表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
踊る人形姫  作者: 金原 紅
第一章 エトワルトのお人形
1/31

1.追い出された少女と勝ち誇る悪女

「カテリーナ、今すぐここを出て行け!」


 その言葉と共に、丸々と太った手でカテリーナは乱暴に裏口から押し出される。

 突き飛ばされ、狭い路地に尻餅をつく彼女の横に、乱雑に古びたトランクケースも投げ出された。


「テド小父(おじ)さん!? どうして? 今夜の公演だってあるのに!」

「もう小父さん、なんて呼ぶな。母親エメーリアの才を引き継いでいるかと今まで置いてやったが、大した才能もない。これ以上、うちには必要ない!」

「そんな、ひどい……!」


 生え際が不自然な金色の髪を必死に撫で付け、テドは鼻息荒くカテリーナを見下ろす。

 灰緑色の目には、罪悪感や優しさの色は欠片もなかった。


「酷いなんてことあるものか。エリオットはアンゼリカ様との結婚が決まったんだ。お父君はこの歌劇場の支援も約束してくれている。アンゼリカ様の不興を買うようなことは出来んのだ。我々のことを思うなら、お前は大人しくここを去ってくれ」

「そんな…………」

「…………カテリーナ」

「エリオット」


 テドの横から出てきた淡い金髪を持った繊細な雰囲気の美青年――エリオットがそっとカテリーナの右手を握った。幼馴染の彼は、カテリーナの掌に何かを押し付ける。


「ごめん。僕には、これくらいしか出来ないんだ……」

「エリオット何をしている! もうすぐアンゼリカ様が来るんだぞ」

「分かってるよ!」


 エリオットをは緑色の瞳を伏せたまま、決してカテリーナと目を合わせようとしなかった。

 気の弱い彼は、父親であるテドには逆らえない。急かすテドの声に慌てて立ち上がった。


 けれども直ぐには戻らず、おどおどと視線を彷徨わせる。

 そしてやっぱり目を合わせないまま、小さな声で告げた。


「…………カテリーナ、元気で」

「っ、……………………」


 何も言葉は返さず、唇を噛み締めるカテリーナを見て、エリオットは眉を下げる。

 しかし彼もそれ以上は何も言わず、歌劇場の中に戻っていく。そしてエリオットが中に入ると、扉が乱暴に閉められた。

 ガチャン、と鍵を掛ける重い音も残酷に響く。


 歌劇場から、完全に捨てられた。

 それを思い知らされるような音だった。




 ほんの少し前までの騒ぎが嘘のように、路地はしんと静まり返る。

 薄暗く冷たいそこに一人取り残されたカテリーナは、そっと右手を開いた。エリオットに何かを押し付けられたそこには。


 一枚のメモと、古びた一本の鍵。


「元気でって…………。こんな仕打ちうけて、これだけで……。元気で居られるわけないじゃない!」


 ぐしゃり、とメモを握り潰し、カテリーナと一緒に捨てられたトランクケースに右手を叩きつける。

 突き飛ばされた時に擦りむいた右の掌が、ズキリと痛んだ。


 さっきエリオットが渡してくれたメモと鍵。それと、勝手に荷物を詰められたトランクケースが一つ。

 それがカテリーナに残された持ち物の全てだった。

 今は亡き母との思い出の品も、ほとんど入っていない。


 込み上げてくる涙を必死に堪え、とにかく立ち上がる。

 こんなことで泣いてやるものか。

 歯を食いしばり、細く息を吐く。


 さっきまで舞台のお稽古だったから、着ているのは古いワンピースたった一枚。街を歩くには少し恥ずかしいけれど、ここで着替えるわけにもいかない。

 薄汚れた路地に尻餅をついたせいでまた少し汚れてしまったスカートを払い、薄茶色の髪の毛を一つにまとめる。

 これから移動するのに、長い髪の毛を下ろしたままでは邪魔でしかない。


 そしてトランクケースを持ち上げた。


「……出て行ってやるわよ、こんなとこ!」


 琥珀色の瞳で歌劇場の石壁を睨み付け、路地の出口へ向かう。


 わずかな荷物だけど、それなりの大きさがあるトランクケースはなかなか重たい。

 両手で抱えて、薄暗い路地から大通りへと出ると――。


 カテリーナが居る場所の少し先。劇場の正面玄関前に丁度、立派な馬車が停まっていた。


 そしてその馬車から、宝石がいくつも縫い付けられた豪奢なドレスを身に纏った、黒い巻き髪の女性が馬車から降りてくる。

 アンゼリカだ。


 午後の陽射しを浴び、煌びやかな宝石と美貌を輝かせた彼女はコツリ、とヒールの音を高らかに響かせる。

 そして迎えに出たテドとエリオットに向けて、鮮やかな紅色に彩られた唇を艶然と笑ませる。


 しかしその青い瞳は一瞬、カテリーナを捉えていた。


 あの笑みは、エリオットたちへ向けたものじゃない。

 カテリーナに向けたものだ。

 自身の勝利を誇り、敗者のカテリーナを嘲笑うものだ。


 くたびれ、薄汚れたワンピースで歌劇場から追い出されるカテリーナと、煌びやかなドレスを纏って歌劇場に迎え入れられるアンゼリカ。

 あまりにも対照的で、惨めな気分になるその場から。




 カテリーナは、唇を噛み締め、逃げるように立ち去ったのだった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