4.嫉妬
――幸視点
希幸から告白されて一夜過ぎた。
泣いて悲しんでいた希幸の顔が、未だに頭から離れない。
彼女は大事な親友だ。決して傷つけたかったわけじゃない。
だが、結果として私は希幸を傷つけた。
次に彼女と合うとき、どんな顔をすればいいか分からなかった。
何事もなかったように話しかけるのも違う気がするし、笑顔で話しかけるのはもっと違う。
話しかけないべきかとも思ったが、それをしたら一気に疎遠になりそうだ。一方的かもしれないが今でも彼女のことを親友だと思ってる。出来れば疎遠にはなりたくない。
私はどうやって声をかけるべきか悩みながらも学校に登校した。
しかし、当の希幸は学校には来なかった。
どうしたのか。
朝スマホにメッセージを送ったが、お昼になっても既読はつかなかった。
最初は失恋のショックで休んだくらいに思ったのだが、だんだんそれだけで済んでないのではと思い出した。
……思い詰めて、自分で自分のことを……。
私の脳裏に希幸がビルから飛び降りるビジョンが走った。
私は気が気じゃなくなって、今すぐ探しに行こうと席を立った。
今はお昼休み。
午後の授業は体調不良ということで早退しよう。
そう思って職員室に向かう。職員室の中は少し慌ただしかった。
ドアを開けたところ、ちょうど外に出ようとしていた担任とかち合った。
そのまま担任は私の顔を見るなり、
「ちょうど良かった。天野に用があったんだ」
「私ですか……」
「ああ、郡山の居場所って知ってるか?」
まさか教師から希幸の居場所を聞かれるなんて。
嫌な予感が脳裏をよぎる。
「……知らないですけど。何かあったんですか」
「ああ。どうやら昨日の夜から家に帰ってないみたいで」
ドクンと心臓が一際強く脈打った。
やっぱり、ただ休んだんじゃなかったんだ。
それに家に帰ってないときた。
……いよいよ、さっき想像したビジョンが現実味を帯びてきた。
「私、探します!」
いても立ってもいられず私は職員室から飛び出そうとしたが……。
「ちょい待ち。探すつったって宛はあるのか?」
「ないですけど……それでも……」
「落ち着け、天野。まだ一日帰ってないだけだ。そのうちケロッとした顔で帰ってくることもある」
「もう一日ですよ! 女の子が丸一日行方不明だなんて、どんな事件に巻き込まれてるか分かったもんじゃないでしょ!」
「だとしても、お前が探すのは筋違いだ。それに午後の授業もまだあるだろ」
「休みます。休んで探します。……それに筋違いなんかじゃありません。私のせいです。私のせいなんです」
私は引き止めてくる担任を振り切って、職員室を出ようとしたその時――
パンッ。
不意にした大きな音にびっくりして動きが止まる。
担任が己の手を打ったのだ。
私が止まったのを確認した担任は、宥めるように落ち着いた声音で言った。
「落ち着け。な、とりあえず落ち着け」
「…………」
「天野の口ぶりからして、郡山がどうして家出したのか見当がついてるんだな」
「はい……」
「それ、言えるか。言えないことなら無理して言わなくていいが……」
「……傷つけたんです。希幸からの好意を無碍にしちゃったんです。私は……傷つけたかったわけじゃない」
「そうか。……いや、全部理解できたわけではないんだが……郡山との間で何かやり取りがあって、それのせいで郡山は傷ついて家出した。……天野はそう思ってるわけだな」
「はい……」
詳しく聞かれなかったことをありがたく思いつつ頷いた。
担任はなおも、そうかと呟きつつ頭を掻いた。
「なあ、天野たぶんそれ考えすぎだ」
「そんなはずない! だって希幸泣いて」
「そんな怒るなって……いやさ、確かに天野と喧嘩して傷ついたのかもしれないけど、それと家出の繋がりは薄いぞ」
「なんでそう言い切れるんですか!」
担任はまた困ったように頭を掻いた。
「昨日の夕方に目撃者がいたんだよ、郡山の」
「それがどうしたんですか……それで居場所が分かった訳ではないでしょ」
「居場所は分からなかったが、一緒にいる人は分かった」
「一緒に……?」
「そう。たぶん郡山はそいつにそそのかされて家出してる」
「そいつってのは誰なんですか?!」
担任は他のクラスのやつだから言ってもわかんないと思うぞと念押ししつつ、教えてくれた。
