16.突発デートと再会1
翌朝。遅めの朝食が終わったところでマリーから1枚のカードを渡された。
ワインレッドのオシャレな縁飾りが入っているそのカードには、流麗な文字で住所と思われるものが書かれている。
「これは?」
「次のお屋敷の場所よ」
「……やっぱりお引越しはするんですね」
「ええ。今後は領主さまに処理してもらう予定だけれど、流石に襲撃された場所に居続けるのは甘えすぎだもの」
「そう、ですか……」
常識、というような感じで言われたけど、そもそも襲撃されるような経験がまずない。そんなこと知るわけがない。
というか、領主さまに処理してもらう予定、って何かするつもりなのだろうか……。
色々と不穏な言葉にカテリーナは引き攣った笑みを浮かべるが、マリーは穏やかに笑うだけだった。
「今日は1日お休みにするから、街で夕食まで済ませてからそのお屋敷へいらっしゃい」
「夕食後、ですか?」
「ええ。今日はゆっくり、ノクスとデートしてくるといいわ」
「っ、デートって……」
「ふむ、分かった」
「え、ノクス!?」
何故か急にキリッとしたノクスに手を取られる。
急かすように立ち上がって手を引く彼の背後には、ブンブンと振られている尻尾が見えた気がする。
「ふふふ、楽しんでいらっしゃい」
「えぇぇ~……」
戸惑うカテリーナはノクスに引きずられつつ、にこやかに手を振るマリーに送り出されたのだった。
§ § § § §
身支度を終えたカテリーナたちはお屋敷を裏口から出る。念のための警戒として、徒歩で中心街へと向かうことにしたのだ。
完全に、犯罪者な行動だ。
何やっているんだろう、とちょっと思いつつご機嫌なノクスをちらりと見上げる。
普段のノクスは全身漆黒の服装なのだが、今日は街歩きということで少し変えて貰っていた。
ラフな雰囲気のシャツとパンツに、グレーのロングコートを合わせたノクスは休日の騎士のような雰囲気だ。
一方のカテリーナはシンプルなデザインで、丈も短めな街歩き用のドレスを着ている。菫色のしっかりした生地のスカートの下から白いプリーツスカートが覗くのが可愛らしい、密かにお気に入りの1着だ。
傍から見たら、お忍びのお嬢様と護衛といった風に見えるだろうか。それとも若い恋人たちに見えるだろうか……。
「どうかしたか?」
「っ、えっと。いつもと違う感じなのも、恰好いいなぁ、って」
「っ!? そう、か」
青紫の瞳を見開いたノクスは片手で口元を覆い、顔を反対側に向けてしまった。褐色の肌だから分かり難いけれど、耳の端が赤くなっているような気がする。
そんな反応をされて、遅れてカテリーナも恥ずかしくなってくる。
面の向かって、何を言っているんだろうか……!
周囲からどう見られているかを考えていた、というのを隠したかっただけなのに余計な事を言ってしまった。心の片隅の想いが零れたのだ。
顔を紅く染めて視線を彷徨わせていると、そっと髪を撫でられた。
「ノクス?」
「カテリーナが気に入ってくれたのなら良かった」
「っ! う、うん」
カテリーナの薄茶色の髪の毛を一房取り、口付けを落としたノクスからは滴るような色気が漂っていた。
間違っても、青空が広がる昼間の街中で見せる顔じゃない!
どぎまぎとしながらも髪の毛を奪い返し、さっさと歩き出す。立ち止まっていたら、ノクスの色気に当てられて叫び出しそうになる。
しかしノクスはそんなカテリーナの状態を分かっているのか、いないのか。
あっさり横に並ぶと、するり、とカテリーナの手を取る。
「っ、ノクス!?」
「はぐれたら困るから、な」
「~~……!!」
「どうした?」
喜びの色が溢れる整ったノクスの顔と、大きな掌に包まれた右手に漏れそうになる悲鳴を噛み殺し、ブンブンと顔を横に振る。
挙動不審だけど、どうしようもない。
カテリーナには、色々と刺激が強すぎるのだ。
まだまだ1日は長いというのに、先が心配だ……。
早くもげっそりしたカテリーナにノクスは首を傾げている。
「なん、でもない……!」
「何でもない様には見えないが……」
「それでも、何でもないものは何でもないの」
「…………そうか。それで、どこか行きたい場所はあるか?」
「う~ん……。正直、中心街でも高級街側ってあんまり馴染がないから……」
へにょりと眉を下げ、カテリーナはため息を零す。
エトワルトは街の中心部、中心街と呼ばれる場所に劇場やホテル、商店などが集まっている。そして街の北側は貴族や大商人の邸宅が並ぶ高級街、南側は一般庶民が暮らす庶民街となっている。
そんな位置関係のため、中心街の中でも北側は格式高く高級なホテルや商店が集まり、南側は庶民的な雰囲気なのだ。
