17.突発デートと再会2
久しぶりに聴くその声に、カテリーナは顔を上げる。
「ああ、やっぱりカテリーナだ」
「……エリオット」
弱々しい笑みを浮かべて近付いて来た淡い金髪の美青年は、幼馴染のエリオットだった。彼と会うのは、テドの劇場を追い出された日以来だ。
相変わらずの繊細な美青年だが、上着に金糸の刺繍が入っていたりと服装が以前よりも華美になっている。エリオットはシンプルな服装を好んでいたから、多分コレはアンゼリカの趣味だろう。あの女は派手好きだ。
そんなことを考えていたから、つい顔を顰めてしまっていた。エリオットがおどおどと視線を彷徨わせて謝りだす。
「ご、ごめん。声なんか掛けて……。次の日に礼拝堂へ行ったらカテリーナ居なかったから。……その、元気そうで良かった」
「あ~、うん……。今は、なんとかやってるよ」
なんとも気まずい。
今まで長く一緒に居た幼馴染とはいえ、カテリーナは彼らに追い出されたのだ。エリオットは一応礼拝堂という避難場所を提供してくれたけど、マリーたちに出会っていなかったら多分今日まで無事で居られなかった可能性の方が高い。
そんな関係性の彼とは、仲良くお喋りする気にもならなかった。
だけどエリオットは何か言いたいことがあるのか、立ち去る気配はない。自身の髪の毛を弄りながら視線を彷徨わせている。
このまま放っておくと、いつまでもこの状態だろう。
カテリーナは小さくため息を吐き、口を開く。
「……劇場は、どう?」
「あ、うん……。アンゼリカ様の父君のディルベット商会が色々と手を回してくれてるから、席は埋まってるよ。アンゼリカ様とかがその、色々と意見を出すから、ちょっと雰囲気は変わったけど……」
「あ~、そんな気はしてた」
「はは……。その、カテリーナは……」
「なに?」
弱々しく笑ったエリオットが口ごもる。言いにくいことがあると、彼はいっつもこうだ。
昔と同じように腰に手を当てて見上げると、くしゃりと泣き笑いのような顔を向けられた。
「雰囲気全然違うのに、やっぱりカテリーナだ。…………その、歌は、続けてる?」
「……うん。舞台の上ではないけど、歌ってはいるよ」
「そっか、よかった……」
「エリオットは?」
「僕も……。舞台には関われなくなったけどヴァイオリンは続けてるよ」
「そう。アンゼリカは音楽興味ないものね……」
「……うん、まぁ、ね」
エリオットはヴァイオリニストとして、舞台音楽を担当していたのだ。幼少期からずっと続けていたから、ヴァイオリンの腕前もなかなかのものだ。
でも、アンゼリカが気に入っているのは彼の顔だ。近くに侍らせたいから、舞台の練習などで長時間離れるようなことを許さないのだろう。
予想通りではあるが、アンゼリカの我儘に振り回されているらしい。
ちょっといい気味、と思ってしまう自分の性格の悪さに小さくため息を落とした時だった。
「あら、誰かと思えばカテリーナさんではありませんの。わたくしのエリオットになにか御用かしら?」
「っ、アンゼリカ、様」
「随分と、貴女らしくない恰好をしている様だけれど……ああ、この前の変わった男に飼われているのね!」
取り巻きの美青年を沢山連れたアンゼリカがするり、とエリオットの腕に手を絡ませる。鮮やかな紅色の唇を吊り上げて嫌味を言ってくる彼女に、笑みが引き攣るのを隠す気にもならなかった。
本当に、この女と関わるのは嫌だ。
どうやってこの場を切り抜けようか、と悩んでいたカテリーナは唐突にぎゅうと抱き締められた。
「っ!? ノクス……!」
「待たせてすまない。行こうか」
「あ……」
「あらぁ! ねぇ貴方、ノクスと言うの? そんな女ではなくわたくしと一緒にお茶でもしましょう?」
ノクスを見た途端、アンゼリカが目の色を変えた。
エリオットとは違う系統の、人外の美貌だ。沢山のハーレム要員を侍らせているアンゼリカが好まないわけがない。
自分の望みが断られるなんて欠片も考えないアンゼリカは、傲慢な笑みを浮かべてノクスへと手を伸ばす。
しかしノクスは視線すら向けず、絶対零度の声でバッサリと切り捨てた。
「お前に名を呼ぶ許可をした覚えはない」
「なっ……!? わたくしを誰だと思っているの!」
「知るか。カテリーナ、行こう」
「ちょっ! ディルベット商会に逆らって平気で居られると思っているのかしら!?」
アンゼリカがヒステリックな声を上げているが、ノクスに抱き上げられてその場から連れ出される。