「暗木陽鐘ってやつなんだが」
✕
――幸乃視点
いつからだろう。
幸が私と話す時、希幸さんのことを話題に出すようになったのは。
初めの内はそんなに顕著ではなかった。
それこそ、同じクラスに面白い子がいてね〜とか、世間話としての話のネタにするくらいだった。
だけどいつしか幸からの会話の大半が希幸さんのことになっていた。
苛ついた。
確かに希幸さんは悪い人ではない。同じバイト先だから分かる。与えられた仕事に対して真摯に取り組んでいる姿から、彼女の真面目さが伺える。
でもそれとこれとは話が別だ。
幸と希幸さんには仲良くしてほしくない。
前に一度、希幸さんに対して、幸と仲良くしないでとお願いしたことがある。
そのときは、私に言うな幸に言えと返され、相手にされなかった。
確かに話を聞く限りだと、幸の方から希幸さんにちょっかいをかけているようだった。
だから当然、幸にも希幸さんと仲良くするのは控えてほしいと話した。
だが、返事はどうだ。
ただの友達だから幸乃が心配することはないよ、ときたもんだ。
その言葉を無条件に信じられるほど私は脳内お花畑じゃない。
実際、段々希幸さんについて話すことが増えていった。
私は気が気じゃなかった。
本当にただの友達なら私もそこまで気にしないのだが。
前――初めて幸がメイド喫茶に来た時に、希幸さん相手に可愛い可愛いと褒め倒していた。
私は三年余りの付き合いで幸に関する大体のことは理解している。
それはもちろん好みのタイプもだ。
希幸さんは幸が可愛いと連呼するくらいには見た目がいい。それは認める。だから、可愛いと思う以上の感情が幸の中にあったのではないかと勘ぐってしまう。
身も蓋もない言い方をすれば、下心。
だって、希幸さんの見た目は幸の好みど真ん中なのだから。
幸は元気系のかわいい娘より、クール系の美人を好む。
幸は可愛いと形容しているが、希幸の見た目は正にクール系だ。
だから、私としては幸と希幸さんは仲良くしてほしくない。それは再三口にして伝えている。
けど、二人はただの友達だと言いはって関係を続けている。
私ばかり我慢している。
私、幸の彼女なのに、我儘の一つも聞いてもらえない。
……わかってる。
これがただの嫉妬だということは。
でも、我慢できないのだ。
私の恋人が私以外の女の名前を口にしていることが。
私以外と仲良くしていることが。
いや、さすがの私も初めのうちは理解のあるように努めた。
だが、次第に我慢できなくなった。
一体いつ我慢の緒が切れたのかと問われれば。
明確になったのは文化祭だ。
幸の学校の文化祭。
私は幸を驚かせようと思って、幸に黙って文化祭に遊びに行った。
サプライズ感覚だった。だってそうだ。普段なかなか会えない恋人が会いに来るんだ。喜んでくれるに違いない。
私の頭の中はそんなおめでたい考えで一杯だった。
今にして思えば馬鹿みたいに浮かれていたと思う。
普段の幸の言動から、これから起こる出来事なんて簡単に想像できたはずなのに。
浮かれていた私はそれができなかった。
だから、それを見てしまったとき、私は固まってしまった。
幸と希幸が一緒に歩いていた。
ただ一緒に歩いているんじゃない。
手を繋いでいた。
……俗に言う恋人繋ぎだ。
二人は親密そうに笑い合っていた。
その姿はまるで仲睦まじい恋人のようで……。
私はそんな彼女たちに話しかけることができなかった。
だってそうだ。
幸があんなにも幸せそうにしているのに、どうして私が邪魔できようか。
私は二人に気づかれぬよう黙ってその場を離れた。
その日からだ。
幸に対して不信感を抱いたのは。
私と幸の間に生まれた不信感という名の綻びは、日を追うごとに大きくなっていった。
✕
「ねぇ、幸乃ちゃんって希幸ちゃんと仲良かったよね」
「微妙だと思いますけど」
「ええ、嘘だぁ。だってあんなに話してるじゃん。何話してるかは知らないけど」
「それは、まあ、私の一方的なやつなんで」
バイト上がりに店長に呼び止められた。
世間話と素直に受け取るには疑問が残る。普段、用もないのに話しかけてこない人なのだ。
「じゃあ居場所知らないかなぁ」
「何かあったんですか?」
「いやね、昨日連絡してきて、しばらく休みますって。そんな突然言われても困るってのに、一方的に電話切られてさぁ。かけ直しても繋がらんし」
