25.束の間の休息と3
休憩時間が終わり、劇場内の灯りが落とされる。二幕が始まるのだ。
しかしそのタイミングになってもカテリーナが戻らない。人間の女性の身支度には時間が掛かるものというが、カテリーナならば楽しみにしていた歌劇が始まるまでに戻らないはずがない。
すぐさまノクスは劇場中に知覚を広げる。
建物の中は完全な暗闇ではないけれど、多少の影さえあればノクスの領域だ。カテリーナの存在を探す。
「ちっ、有象無象が多い……」
舞台を観劇をしている多数の客を闇を通して1人ずつ確認するのに手間が掛かる。さらにそれ以外のロビーや劇場のバックヤードまで確認するが、カテリーナは何処にも居ない。
そのことを理解した瞬間、ザワリと暴れそうになる本能を抑え込む。
ここで暴れてもカテリーナが戻ってくるわけではない。
ギチ、という音が鳴るほど強く握り締めた掌に、長く伸びた爪が突き刺さるが構わない。
さらに広く、劇場の外へと知覚を広げる。
「こんなことならば、カテリーナが嫌がっても監視を付けておけば……」
今更言っても仕方ないことを紡ごうとする唇を強く噛み締める。怒りのせいで伸びた牙で血が流れた唇を乱暴に拭い、ある存在を探す。
外は日が暮れ、既に夜だ。ノクスの領域となっているが、まだ花嫁としたわけではないカテリーナは離れてしまうと他の人間に紛れて探し出すのは難しい。
劇場内程度であればしらみつぶしに存在を確認することも可能だが、このエトワルトはグランシエル王国第二の街。人間が多すぎるのだ。
しかし同族であればまた別だ。
エトワルトに居る人数も多くないし、何より魔族はそれぞれが強烈な力の塊だ。人間に埋もれるなんてこともない。
「……居たな」
目当ての存在を見つけた瞬間、ソレの元へ移動する。
すぐそばにマリーやヴィクトールも居たが、構いはしない。いつもとは違う地味な茶色に髪色を変えているカウィの首を片手で持ち上げる。
「っ!?」
「カテリーナは何処だ」
ヴィクトールが剣に手を掛けているが知ったことではない。
地を這うほど低い声でそう問うと、派手な色の目を真ん丸にしたカウィが声を上げた。
「なんのコト!?」
「カテリーナが消えた。お前の手引きではないのか?」
「流石にそんなことしないって!」
両手をブンブンと横に振るその様子は嘘ではなさそうだ。当てが外れたことに舌打ちをして、カウィを地面に落とす。
乱暴な扱いだが、魔族は頑丈だ。カウィもピンピンとして喧しく騒いでいる。
ノクスのただ事ではない様子に、マリーが恐る恐る問い掛けてきた。
「一体どこでカテリーナが居なくなったのです?」
「王立歌劇場だ。レオナールが息抜きにとチケットを寄越したから観に行っていたが、休憩時間に席を外したカテリーナが戻らなかった」
「叔父さまが……」
「僕のとこに来たってことは、もう劇場内には居なかったってことだよね? うぅん、流石に手がかりがないとキツイね……」
むむ、と唸るカウィにもう一度舌打ちを落とす。
カテリーナの失踪にカウィが絡んでいる可能性は元々低いとは思っていた。しかし今回の件に絡んでいなくても、カウィはかなり長いこと人間の中で生活している。カテリーナを探す何かしらの手段を思い付くのではないかと少し期待していたのだ。
碌な手立てが見つからず、怒りと焦燥が募っていた時だった。
「……っ!」
「ノクス?」
「カテリーナの歌だ」
「え? 何も聞こえないけれど……」
「花嫁の声だからか! 僕たちには聞き取れないけど、夜のには聞こえてるんだよ」
「静かにしろ、聞き取れない」
微かに聞こえてきた歌声に耳を澄ませる。
怯えた様に震え、掠れている。必死な声だ。
痛ましいその声に、早く駆け付けなくてはと気が焦る。
早く見つけて、取り戻す。
そのために神経を研ぎ澄ませ、カテリーナの歌声を辿る。
「…………見つけた!」
「ちょ、夜の!!」
カウィが何やら喚いているが、一切取り合わずにカテリーナの元へ移動する。アイツは何だかんだで器用だから、きっと勝手に追ってくるだろう。
そして移動した先。
狭くて汚いその場所で、カテリーナは複数の男によって床に押し倒されていた。破れたドレスから白い胸元が覗き、顔や手などに傷も沢山出来ている。
それらは全て、ノクスの怒りを燃え上がらせるものではあった。
しかしそれ以上に。
琥珀色の丸い瞳からとめどなく涙が流れているのを見た瞬間。
荒れ狂う夜色の力が周囲を薙ぎ払ったのだった。