14.特訓と息抜き
「今日はここまでにしましょう」
「はい。ありがとうございました」
姿勢を崩さないまま、ふうと息を吐く。今日も朝からマリーによるスパルタ淑女教育だったのだ。
マリーは適格にカテリーナの許容量を見極めて、常にそのギリギリの量の教えを詰め込む。だから教育の間は気を抜いていられないのだ。
とても疲れる。
ちょっとぐったりとしていると、マリーがにこやかに微笑みながら声を掛けてきた。
「疲れているようね?」
「……ええ、少し。細かい決まり事なんかがなかなか覚えられなくて……」
「そう。でも、カーテシーは十分に美しくできるようになっているし、カテリーナはちゃんと成長しているわ。焦らずに取り組めば良いのよ」
「っ! ありがとうございます。……お作法とかも、もっと頑張ります」
「ふふふ、いい子ね。それなら、明日までにこの本の内容を覚えておきなさい」
「え゛…………」
「ふふ、大丈夫。カテリーナなら出来るわ」
ニッコリ笑ってマリーが差し出すのは、貴族の階級ごとの礼儀作法を解説した本。比較的薄いものだけど、苦手な分野だ。
なかなか褒めてくれないマリーに褒められたからと、つい調子に乗った。おかげで大変な宿題を出されてしまった。
凹みながらも、カテリーナなら出来ると煽てられて、とりあえず頑張ろうという気持ちになる。
完全に掌の上でコロコロ転がされている気がする。
「うう~、我ながら単純……」
よろよろとお屋敷の庭園を散歩しながら、カテリーナはため息を吐く。
夕方にマリーの教育が終わってから夕食まで少し時間が空くが、流石にその時間まで宿題をやる気にはならない。だから夕暮れに沈む庭園を散歩することが最近のカテリーナの日課となっていた。
いそいそと着いてくるノクスを供に、束の間の息抜きだ。
「大丈夫か?」
「うん、大分慣れて来たよ。こうやって息抜きも出来るしね」
気ままに歌を口ずさみながら、ゆったりと庭園を歩く。
高級街は貴族の別荘や大商人の邸宅が立ち並んでいるけれど、それぞれのお屋敷の敷地は広い。庭園で歌を歌っていても、お隣さんから苦情を言われるようなこともないのだ。
しかも、今居るお屋敷は最初に連れて行かれた所とは違い、エトワルトの郊外にあった。建物や庭園は少し無骨で質実堅剛といった雰囲気だが、そのかわりかなり広い敷地を持っている。
おかげで結構全力で歌えるのだ。
カテリーナの歌声に耳を傾けご機嫌そうなノクスに癒されつつ、最近の不安要素を思い出してため息を零す。
「でも、これってまるで犯罪者の潜伏みたいよね……」
「そう、か?」
「そうよ。普通の人は、こんなに頻繁に移動しないのよ!」
実は、カテリーナたちは3~5日ごとに違うお屋敷へ引っ越しをしているのだ。
マリーたちと出会って20日程だけど、今のお屋敷は5軒目だった。このお屋敷に来てからも3日経っているから、そろそろまたお引越しかもしれない。
エトワルトの中だけで、これだけ移動を繰り返せる程の協力者が居ることにも驚きだが、明らかに普通じゃない。
外出するときのヴィクトールの不審者装備も、顔を隠すものだ。マリーの正体も意味深だし、色々不穏だ。
選択を間違ったかもしれない、という不安がどうにも拭えないのだった。
立ち止まってまた一つため息を落としていると、不意に派手な色がニュッと割り込んで来た。
「っわ、カウィ!?」
「近い」
「ひひひ、ホントに闇のは狭量だなぁ」
至近距離に現れたカウィから引き離すように、ノクスの腕の中に抱き寄せられていた。
急に逞しい腕が腰に回り、大きな体に抱き込まれる形になってドキリとしてしまった。