「ははぁ」
聞いといてなんだが、たいして興味はなかったため、適当に返事を返すしかできなかった。
確かに店からしたら迷惑かもしれないが、私としてはどうでもいい。
「……君も大概な人間だねぇ」
そんな私の考えを見透かしたのか、店長は呆れたようだった。
「まあ、他のバイトの事情なんて興味ないんで」
私は、連絡つくといいですねと他人事のように言って、店長の溜息を背中に受けながら店を出た。
歩きながらスマホの確認を行う。
一件メッセージが来ていた。
嬉しいことに幸からだった。
「ん、んふふ……何がかいてあるかなぁ」
鼻歌でも歌い出しそうなテンションでメッセージを開いた。
幸からのメッセージは何が書かれていても嬉しい。メッセージを一件一件保護するのは当たり前。全てのメッセージをパソコンに転送してバックアップを取っているほどだ。
それくらい幸からのメッセージは大切にしているが――だが、今回のものは素直に喜べるものではなかった。
『希幸のこと知らない? 家出したらしくてどこにいるかわからないの』
希幸。
……希幸。
「チッ」
ふざけるなよ。
なんでわざわざ他の女の名前を文面でも見なくちゃいけないのか。
今日学校でこんなことがあった、何々をして楽しかった、とかそういう他愛のない幸の日常を知りたいのだ。
それなのに、希幸。
最近は直接会っても希幸の話ばかり。
幸は私の彼女なのに。
私の前で他の女の話をされると気が狂いそうになる。
そうた。私が彼女なのだ。なのになんで私を優先してくれないのか。
希幸。希幸希幸。希幸、と。
いい加減にしてくれ。
なんでメッセージでまで希幸の話をしなくちゃいけないんだ。
「私を……見てよ」
メッセージの画面を閉じた。
返事を書く気が起きなかった。
そのとき、文化祭のときの風景がフラッシュバックした。
親密そうに二人きりの世界を作っていた幸と希幸。
そこに私の入る隙はなくて。
悔しかった。本来幸の隣にいるのは私だったはず。
希幸がその位置にいたのはボタンの掛け違いのようなもの。
ようはたまたまの偶然だ。
それなのに我が物顔で幸の隣りにいる希幸が許せなかった。
許せなかったのは希幸だけではない。
希幸が隣りにいるのにそれを良しとしている幸にも腹がたった。
そりゃ、友達くらいできるだろう。だが、距離が近すぎる。まるで恋人みたいな距離感だ。許せない。許せなかった。
「なんで、どうしてよ……幸」
考え方が良くないものになってるのは自分でも分かる。
だが、どうしようもできなかった。
私は幸の彼女だ。
でも、幸はこの関係を解消したいかもしれない。
色々考えてると、最終的にそういった思考に陥ってしまう。
私と幸、別れたほうがいいのだろうか。
私は幸が好きだ。
それこそ、こうして幸のことばかり思って壊れてしまうくらいに。
それが、幸には負担だったのだろうか。だから希幸のほうに……。
「ああ! もう!」
思考が負の方向へ沈む。
こうなってはだめだ。
答えなんて出ないのに、嫉妬だけで思考が加速してしまう。
そしてどんどん精神が削れていく。
「だめだ、帰って寝よう」
そして一旦リセットするのだ。
そうすればまたまともな思考回路に戻れる。
私は自宅に向かって足を速めようとした。
そのとき――
「何が、だめなんだい」
突如、背後から声がかけられた。
それは、聞き覚えのある声だった。
いや、むしろ忘れられるわけがない。
だって、彼女が話しかけてくれたことで幸と仲良くなるきっかけを得ることができたんだから。
声のした方へと振り向いた。
「暗木さん……」
「やあ久しぶり、幸乃ちゃん」
そこには暗木陽鐘が立っていた。
「久しぶり……ですね」
「あはは、なんで敬語。同い年だよね私達」
そう言ってケラケラと笑う暗木さん。
そんな彼女を私は――
「…………」
不気味に思った。
何故だろうか。私は不気味さの正体がわからず、思わず後ずさった。
「やだなぁ、そんな怯えたように離れないでよ。悲しくなっちゃうじゃん」
そう言うと暗木さんは、私が離れた距離以上に距離を詰めてきた。
比喩でなく本当に目の前に立った。
相変わらず、人との距離感がバグっている。
「止めて――近いから」