ノクスの腕の中からちらり、と振り返ってみるとエリオットや取り巻きの青年たちが必死でご機嫌をとっていた。アンゼリカが不穏なことを言っていたのが少し心配だけど、とりあえずすぐに追いかけてくるとかはなさそうだ。
安堵の息を吐いてノクスに体を預ける。思ったよりも、緊張していたみたいだ。
そして連れて行かれたのは路地裏にひっそりと設置されていたベンチ。歩き疲れた人が休憩できるように用意されているスペースだろう。
季節的に花は咲いていないけれど小さな花壇もしっかり整備されており、ちょっと落ち着く場所だ。
「ノクス、あそこから連れ出してくれてありがとう」
「ああ……」
「ノクス?」
隣に腰掛けたノクスを見上げると、眉間には深い皺が刻まれていた。
眷属が押し掛けて来た、と言っていた時も不機嫌そうではあったけど、それ以上に不快そうだ。
そっとコートの袖を引く。
「どう、したの? アンゼリカのこと?」
「ソレはどうでもいい。その…………」
「なぁに?」
「カテリーナは、あの男には気を許している」
「あの男って、エリオット?」
「ああ。あの男には、気兼ねなく話している様だったから」
「気兼ねなくって、……あれ? エリオットと話している時って、ノクス居なかったよね!?」
眷属の挨拶を受けるために離れていたノクスは、カテリーナから姿は見えなかった。アンゼリカが来てからはエリオットとは話していないし、ノクスがエリオットとの会話を聞いているのはどういうことだろうか。
じっとノクスを見上げると、ちょっと気まずい様子で青紫色の瞳を反らした。
「ノクス?」
「あ~……。離れていても、カテリーナの様子を確認できるようにしていた」
「監視してたってこと……?」
「監視というわけではない! カテリーナに何かあったらすぐ戻れるようにと念のための予防をしていただけだ」
「まぁ、今回はどちらかというと助かった気もするけど……。普段はこんなこと、してないよね!?」
「勿論だ! カテリーナが嫌がるような事はしていない」
プルプルと顔を横に振るノクスに、思わず笑ってしまう。そんな必死に否定しなくても良いのに。
魔族は人間と考え方とかが違うからちょっと心配していたけど、そこら辺の感覚は大丈夫そうなので良かった。
少し高い位置にある紫黒色の髪の毛をそっと撫でる。
「それなら、良かった。……エリオットと気安い感じなのは、兄妹みたいなものだからかな」
「兄妹?」
「うん、小さい頃からずっと一緒に居たから。エリオットは泣き虫だから、兄というより弟って感じだけどね」
エリオットはすぐ泣くし、うじうじよく凹むからいっつもカテリーナが叱り飛ばしたり、励ましたりしていた。エリオットとしても、カテリーナのことはおませな妹のように扱っていた。
そして歌ったり、ヴァイオリンを弾いたりしながら、将来劇場の舞台に立つことを二人とも夢見ていた。
幼馴染であり、同志。そんな関係だったのだ。
「エリオットのヴァイオリンに合わせて歌うことも結構あったけど、そんなことはもう二度と無いんだろうなぁ」
「寂しい、のか?」
「う~ん……。寂しくない、って言ったらウソになるけど。いまは、複雑な感じかな」
ベンチに腰掛けたまま、小さく歌を口ずさむ。
エリオットのヴァイオリンに合わせて良く歌っていた曲。白い小さな花をモチーフにして、無くなった故郷を想う歌だ。
ゆったりとしたメロディーを静かに歌いながら、幼い頃の思い出と先日の出来事を思い出す。
懐かしく、楽しかった日々。辛いことや悲しいこともあったけど、温かな思い出だ。
でも、劇場から追い出され、捨てられたということはそれら全てを壊すような出来事だった。今日、久しぶりに会って言葉を交わしても、どうやってもその蟠りを消すことは出来なかった。
歌を途中でやめ、カテリーナはため息を落とす。
「私って嫌な人間だったみたい。こんなので、良いのかな……」
「それでいい」
「ノクス?」
自分の人間性に凹んでいたら、ノクスがきっぱりと断言した。
いつも以上に強い声に彼を見上げると、青紫色の瞳が真っ直ぐカテリーナに向けられている。
「何にでも優しさを振り撒く必要はない。裏切ったヤツを許してやる必要もない」
「そう?」
「ああ。そもそも、俺以外に対して心を揺らす必要はない」
「あはは、無茶苦茶だよ……」
「魔族だから諦めろ」
穏やかに笑いながら、そっと大きな掌が頭を撫でてくれる。
ノクスの狭量な主張は多分彼の本心だろう。でもそれを冗談のようにこの場で言ってくれるのは彼の優しさだ。
ノクスの優しさと温かさが心地良い。
そっとノクスに体を寄せ、複雑な気持ちを鎮めるようにカテリーナは目を閉じたのだった。