4.お人形様のお誘い
今日は朝から理解できないことばかり起きている。
正直、泣きたい。
カテリーナは寄り添う黒犬のもふもふを感じながら、必死に脳みそを働かせる。
「えっと…………。魔物?」
「貴様! マリー様に失礼な!!」
「ヴォフ!」
必死に考えたけど、やっぱり理解できなくて思わず零れた言葉に、不審者が怖い空気を向けてきた。
ビクリ、と身を震わせるカテリーナを守るように、黒犬が聞いたことのない低い声で吠える。
しかしそんな一触即発な状況に、ビスクドールはコロコロと笑い声をあげた。
そして黒犬を意味深に見上げながら、楽しそうに話し出す。
「あらあら。随分とご立派な騎士振りねぇ。まさか、わたくしよりも先にソレに目を付けられているなんて、随分と有望だわ」
「マリー様」
「ふふ。おやめなさい、ヴィクトール。話が進められないわ」
カテリーナに近付こうとするビスクドールに、不審者が制止の声を掛けるが、意に介そうともしない。それどころか不審者の威嚇を止めさせた。
そして優雅な足取りでカテリーナたちの側に来ると、真っ直ぐと金色の瞳で見据えてくる。
「怖がらせてしまってごめんなさい。わたくしはマリー。今は人形だけれど、元々は人間なのよ」
「人間……」
「ええ。それから、これはヴィクトール。わたくしの騎士よ。さて、お嬢さんはカテリーナで合っているかしら?」
「っ……、はい」
コトリ、と首を傾げたビスクドール――マリーの言葉は、質問の形式だけれども肯定以外は望んでいない、という声だった。
騎士を当然のように従え、しかも物扱いをしているし、問い掛けの圧も凄い。間違いなく貴族だ。しかも、かなり上位の人だろう。
本能が、逆らってはいけないと言っていた。
震えそうになる声で応えると、マリーが嬉しそうにパチリと両手を合わせる。
「ふふ、良かったわ。貴女は、お利口さんね」
「……ありがとうございます」
全く褒められている気分にならないが、一応褒め言葉だ。とりあえず礼を返すと、マリーはさらに機嫌良さそうに笑う。
そして上機嫌のまま、目的を告げる。
「それで、わたくしが貴女に会いたかった理由なのだけれど。わたくしに協力してくださらないかしら?」
「協力……?」
「ええ。わたくしの代わりに、王宮へ行って欲しいの」
「王宮? なんで……?」
わざわざマリーがカテリーナに協力を求める理由も、王宮へ行って欲しいと言う理由も全く分からない。
訳が分からな過ぎて眉間に皺が寄ってしまう。
不信感も露わなカテリーナに、しかしマリーはより一層嬉しそうに笑うばかりだった。
「ふふふ。お利口さんは大好きよ。王宮へ、というだけで飛びつくようなおバカさんが多くて困っていたの」
「…………」
他人を小馬鹿にしたような物言いに、そっと少し後ろに下がる。
カテリーナに向けて言った言葉ではないけれど、高慢な貴族らしい言動をするマリーとはあまり関わり合いになりたいものではない。
しかし。
「動くな」
「ガウッ!!」
ヴィクトールの冷たい声と、黒犬の低い威嚇、そして響いた金属音にびっくりして音の方を見ると。
カテリーナの少し前の床に、刃が鋭く光るナイフが落ちていた。そのナイフとカテリーナの間には黒犬が居り、さらに黒犬はヴィクトールに対して威嚇を続けている。
多分、ヴィクトールが投げたナイフを黒犬が防いでくれたのだろう。
黒犬が居なかったら、一体どんな目に遭っていたのか……。
ふるり、と恐ろしさに体が震えた。
「ヴィクトール、おやめなさい。カテリーナが怯えているわ」
「しかしマリー様。あの者は、逃げようとしています」
「だからって、女の子にすぐナイフを投げるのはダメよ。わたくしたちは、犯罪者ではないのだから」
「申し訳ございません、マリー様」
「わたくしではなく、カテリーナにお謝りなさい」
「…………すまなかった」
物凄く、渋々という雰囲気を隠さずにヴィクトールは謝罪を口にする。
白藍色の瞳はカテリーナを見ていないし、謝罪の言葉がマリーに向けるものと違うのもどうかと思うようなものだったけれど。
もう本当に、この人たちと関わり合いになりたくない。
唸り続けながらもカテリーナに寄り添う黒犬のもふもふを感じながら、口を開く。
「謝罪とか、もうどうでもいいです。私、協力出来そうにないので。もう、行っても良いですか? 朝ごはんこれからだから」
「ごめんなさいね、本当に。でも、もう少し話を聞いてくださらないかしら。貴女にとっても、悪い話ではないと思うの」
「いえ。お断りします」
「そう、困ったわ……。お話を聞いてくださらない、と言うのならば貴女のことを通報しなくてはいけなくなるわ」
「脅し、ですか?」
通報、という言葉にマリーを睨む。
しかし彼女はゆったりと首を傾げるだけだ。
「脅しだなんて。ただ、わたくしは義務を果たすだけよ?」
「義務って何を言っているんですか? 私、なにも悪いことなんてしていません」
「そうねぇ。悪いこと、は確かにしていないわね」
「じゃあ、なんで……」
「だって、貴女。前王の娘、王女様なんだもの」
「は……、えっ!?」
コロコロと笑いながら告げられた言葉が、理解できなかった。
意味のない言葉が漏れるカテリーナに、マリーはゆったりと頷く。
「ふふふ、驚くのも仕方ないわ。こんなこと、想像もしなかったでしょうから。でも、ちゃんと証拠もあるのよ?」
「証拠……」
「ええ」
急な話に、理解が全く追いつかない。
前王は女好きで、あちこちで子供を作っているという噂は有名だった。
在位時には、正式に王の子と認められた4人の王子と3人の王女が居たが、それ以外にも度々王の子どもだと名乗り出る人は居た。なんなら、今も時々現れる。
自分が、その1人だなんて考えたこともなかったけれど。
それでも。
女手1人で育ててくれていた母は、カテリーナの父親についてだけは絶対に口にしなかった。
何度尋ねても、教えてはくれなかったのだ。
マリーが言うことが本当ならば、母がずっと口を閉ざしていたのも、仕方ない。
そう、どこかで納得している自分が居た。
「…………お話、聞いてくださるかしら? 朝食もご馳走するわ」
だから。
悠然と問い掛け、ビスクドールの美しい顔に笑みを浮かべるマリーに。
カテリーナは、しっかりと頷いたのだった。