私は更に数歩後ずさった。
距離を取った私を見て暗木さんはざんねーんと嘯いたが、これ以上距離を詰めようとはしてこなかった。
その代わり私に問いかけてきた。
「まあいいや。で、何がだめだったの?」
「……何でもないです。ただの独り言なので。それじゃあ」
一刻も早くこの場から離れたかった。それほど暗木さんが気味悪かった。
だから、会話を一方的に打ち切った。
その後すぐに振り返り、足早に家へと向かおうとして。
「まだ、浮気者にお熱なのかい?」
そう問いかけられて足が止まった。
「浮気者……?」
「そう。天野幸のことだよ」
「幸は浮気なんかしてない! 何を根拠に!」
「根拠? おかしなこと言うね。そんなもの自分が一番わかってるでしょ」
気味が悪かった。
それと同時にどうしてこんなにも気味が悪く感じるのか、理解できた気がした。
いや、初めから分かっていたことだった。
彼女はずけずけと私の中に侵入ってくる。私が触れてほしくないところにまで。
それが気持ち悪かったし、不気味に感じられたのだ。
今すぐにでも逃げ出したかった。
でも、彼女に見つめられると、まるで足が縫い付けられたように動かなかった。
そんな私に暗木さんは再度問いかけてくる。
「幸乃ちゃんはさぁ、幸ちゃんが浮気してないって本気で思ってるの?」
思い出すのは文化祭のときのこと。
幸と希幸さん。二人が仲睦まじげに一緒に歩いている様はまるでカップルのように見えて。
あれはまさしく……。
「浮気してた……」
その言葉を聞いた瞬間、暗木さんはこれ以上ないくらい凄絶な笑みを浮かべて。
「それは悲しいねぇ。苦しいねぇ。忘れちゃいたいねぇ」
「私は……」
「いいの何も言わなくて」
そう言いながら、またも距離を詰めてくる暗木さん。
彼女はニタニタとした笑顔で私の手を取ると。
「私ね、そういう苦しいこととか辛いことを忘れられるいい場所を知ってるんだ」
ギギギっと私の手を握る力が
強くなる。だが不思議と痛みは感じなかった。
痛みだけじゃない。
目の前の女に感じていた不気味さも感じなくなっていた。
なぜだかすぐにわかった。
心が壊れちゃったんだ。
私の心の中には幸しか居ないのに、その幸が私から離れちゃったから、心が支えを失って何も感じなくなっちゃったんだ。
私は暗木さんの手を振りほどけなかった。
「いいよ。連れてって」
どこに向かうかは分からない。だけど私は暗木さんに導かれるまま、足を動かした。
✕
――幸視点
結局、先生から猛烈に止められて希幸探しは放課後からとなった。
探し始めた時、そう言えば、幸乃と希幸同じバイト先だったなと思い出し、すぐに幸乃にも心当たりがないかメッセージを送った。
それから数時間。
未だに幸乃から返事が来ない。
いつもならすぐに返事が帰ってくるはずなのに。とっくにバイトが終わる時間は過ぎたが、返信はない。
既読にはなったため、メッセージ自体は読んでくれているはずなんだが……。
私は疑問に思い、どうしようかと悩んだところ。
「……幸乃のお家行ってみるか」
私と幸乃の家はそこそこ近い。自転車で十五分くらいだ。
丁度希幸探しのためにあちらこちらを自転車で駆け巡っていたため、幸乃の家に行くことにためらいはなかった。
というわけで自転車をかっ飛ばし、幸乃の家へと向かった。
幸乃の家についた頃にはすっかり日が沈み、あたりは住宅街特有の家の光で溢れていた。
幸乃の家の前に到着。
そこで私の目に入ってきたものは――。
「お、随分遅かったね。待ちくたびれたよ」
私を出迎えたのは、幸乃でも彼女の家族でもなかった。
「陽鐘……」
「久しぶりだね、幸ちゃん。こうして話すのは小学生ぶりかな」
幸乃の家の前にいたのは、暗木陽鐘だった。
「なんで陽鐘がここに……」
「ん? ここにいれば幸ちゃんに会えると思ったから。でも思ったより来るのが遅くて焦ったよ」
陽鐘はニヤニヤとした顔で言った。
「幸乃ちゃんのことそんなに大切じゃなかったのかな」
「何言って……」
「だって、いつもなら返信早いはずなのに、今日に限っては既読がついても何時間も返事が帰ってこなかった。本当に大切だったなら、心配してすぐに様子を見に来るよね」
「それは、他にやることが……」
「希幸ちゃんのことでしょ。彼女悲しんでたよ。涙をポロポロと流してさ」
