10.もふもふ爆弾
日が暮れ、ルームサービスで夕食を終えたカテリーナはぐったりとしていた。
夕食ではなんかオシャレな前菜とか、どう食べていいか分からない肉料理とかが用意されて、緊張のせいで味わう余裕がなかったのだ。マリーがニッコリ笑って「特訓ね」と言っていたのが恐ろしい……。
夕方には戻って来ていたヴィクトールは相変わらずマリーを膝の上に抱えているが、この男は完璧なマナーで食事をしていた。騎士らしく食べるのはすごく早かったけど、優雅な手つきだったのだ。
もうホテルの人も部屋に訪れるようなことはない時間だからと人型になったノクスはマナーなんてものは一切関係なく、気まぐれに野菜とかフルーツを摘まんでいた。意外にも草食らしい。
そしてもう一人は……。
「たっだいま~!」
「……また勝手に出ていたのか」
「だぁって日が暮れてからが僕の領域の時間だよ」
「粗相をしていなければ良い。マリー様に迷惑を掛けることがあれば、いくら貴様とはいえ許さん」
「もー、ヴィクトールは固いなぁ」
ぶうぶう文句を言っているカウィは特徴的な派手な髪色ではなく、ありふれた茶色の髪の毛になっていた。
驚いてカウィを見ていたら、ニンマリと笑って近付いてくる。
「ひひ、驚いたぁ? 色を変えるくらいは簡単なんだ!」
「ぇ、えええ!?」
パチン、と指を鳴らした途端、カウィの髪の毛が色々な色が混ざったド派手な色に戻ったのだ。
琥珀色の目を真ん丸にして驚きの声を上げるカテリーナに、カウィは愉しそうに笑う。
「うんうん、イイ反応。楽しい子は好きだよ~。僕のこと、カウィって呼ばせてあげる」
「ぇ……!?」
「近い」
カウィがより一層近付こうとした途端、ノクスがその顔面を鷲掴む。ギリギリと音がするほどの強さで掴んでいるらしいその状況に、しかし慌てているのはカテリーナだけだった。
ヴィクトールは冷ややかな視線を送っているだけだし、マリーもおっとりと笑っていた。
そして鷲掴まれているカウィ自身も、賑やかに騒いでいる。
「夜のは狭量だなぁ! 別にそのコをつまみ食いする気なんてないよ」
「当り前だ」
「もー! 折角お土産持って来たのに、渡してあげないぞ~」
「は? 土産?」
「そう、コレ! 街ン中に落っこちてたから拾ってきたよ」
そう言ってカウィが突き出すのは、クリーム色のもふもふ。子犬サイズの羊だ。子羊というわけではなく、夜色の立派な巻き角をもった小さな羊だった。
ジタバタと藻掻いているソレは、ポフン、いう本日何回目かの音と共に姿を変えてノクスへと突っ込んでいく。
「我が君~!!」
「……ヒプノスか」
「漸くのお目覚め、お慶び申し上げます! お久しぶりでございます~!!」
「五月蠅い」
喜び大爆発、といった感じでノクスに抱き着いたのは、クリーム色の巻き毛の美少年だった。
しかし少年の喜びなんか知ったことではない、という様子のノクスは無情にもべリッと自身から剥がして放り投げた。
「えぇ…… !? ノクス、それはいくら何でも酷いんじゃ……」
「別にあのくらいでどうこうなったりはしない。アレも魔族だからな」
「そう! 夜のの眷属、夢を司る魔族だね~」
「はい。ヒプノスと申します。我が君を目覚めさせていただき、ありがとうございます!」
いつの間にか側に戻ってきていた少年――ヒプノスはカテリーナにも笑顔で礼をする。
さっき結構な勢いでノクスにぶん投げられていたのに、本当になんともないようだ。魔族ってとても丈夫らしい。
カテリーナからノクスへと視線を戻したヒプノスは、大きな紫色の瞳に涙を潤ませる。
「日に日に弱くなっていくお力に、このまま次代へ交代されてしまうのかと心配しておりました……」
「別に、そうなったとしても困りはしないだろう」
「そんなこと! ボクたち眷属にとって、王の不在は苦しいものなのです」
「そうか。……すまなかった」
「だから、我が君が目覚められ、花嫁を迎えられたことに、心からお祝いを!」
つい先ほどまでの沈鬱な空気は何処へやら、輝くような笑顔でヒプノスがなんだか爆弾発言をしている。
ピシリ、と動きを止めたカテリーナを横目に、ノクスが渋い顔で首を横に振る。
「いや。カテリーナは花嫁ではない」
「……はい? 花嫁ではない、と?」
「ああ」
「こんなに、マーキングしてらっしゃるのに?」
「まだ、な」
「まだ? 花嫁? マーキング……?」
ポンポン交わされるノクスとヒプノスの会話について行けない。
