番外編1.嫌いでもなく
王立歌劇場前でのオープニングセレモニーが終わった後、カテリーナはレオナールに付き従って各所での挨拶周りを行ったのだった。
エトワルトで執り行われる芸術祭だけあって、街の至る所が会場となっているのだ。劇場は勿論のこと、商店や公園、道端でも美術品が飾られたり、演劇や演奏が行われる。
そんな中でも領主が挨拶に訪れるのはメイン会場と呼ばれる大劇場や美術館、大規模な公園だけだ。それでもかなりの数だった。
おかげで、新しい王女の存在は瞬く間にエトワルト中に知れ渡っていた。
そしてその日の日暮れ前には、カテリーナの目の前に見事な土下座を披露する男が現れていたのだった。
「本当に、申し訳ございませんでした!」
「えぇぇ…………」
夜に行われる舞踏会の前に領主館へと帰って来たカテリーナを待ち受けていたのは、かつての家族。テドとエリオットだ。
通常ならそう易々と面会できるような関係ではなくなっているのだが、2人についてはマリーがイイ笑顔で面会を許可したのだった。ちなみにマリー自身は、今は人形の振りでサイドテーブルの上で置物となっている。
応接室に入るなり、テドはソファに座るカテリーナとレオナールの足元で床に頭を擦り付ける勢いで土下座し出したのだ。一緒にやって来たエリオットは困った様子で父親の後ろに立って頭を下げていた。
2人セットで土下座されるよりはマシだが、テドを止めて欲しかった……。
周囲を見回してもレオナールは愉しそうに微笑みを浮かべているだけだし、マリーは人形に徹するばかり。マリーが居るから同席しているヴィクトールは勿論こちらには欠片も興味がない。ノクスとカウィは人型だとややこしいから動物姿だ。
結局、この事態はカテリーナが収拾するしかないらしい。
ため息を吐きたくなるのを堪え、声を掛ける。
「……そのようなことは止めてください。椅子に、座ってください」
「とんでもございません! 王女様に謝罪を受け入れて頂けるまではっ……」
「謝罪はいいので、座ってください。……こちらの品性が疑われてしまいます」
掌を返したような態度に波打つ感情を押し鎮め、硬い声で淡々と告げる。
テドは、かつてカテリーナに対して行った所業を咎められることを恐れ、謝罪に押し掛けたのだ。本心から悪かったと思っての謝罪ではない。
あくまでも、保身のためだ。
それが分かるからうまく笑みを作ることも出来ない。
レオナールもそんなカテリーナの心情をしっかり把握しているのだろう。
テドたちがソファへと座ったことを見届けると、優しく問い掛ける。
「どうするかい? 彼等の劇場の営業を取り消しであったり、二度と私たちが彼等の劇場に赴かないといったことも出来るけれど?」
高級な蜜のような深い金色の瞳を甘く蕩けさせそう言う人は、悪魔のようだ。
営業の取り消しは、その言葉の通りテドの劇場が二度と興行出来なくなる。分かりやすい制裁だ。
そしてレオナールたちが二度と劇場に赴かない、ということは遠回しに劇場を潰すということだった。領主の怒りを買った劇場には人は寄り付かなくなる。客が来なければ、劇場はあっという間に立ち行かなくなるのだ。
顔色を青くしているテドを横目に、カテリーナは小さくため息を落とす。
わざと過激な提案をするレオナールは本当に性格が悪い。
「いいえ、そのようなことは不要です。些細なことで過剰な対応をしてはレオナール様の評判を落とすだけでしょう。それに、劇場の他の方々まで路頭に迷わせたい訳ではないです」
「おやおや、カテリーナは優しいね。では、どうする?」
「そうですね…………。私の前に二度と現れない、私に関わらない。それを、誓ってください」
テドとエリオットを真っ直ぐ見つめ、カテリーナは願いを口にした。
