11.計画と
翌日の朝。比較的早い時間に部屋へ乱入してきたカウィによってたたき起こされ、朝食を摂ると直ぐにマリーたちはホテルをチェックアウトした。
そして連れて行かれたのは、エトワルト北部にある貴族の別荘や大商人の邸宅が立ち並ぶ高級街の一角。上品ながらも精緻な彫刻が施された白い柱と薄桃色のタイルが特徴的な、瀟洒なお屋敷だった。
「ここは……?」
「わたくしの協力者が所有しているお屋敷よ。今日からここで過ごすことになるわ」
「協力者……? ホテルじゃ、駄目だったんですか?」
「ええ。ホテルでは色々と場所が足りないもの。カテリーナも王宮へ行くのだから、この程度で驚いていたらダメよ?」
コロコロと笑うマリーにカテリーナは顔色を悪くする。
今までカテリーナが暮らしていたのは、古い劇場の物置小屋のような部屋だったのだ。昨日一泊した部屋でも、超高級ホテルのスイートルームだから正直かなり居心地が悪かった。
それが今度は、明らかに貴族の別荘と思われるお屋敷だ。
室内はクリーム色や薄桃色などの淡い色を中心とした上品な設えだが、さり気なく金で装飾が施されていたり、細かな彫刻が施されていたりする。そこここに高級感を感じて、とてもじゃないけど落ち着かない。
プルプル震えてすらいるカテリーナに、ヴィクトールは冷たい白藍色の瞳を向ける。
「この程度で震えるとはな。いっそ、リュクス邸を使えば良かったのではないですか?」
「リュクス邸はわたくしの趣味ではないのだけれど……。まぁ、あまりにもカテリーナが慣れないようなら荒療治になるけれど、そちらを使おうかしらね」
「ひぃっ……」
にっこりと笑うマリーがなんか不吉だ。
リュクス邸というのがどんな場所かは分からないけど、荒療治と言うからには金ピカなお屋敷とかなんだろう。そんな場所は嫌だ。
キラキラした場所は舞台の上とかなら憧れるけれど、日常を過ごす場所としては遠慮したい。
ブンブンと顔を横に振るカテリーナに、マリーは素っ気なく「それなら早く慣れなさいな」とだけ告げるのだった。
そして宛がわれた部屋に少ない私物を置くと、いつの間にか運び込まれていた昨日仕立て屋で買った1着のドレスに着替える。
日常用のそれはコルセットで締め上げたりもしない、一人で着ることが出来るものだ。深いネイビー色のドレスはシンプルなデザインだが、銀糸の刺繍と縫い付けられた小さなビーズがどことなく夜空を思わせる。
腰まである薄茶色の髪の毛は、結い上げ方なんて分からないのでとりあえずそのまま下ろしておく。真っ直ぐな髪の毛だから、梳っておけば見苦しくはないだろう。
靴も新しく用意してもらったものに履き替えると、指定された広間へと向かう。
今日から、本格的に王女らしい振舞いの教育が始まるのだ。
「ふふ、カテリーナ良く似合っているわ」
「ありがとうございます」
「ワフ!」
「ノクスもありがとう」
ホテルからお屋敷に移っても何故か犬のままなノクスは尻尾をぶんぶんと振りながら、大人しく広間の片隅でお座りしている。カウィはお屋敷に着いた途端人型になって適当な部屋へ寝に行ったのとは対称的だ。
この広間はテラスがサンルームになっており、そこにはお茶の準備がされていた。
ヴィクトールに抱きかかえられたマリーに呼ばれ、カテリーナも席に着く。
「芸術祭で貴女のお披露目をするという話はしたと思うけれど、これからの詳しいことを説明するわ」
「は、い」
「ふふふ、そんなに緊張しないで。ほら、紅茶をお飲みなさい」
「はい……」
マリーはクスクス笑っているが、その金色の瞳には優しさ以外の色も多く含まれていることに気付いていた。
昨日の食事の時もずっと採点されていたみたいだし、気を抜くことなんて出来ない。