今までカテリーナが所属していたテドの劇場は一応中心街にあるが、南側の庶民街ギリギリの位置だった。
そしてもちろん庶民なカテリーナが活用していたのも、南側のお店だけだ。北側のお店に入ったのは、先日ヴィクトールに引き連れられて行った仕立て屋が初めてだったくらいだ。
しかし今はドレスを纏ったご令嬢スタイルなのだ。南側のお店に行く方が不審だ。
あと多分、南側のお店に行ったことがマリーにバレると怒られる。まだお披露目もしていない状況ではあるけれど、王女としての自覚を常に持ちなさい、と言われているのだ。
「マリーから軍資金はたっぷり渡されているけど、高級店は恐ろしくて入りにくいのよね」
「……そうか?」
「え……?」
きょとん、と青紫色の瞳を瞬かせるノクスを見上げ、カテリーナも目を丸くする。
ついこの間まで昏闇の森で眠っていた、というノクスにこんな反応をされるとは思わなかった。
「ノクスって、高級店での買い物も慣れているの?」
「慣れている、というわけではないが。昔は王都に居たからな」
「……王都って、やっぱりエトワルトよりもキラキラしてる感じなの!?」
「キラキラってことはないが、長く続く店が多いからな。この辺の店よりは重厚感があるな」
恐れ戦くカテリーナに苦笑を零し、ノクスは周囲の店を見回す。
この辺は、以前連れて行かれた仕立て屋がある辺りよりは新しく、そして少しリーズナブルなお店が立ち並んでいる。それでも十分高級店で、店構えも立派だ。
美しく飾られたショーウィンドウに並ぶ品々を見るだけでもカテリーナには恐ろしい。
しかし口元に笑みを浮かべたノクスはカテリーナの手を引き、とあるお店に入っていく。
明るい光が満たすそこは、装飾品のお店だ。
「この髪飾りなんかカテリーナに似合うと思うが?」
「っ、や、髪の毛結うの苦手だから……」
「そうか。それなら、この首飾りは?」
「あんまり飾りが多いのは、得意じゃないかなぁ……」
「そうか。ならば……」
宝石で作られた青や紫の花束のような髪飾りや、大小様々な宝石が輝くネックレス、細かな彫刻が施された指輪などなど。ノクスは次々とガラスケースに並べられたアクセサリーを指差していく。
どれも美しいし、素晴らしい品々だ。だけど、自分が身に着ける様子を想像できない。
半分泣きそうな気分で断り続けていると、そんな様子に気付いたノクスがふむ、と小さく唸る。そして大きな掌でカテリーナの背を撫で、とあるアクセサリーを示す。
長方形のプレートの装飾がついた細い銀鎖のブレスレットだった。プレートには繊細な草花の彫刻が施され、青紫色の小さな宝石が1粒アクセントとして嵌め込まれている。
「あのブレスレットはどうだ? シンプルなデザインだから、普段使いもしやすいと思うが」
「うん、素敵なデザインだね」
「気に入ったみたいだな。なら、アレにしよう」
「え、いや、でもっ……!」
「今日の思い出に、な? 資金は十分に貰っているのだから、遠慮する必要はないだろう」
「えぇ……」
なんだか慣れた様子でお会計を済ませ、ノクスはカテリーナの手を取る。そしてつい先ほど購入したばかりのブレスレットを手首に着けてくれる。
「うん、良く似合う」
「……ありがとう」
満足そうな笑みを零すノクスに、思わず顔が赤くなる。店員さんからもなんか微笑ましそうな視線を送られて、とても恥ずかしい。
とりあえずもうこのお店には用はないはずだ。
グイグイとノクスの手を引っ張り、お店から出る。
「そんなに急がなくてもいいだろうに」
「でもほら。お店の邪魔になるから、ね!」
「仕方ない。……ん?」
「ノクス、どうかした?」
「いや、なんでもない」
「何でもない感じじゃないけど?」
眉間に皺を寄せ、明らかに不機嫌になっている。お店から出た途端だから、自分のせいではないと思いたい。
急激すぎる変化に首を傾げると、ノクスが深々とため息を零す。
「眷属が挨拶に押し掛けて来た……」
「あぁ、前にヒプノスが言っていた」
「ああ。なにも今来なくても良かろうに」
「ふふ、折角挨拶に来てくれたのなら、会えばいいのに」
「折角のカテリーナとのデートだ」
「ここで待ってるから、行っておいでよ」
「だが……」
しょんもりと伏せられた犬耳がノクスの頭の上に見える気がする。
思わず零れそうになる笑いを噛み殺し、半ば無理やりノクスを送り出す。どうせ時間はいっぱいあるのだ。しばらくノクスが眷属の挨拶に時間をとられても問題ない。
そして約束通りブレスレットを買った装飾品のお店の側で、ぼんやりとノクスの戻りを待っていたのだったが。
「カテリーナ……?」
不意に、少し懐かしい男の声で名前を呼ばれたのだった。