何とか硬直からは立ち直ったカテリーナが気になった単語を復唱すると、ノクスがするりと手の甲で頬を撫でた。
「俺が近くに居るからな」
「それだけじゃないけどね~」
「五月蠅い、享楽の。……とにかく、今は余計なことは不要だ」
「ご深慮がおありなのですね、他の者にも周知いたしましょう。ただ、ご挨拶に伺う者は出てくるかもしれません」
「それは仕方ないだろうな。変に騒動を起こさなければ良い」
「承知致しました」
ヒプノスが深々と礼をする。可愛らしい少年の姿だけど、ノクスとのやり取りは臣下らしいものだった。
ニヤニヤ笑っているカウィがなんだか不穏だけれど、とりあえずこの場はまとまったらしい。
話がひと段落ついたそこで、ヒプノスがふと思い出したという様に口を開く。
紫色の大きな瞳がきらきらと輝いていた。
「そうでした! ボク、花嫁を迎えたので、いつの日か二人で挨拶に参りますね! では、失礼します」
ポフン、という音とともにヒプノスが姿を変え、小さな体が宙返りしたと思ったら、クリーム色のもふもふは消えていた。
可愛らしいもふもふだったけど、最後にまた爆弾を投下してくれたようだ。
隣に座っているノクスが両手へ顔を埋め、なんだか疲れ切った様子なのが心配になる。
「ノクス、大丈夫?」
「あぁ……。大したことはない」
「ひひ。あの羊、王を心配とか言っといて、自分は花嫁迎えるとかすっごいよね~」
「ふふふ、あの方の花嫁となるとあの子かしら」
「たぶんね~」
「え、マリーも何か知っているんですか?」
ヒプノスが居る間は一切口を挟まなかったマリーの言葉に、目を丸くする。
しかしマリーは深い笑みを浮かべるだけで、ヴィクトールの腕を軽く叩く。
「さて、そろそろ時間も遅くなってきたわ。寝室は一つ余っているから、カテリーナたちはそちらを使って頂戴」
「え。あ、……はい」
「明日から忙しくなるから、貴女も早くお休みなさいね」
それだけ言い残すと、ヴィクトールと共にマリーは寝室へと消えていく。
人形なのに、睡眠が必要なのだろうか。
そんな疑問を抱きつつ使っていいと示された寝室へカテリーナが向かうと、何故かノクスが当然の様について来た。
「えっ、ノクスもここで寝るの……?」
「嫌、だろうか?」
「えっと……」
この部屋にあるのは、大きなベッドが一つきりだ。ノクスもここで寝る、といったらあのベッドで一緒に寝るのだろうか。
確かに、昨夜は子犬状態のノクスを抱きかかえて眠った。
でも、あの時は人型を知らなかったのだ。こんな美丈夫だなんて知っていたら、あんなことはしなかった。
そうは思うものの、見上げたノクスの美しい青紫色の瞳は何だが寂しげだし、頭の上には伏せられた犬耳が見える気がする。
カテリーナが意地悪をしているかのような気がしてしまって言葉に迷っているうちに、大きな腕に抱き締められていた。
「えっ!? ノクス!!」
「ずっと眠っていて、このまま消滅しても良いかと思っていた時に、お前の歌が聴こえてきた。一人で立ちあがろう、前に進もう、とする歌声に惹かれたんだ。この歌声の主が愛しい、と思ったんだ」
「愛しい、って……」
「…………だから、どうか拒絶しないで欲しい」
耳の直ぐ近くで、深い声が縋るように告げる。カテリーナの体を包み込む程大きな体躯が、少し震えているようにも感じた。
抱き締める、というより縋りついているかのようだ。
まだ、人型のノクスの姿には慣れない。
彼が側に居るというのも、そう簡単に受け入れられることではない。
それでも。
昨夜は、子犬姿のノクスが一緒に居てくれて、カテリーナも救われたのだ。
躊躇いがちに、右手でノクスの広い背中を軽く叩く。
「…………い、犬の姿なら、一緒に居てもいいよ」
「犬、か……。まぁ仕方ないな」
勇気を出したカテリーナの言葉に、ノクスは苦笑を零す。
そして青紫色の瞳に色気を乗せてカテリーナを見つめ、流れるような動きで口付けを一つ唇に落とした。
ほんの一瞬の口付け。
それに呆然としているうちに、ノクスはあっさりと犬の姿になってベッドへと行ってしまった。
「っ!!?? ノ、ノクス!」
「ワフ?」
漸く事態を理解して真っ赤になったカテリーナが声を上げるが、ノクスはわざとらしく首を傾げるばかりだった。
少し前の縋るような願いが嘘みたいだ。
熱が引かない頬を押さえてじっとりとノクスを見るが、ベッドの上で丸くなった彼はもう動く気もなさそうだ。
ここで粘っていても仕方ないだろう。
「うぅぅぅうぅ、もう!」
悔しまぎれに声を上げ、カテリーナもベッドへと潜り込むのだった。