熱くなった頬を誤魔化すように手で扇ぎつつ、首を傾げる。
「どうかしたの?」
「ん~? なんかオモシロそうなこと話してたから」
「面白そう?」
「うん! マリーの正体が気になっちゃってるカンジでしょ? 教えてあげよっか?」
にひひ、とカウィは無邪気に笑っている。でも、その笑顔の裏には悪意が潜んでいるような気がする。
それに、以前マリーへ面と向かって聞いた時に向けられた無言の笑みを忘れてはいない。
余計な詮索は危険だ。
カテリーナは顔を顰め、首を横に振る。
「遠慮しておきます」
「ええ~~。遠慮しなくていいのに。何でも教えるよぉ?」
ずずいと近付いてくるカウィの瞳が妖しく光った。
と思った瞬間、ノクスの大きな掌で目を覆われていた。
「享楽の」
「やっぱり気付かれるかぁ!」
「当り前だ。カテリーナ、何処か変なところとかはあるか?」
「ん、特にはないと思うけど……」
掌を外され、パシパシと瞬く。さっきは一瞬、カウィの瞳に視線が惹きつけられた感じがしたけど、今はそれもない。
大丈夫そうだ、と頷くとノクスがギュッと一層強くカテリーナを抱き込む。
「享楽のの精神操作だ。大方カテリーナを操ろうとしたのだろうな」
「ひひ、せいか~い!」
「精神操作って……。なんで?」
「んひひ、だって、そっちの方が面白そうじゃん?」
ばさり、とけばけばしい色の髪の毛を揺らしてカウィは笑う。
全く、理解できない。
前にマリーが言っていた魔族は人間とは違う、ということをとても実感する。
「面白そうって……。カウィは、マリーの邪魔をしたいの? マリーを花嫁に望んでいるのかと思ってたけど……」
「ううん、違うよ~。僕は、マリーとヴィクトール、二人セットでお気に入りなんだ。あの二人を見てるとね、ずっと退屈しないよ」
「退屈……?」
「うん。10年前の綱渡りな日々の二人も、この10年間の暗闇の中で僅かな希望に縋って足掻き続けてるのも、とってもイイよね」
オパールのような瞳には恍惚とした光を宿し、ほぅと熱い息を零す。
艶っぽく、愛しい者を想うようにカウィは語っているが、言っている内容は結構酷い。正直、ドン引きだ。
一歩足を引くカテリーナを守るように、ノクスも腰に回した腕に力を入れていた。
しかしそんな二人の様子に気付くこともなく、カウィは熱に浮かされたような目で語る。
「最近は希望が見えてきて、久しぶりにとっても生き生きとしてるから、特に見てて楽しいんだよね~。こういうときってぇ……、絶望に叩き落したくなっちゃう」
「え……」
「だからか……。カテリーナに手を出すのは許さないぞ」
「ひひひ、だよね~。一番手っ取り早い絶望はその子をどうにかすることだけど、闇のを怒らせる気まではないから。流石にもうやらないよ~」
ケラケラと笑ったカウィは、全く反省した気配はない。
もうやらない、といってもなんか仕掛けてきそうで安心は出来そうにもない。カウィにはあまり近付いては駄目だ。
そう再認識していると、パチンと両手を大きく打ったカウィがニンマリと笑う。
「あ、そうだ! お詫びじゃないけど1個アドバイス~」
「アドバイス?」
「うん。今夜は、さっさと中に入って、戸締りをしっかりした方が良いよ」
「え……?」
「ひひ、お外は危ないからねぇ~」
一方的にそれだけ言うと、「じゃあねぇ」と去って行ってしまった。
本当に、カウィは自由というか、勝手だ。
むむ、と眉間に皺を寄せるカテリーナをノクスがギュウと抱き締める。
「ノクス?」
「多分、忠告は聞いておいた方が良いだろうな。そろそろ戻ろう」
「……うん」
お屋敷の外に一瞬視線を向けたノクスの表情には、どこか不穏な色が混じっていたのだった。