19.これからのこと
夜が明け、少し気まずい気分で食堂へ向かうとそこには見慣れた人形姿のマリーとそんなマリーを大切そうに抱えているヴィクトールの姿があった。
この様子を見ると昨夜のあれは夢だったんじゃないかと少し思ってしまったけど、マリーが纏う空気が少し張りつめている。
そして作られた綺麗な笑みを浮かべたマリーが声を掛けてくる。
「おはよう。昨夜はちゃんと眠れたかしら?」
「おはよう、ございます。……はい、一応眠れました」
「そう、良かったわ。…………それで、カテリーナはわたくしの正体を理解したと思うけれど、何か考えが変わったかしら?」
コトリ、と首を傾げたマリーの金色の瞳が真っ直ぐカテリーナを見据える。
いつも通り無感情な白藍の瞳を静かに向けるヴィクトールはカテリーナの回答次第では剣を振るうつもりなのか、手元に長剣を引き寄せている。おかげでノクスも臨戦態勢で物凄く空気が重い。
細く息を吐き、カテリーナは口を開く。
「それに答える前に私からも質問して良いですか?」
「ええ。何かしら?」
「その……。王宮へ行く理由は、王位が欲しいから?」
「まさか。こんな人形が王座に座ったところで、国が乱れるだけだわ」
マリーは小さく肩を竦め、あっさりとした声で否定する。
王座が、血塗れ姫と呼ばれるマルグリッタ王女が一番望んでいそうなものと思っていた。それを求めるとなると、今の王に対する反逆に加担することになるということだから恐ろしかったのだ。
そうではないと分かって一安心だ。
しかしそうなると、マリーが心の底から渇望することは何だろうか。
首を傾げて問い掛ける。
「それじゃあ、何のために……?」
「わたくしをこの姿にしたのは、セドリック王の守護女神よ。…………セドを護るためと嘯いて、こんな姿にしたの」
小さな掌を見つめ、マリーが忌々しそうに呟く。
低いその声には、どろりとした恨みが籠っていた。マリーを抱くヴィクトールの瞳にも、昏い怒りが宿っている。
「あの女に、この呪いを解かせる。それが出来れば、十分よ」
そう言って伏せられたマリーの金色の瞳には、悔しさや憎しみ、悲しみや諦めといった複雑な感情が滲んていた。
心の底からの想いだと伝わって来る言葉だった。
もしかしたら女神を殺してやりたい、といった思いもあるかもしれない。協力するとなるとカテリーナも色々と危ないかもしれない。
それでも。
ここまで1か月近く一緒に居たマリーの在り方は、血塗れ姫の逸話で伝えられるような血も涙もない極悪非道な女とは違っていた。
厳しいけれど、思いやりや優しさを持ち、冗談も言う女性だった。
大きく深呼吸をしてカテリーナはマリーの最初の質問へ答えを出す。
「分かりました。…………それなら、これからもよろしくお願いします」
「…………良いの?」
「はい。私が知っているマリーは、世間が言う血塗れ姫とは違うと思うので。だから、さっきの言葉を信じます。マリーが元の姿に戻るためになら、協力を惜しみません」
「…………そう。お人好しだこと」
カテリーナの言葉を聞いたマリーはそう言って顔を背ける。真紅の髪の毛から覗く小さな耳が赤く染まっているようだ。
意外にも照れているらしいマリーに思わず笑いが零れてしまう。
「あはは。……そういえば、これからもマリーと呼んでいいのですか? マルグリッタ王女、と呼んだ方が?」
「いいえ、わたくしの存在はまだ知られるべきではないわ。それに、カテリーナはもう本当の仲間で、わたくしの妹だもの。敬う必要なんてないわ」
「妹……」
「ええ。これからもよろしくね」
「はい!」
マリーに妹、と言われたのがなんかちょっと意外だった。でも、自分のことを利用するための人形ではなくちゃんと認めて貰えたようで少し嬉しい。
はにかんで頷いていると、ノクスがちょっとむすっとした表情でカテリーナを抱きしめてくる。
「ノクス!?」
「俺以外にそんなに懐くな」
「えぇ~……」
「ふふふ、申し訳ありません。貴方からカテリーナを奪うつもりはないわ」
「当り前だ」
ノクスの腕を撫でて宥めるがなかなか機嫌は直してもらえそうにない。
視線でマリーに助けを求めると、笑いを零しながらも声を掛けてくれる。
「ふふ、とりあえず朝食にしましょう。ご飯が冷めてしまうわ」
「ノクス、ご飯食べよ? 私お腹すいちゃった」
「……仕方ない」
未だにノクスは不機嫌そうだが、とりあえずカテリーナを空腹のままにするのは良くないと考えたのだろう。食事の席についてせっせとカテリーナの皿へと料理を取り分け始める。
今までこんなに甲斐甲斐しくお世話なんてしてこなかったのに、昨日のエリオットに続きマリーとも親しくなったことに危機感でも抱いたのだろうか。
困惑するカテリーナを他所に、マリーはにっこりと笑って口を開く。
「さて、食事をしながら、今後のことについて少しお話をしましょうか」
「今後のこと?」
「ええ。3日後に領主さまとの面会の約束を取り付けたわ」
「3日後っ……!?」
エトワルトの領主は前王の弟、つまりはマリーにとっては叔父にあたる人だ。だから面識があるのはおかしくはないけれど、今の状況を考えるとそう簡単に面会の約束を取り付けられるとも思っていなかった。
確かにマリーたちと最初に出会ってからもう1か月近くは経つ。予定通りといえば予定通りだけど、色々急展開過ぎる。
目を見開いて硬直するカテリーナに、しかしマリーは容赦なかった。
「エトワルトの領主、レオナール様はわたくしたちにとって叔父にあたる方になるわ。母君は魔女で、あの方自身も魔女の資質を持っているの」
「え、魔女……!? そんな方が王族にって聞いたことないですよ?」
「ええ。王家の秘密ですもの」
にっこりと笑って告げられたマリーの言葉に顔が青くなる。
またなんか大変なことを知らされてしまった。
魔女は魔族の力の一部を借り受けた人間で、不思議な力を振るうことが出来ると言われているが、一般にはおとぎ話の存在だ。
ノクスなど何人もの魔族と知り合うことになったカテリーナは流石に魔女という存在も実在しているのだろう、とは思っていた。でも2代前の王が魔女との間に子供を作っているとは思いもしなかった。
「あの方は魔女の資質を持つからか、享楽主義であまり権力とかには興味がないの」
「享楽主義……」
「ええ。あの方は10年前、いえ、それよりも前からね。前王の後継争いについても、散々引っ掻き回してくれたわ」
そう言うマリーはとても苦々しそうな顔だ。
一体何をしたと言うのだろうか……。
「えっと、でも、エトワルトの街は今まで結構平和でしたけど?」
「ええそうね。一応この街はちゃんと治められているみたいね。でも、それは優秀な官吏が居れば何とでもなることよ」
「えぇぇ……」
「まぁ、劇場を追い出されたりといったカテリーナの境遇は多分あの方の好みだから。きっと、王宮にどんな波紋をもたらすかワクワクとしていると思うわ」
「……嬉しくないです」
マリーに教えられた領主の人と成りは全く安心出来るモノではなかった。
3日後を思い、カテリーナは胃の辺りを摩るのだった。