その言葉を聞いたエリオットが緑色の瞳を伏せ、少し寂しそうに笑う。しかしカテリーナは視線を揺らすこともなく、唇を引き結ぶ。
その様子をじっくりと眺めていたレオナールは満足気に頷き、為政者の顔で宣言する。
「そうだね、それが良い。君たちはカテリーナとは何の関係もない。これからも、今までも、ね。いいかい?」
「っ、は、はい。寛大なご配慮に感謝致します」
「うん。じゃあ、すぐに契約書を用意しよう。サインをしたら帰って構わないよ」
「承知致しました」
ペコペコと何度も頭を下げるテドと、何か物言いたげでありながらも静かに礼をしたエリオットが事務官に連れられて出ていくのを見送り、カテリーナは体の力を抜く。
もやもやとした気持ちが内心渦巻き続けているけれど、とりあえずひと段落だ。
テドたちの気配が遠くなったのを確認し、マリーが口を開く。
「随分と善良なことね」
「ははは。皆が皆、マルグリッタの様だったら物騒すぎるね」
「うふふ。叔父さまにだけは言われたくないわ」
笑い合うマリーとレオナールは、やっぱりとっても物騒だ。
こんな人たちの親族だなんて、すごく気が重い。
重いため息を吐き、カテリーナは首を横に振る。
「別に、私も優しいわけではないです。追い出されたことは悲しかったですし、恨む気持ちもありました。いまも、凄くもやもやしてます。でも、そういった気持ちを持ち続けるのって疲れるじゃないですか。彼等のために、そんな労力を割くのも勿体ないなって思っているだけです」
「嫌悪でもなく、無関心、ということなのね」
「ははは。カテリーナは結構冷酷だね」
納得したように頷くレオナールとマリーにムッとする。彼等に理解されるのも、なんだか嫌だ。
眉間に皺を寄せて首を横に振る。
「いや、別に、無関心な訳ではないですよ。テド小父さんのヅラが大勢の前で吹っ飛べばいい、とかはずっと思ってますし」
「ふふふ、可愛らしいことね」
「いえ、その……」
コロコロと笑うマリーは、とても楽しそうだ。
複雑な気分でマリーを眺めていると、派手な色がニュッと眼前に割り込んで来た。
「っ、カウィ!?」
「楽しそうな願いだね。そういうの、僕好きだよ」
「近い」
「ひひひ、夜のは狭量だなぁ!」
いつの間にか人型に成っていたカウィとノクスは賑やかにじゃれ合っていた。ばけばしい色の髪の毛をノクスに鷲掴みされながらもケタケタと笑っているカウィは指先をクルクルと回す。
「窓の外を見てみなぁ」
「……?」
「ふふ、何をしたのかしら? ヴィクトール、窓まで連れて行って頂戴」
「はい」
楽し気に窓へと向かうマリーたちに続いて、大きな窓から外を覗いてみる。
応接室の窓は領主館の正面を向いており、なかなか素晴らしい眺めだ。領主館前の広場から真っ直ぐ続く大通りのおかげで、街の中心にある王立歌劇場まで見通すことが出来るのだ。
どうやら今丁度、契約書にサインを終えたテドたちが領主館から出たところだったらしい。
逃げるようにそそくさと立ち去ろうとするテドだったが、不自然に風が彼を取り巻く。そして空高く、金色の髪が舞った。
テドのカツラだ。
慌ててソレに手を伸ばすテドの頭頂が、夕陽に照らされてキラリと輝いて眩しい。
「っ、カウィ!」
「ひひ、どうだい? ちょっと観客少なかったかもしれないけど~」
「ふふふ、そうでもないわ。領主館前広場の展示を見に来ている人が多い時間だもの」
「惜しむらくは、彼のことを知っている人が少なそうだということかな」
そう言いながら笑うマリーとレオナールは、やっぱり性格が悪いと思う。
それでも。
未だに不自然な風に空高く舞い続けカツラと、頭を手で隠しながらワタワタしているテドを見ていると。思わず、カテリーナも笑いが漏れていた。
ほんの少しだけ、もやもやとした気持ちが晴れた気がしたのだった。