もしかして……。
「あなたは……っ、えぇ!?」
「グワッ!」
疑念をカテリーナが口にしようとしたその時だった。
急に派手な色の鳥が、目の前に飛び込んできた。
テーブルに着地した50センチ程ありそうな大きなその鳥は、鸚鵡だろうか。冠羽をふわっと少し立ち上がらせ、首を傾げてカテリーナとその側に伏せていた黒犬を見ている。
そして赤や黄色、緑、青などの様々な鮮やかな色が混じった羽をバタつかせ、ヴィクトールたちの横に移動したかと思うと、ポフン、と人へと姿を変えた。
「はぁっ!!??」
「あら、カウィ。貴方居たのね」
「うん。さっきまで寝てたんだけど、なんだか懐かしい気配感じたんだよねぇ」
今日何度目か分からない、理解できない事態だ。
絶叫して目を白黒させているカテリーナを他所に、マリーはその人物と和やかに話し出している。
もうほんと、よく分からない。
カウィ、と呼ばれた男は鳥の姿同様に鮮やかな色が入り混じった長い髪の毛をバサリと揺らし、カテリーナたちへ向く。そしてオパールの様に様々な色が入り混じった瞳をキラキラと輝かせ、カテリーナの足元に居る黒犬へ声を掛けた。
「ひっさしぶり~、夜の。なんで、そんなに弱ってるのさ」
「ヴォゥ」
ケラケラと愉しそうに笑うカウィに対し、黒犬は面倒臭そうに低く吠えてプイッと顔を背ける。
しかしそんな黒犬の対応に、カウィはめげる様子もない。むしろ何故かパァァっと目を輝かせ、うきうきとカテリーナの側に寄って手を取った。
「え……?」
「ひひ、ちょっと手を借りるね~」
「ヴォフ!!」
起き上がり、不機嫌そうに吠える黒犬に、しかしカウィは構わない。
鼻歌でも歌いそうな上機嫌さで、カテリーナの手をガッチリと掴んで黒犬へと近付けていく。
「ズボッとな」
「あら……」
「なっ、え、痛っ!?」
カテリーナの手ごと黒犬の口に突っ込み、反対の手では暴れようとする黒犬を軽々と取り押さえていた。
想像していなかった状況なのか、マリーも驚きの声を上げていた。でも、助けてくれる様子はない。
カウィはカテリーナと黒犬の抵抗なんてお構いなしに、口の中で手を動かす。そしてザクっと牙でカテリーナの手の甲を切り裂き、血を黒犬の舌に塗りたくるようにする。
「そろそろかな~」
愉しそうなカウィが、鼻歌まじりに手を引く。つられて掴まれたままのカテリーナの手も黒犬の口から引き抜かれる。
結構血塗れだ。
ズキズキ痛む手に顔を顰めているとーー。
ポフン、いう本日二度目の音と共に、黒犬が夜色の髪と褐色の肌を持った男に姿を変えたのだった。