とはいえ正しいマナーなんてものも知らないのだ。とりあえず背筋を伸ばしたまま、なるべく上品に見えるように紅茶へ口を付ける。
香り豊かな紅茶だが、味なんてやっぱり分からない。
「お披露目は2か月後の芸術祭の予定だけれど、その1月くらい前には領主さまの所へ挨拶へ行くわ。だから、これからの1か月で淑女としての振舞いを身に着けてもらうわ」
「っぇえ!?」
驚いて置いたティーカップが、カチャン、と音を立てる。
「ふふ、駄目よカテリーナ。どんなに驚いたとしても、優雅に振舞わなくては」
「う、……はい」
「まずは最低限の所作と言葉遣いね。それだけでも王女に相応しいものになってもらわないと、領主さまに認めてもらうことも出来ないわ」
「領主さまに認められないと、お披露目も王宮行きも出来ない、ということですよね?」
「ふふふ。カテリーナが賢くて良かったわ」
にっこりと微笑むマリーに冷や汗が出る。協力関係になったけど、まだまだ試されているようだ。
引き攣りそうな笑顔を浮かべるカテリーナに、ヴィクトールが冷たい視線を送る。
「表情もある程度取り繕えないと、王宮ではあっという間に食い尽くされるぞ」
「え……」
「あら、大丈夫よ。今のままの方が領主さまの好みだわ」
「……そうですね。あのお方には、良いオモチャとなりましょう」
「えぇ……」
ひたすら不穏な言葉に、笑顔を取り繕うのも忘れて固まるしかない。
しかしそんなカテリーナに、マリーはにっこりと素敵な笑顔を向けるだけだった。
「さて。カテリーナはダンスを踊れるかしら?」
「えぇぇ。…………一応、ワルツであれば舞台の中で必要になるのでやったことはあります」
「それならば良かったわ。芸術祭では、貴族はダンスが必須なのよ」
あっさりと話題を変えるマリーに、しかし文句も言える訳はない。
正直に答えると、マリーは満足そうに頷く。そしてペチリと自身を抱きかかえるヴィクトールの腕を叩く。
「ヴィクトール、相手役をなさい」
「…………承知しました」
地の底を這うような低い声で了承するヴィクトールは、物凄く嫌々であるという様子を隠しもしない。
マリー以外の女の相手をする気なんて欠片もないのだろう。
恭しくマリーを床に降ろし、それとは全く違う、死ぬほど渋々という様子でカテリーナへと手を差し伸べる。
いっそ清々しい対応の違いに苦笑を零しつつその手を取ろうとした時。
不意に、褐色の指がカテリーナの手を攫う。
「っ、ノクス!?」
「ワルツくらいなら踊れる」
「あら。ふふ、それならノクスにお願いしましょう」
クスクスと笑いを零したマリーの手拍子に乗せて、人型になったノクスとワルツを踊り出す。
人型のノクスはかなり長身で、カテリーナとは頭ひとつ分ほど身長差がある。それなのに、意外にも踊りやすい。
拍を数えるマリーの声と手拍子だけを音楽に、滑るようにステップを踏む。
ふわり、と広がったドレスのスカートが夜空のように煌めき、ノクスの黒衣と共に闇を描く。
たった2人だけが踊り、美しい音楽もない。
それでも巧みなノクスのリードに導かれて踊るワルツはとても楽しいものだった。
そして幾度目かのターン。
不意に力強い腕に引き寄せられ、美しい青紫と目を合わせる。
軽く伏せられているその瞳はゾクリとするような色気を孕み、腰に添えられた大きな掌が熱い。右手も、カテリーナを捕らえるように強く握られた。
「っ……!」
昨夜、戯れのように贈られた口付けよりも。
その眼差しと掌は、雄弁に主張していた。
執着。
独占欲。
愛情。
それを感じ取ったカテリーナは。
ドクリと高鳴る胸を感じつつ、そっと目を伏せたのだった。