希幸。
陽鐘の口からその名前を聞いて思い出した。
「陽鐘! 希幸をどこにやったの?! 希幸が姿を消したとき一緒にいたの知ってるんだから!」
「んああ、そっか。見られてたんだ」
陽鐘はニヤニヤとした顔を崩さない。
「幸ちゃんってさ、どっちつかずだよね。希幸ちゃんのこと弄んで、幸乃ちゃんのこと悲しませて」
「何言ってんの、さっきから!」
「ああ、自覚ないんだ」
嘲笑うように笑みがより深くなる。
気味が悪い。
何なんだこいつは。
何が話したいんだ。
私は陽鐘に詰め寄り、胸ぐらをつかんだ。
「希幸はどこにいるの?! あと、幸乃のこともなにか知ってるでしょ! 言いなさい!」
「痛いなぁ……暴力は良くないよ。こりゃ近いうち幸乃ちゃんのこと殴ってたかな」
「ふざけてないで!」
どうしてこうも神経を逆なでされるのか。
幸乃も、希幸も私の大切な人だ。
だからか、こんなやつにわかったようなこと言われると不愉快だ。
ヘラヘラとした口はそのままに陽鐘は私に対して言った。
「……まるで、私は理解できてますよって思ってるみたいだ」
「は?」
「いやね、見てるとわかるんだよ。自分は幸乃ちゃんのことも希幸ちゃんのことも理解できてますって思ってるんだろうなって」
陽鐘は胸ぐらを掴まれたまま、それでも私を見下すように嘲笑しながら続ける。
「ちゃんちゃらおかしいね。お前は何も理解できてないよ。幸乃ちゃんの嫉妬も、希幸ちゃんの悲しみも。
――私の怒りだって」
「怒り……?」
何を言ってるんだ。散々バカにしたような態度を取ってるのはそっちで、苛ついてるのは私の方だ。
「覚えてる、幸ちゃん? 私達って小学校も、中学校も、高校も同じなんだよ」
「それがどうしたっていうんだ!」
「じゃあこれも覚えてる? 私達って友達だったんだよ」
…………。
ああ確かに覚えている。
昔のことだ。
私がまだ幸せが何かを考える前の。
まだ私が普通だった言える頃の友達。
あの頃はまだ仲良くしていたはずだ。
けど、私が取り憑かれたように幸せについて考え出したときに、邪魔に感じて切り捨てた友達。
切り捨てたまま疎遠になっていた。
同じ中学校に上がり、同じ高校に入ったことも知っていた。
だけど仲直りするきっかけはついぞ見つけることができなかった。
「幸ちゃんはさ、あの頃と何も変わってないよ。自分勝手に人を傷付けて、理解できてないのに理解したふりをする」
「……私はそんなふうに――」
「思ってなかったら、こんなことになってなかったよ」
気づけば掴んでいた手を放していた。
私はよろけるようにその場に座り込んだ。
「全部、私が悪いの……?」
「そうだね」
なんの言葉も挟む余地なく陽鐘は肯定した。
「で、幸ちゃんはこれからどうするの」
「…………」
私は答えない。何も答えることができなかった。
だってそうだ。私のせいでこうなったのだ。それなのに何を言うことができるだろうか。
そんな私を見て陽鐘はため息をついた。
「本当にどんな辛いことでも、それが正しい道を進む中での出来事なら峠の上りも下りもみんな本当の幸福に近づく一あしずつ」
「――――!」
その一節は……。
「あなたの大好きな銀河鉄道の夜の一節」
それから陽鐘はしっかりと私の目を見て。
「こんなところで諦めたら、ほんとうの幸せにはたどり着けないよ」
そう言った。
辛いことでもそれを乗り越えれば幸せにはたどり着ける。
彼女はそう言いたいのだろう。
だとしたら私は――。
「私も幸せになっていいの?」
「それはあなたのこれからの頑張り次第かな」
そう言ってカラカラと笑った。
「幸ちゃん。私は、希幸ちゃんと幸乃ちゃんがどこにいるか知ってます」
「案内してくれるの?」
「ええ、案内しますとも」
「どうして、そんな親切なの?」
そう問いかけると陽鐘は照れたように頬を掻いた。
「私はね……幸ちゃんと仲直りしたいと思ってるんだ」
✕
「で、幸乃と希幸はどこにいるの?」
「近くて遠い場所です」
「いや、そんなトンチは今求めてなくて」
「トンチって言うか、比喩表現だね」
そう言うと陽鐘は、ポケットから一枚の紙を取り出した。
突如、はがきぐらいの大きさの緑色の紙を天に掲げだした。
「あの、何をして――」
「少し静かにしてて貰ってもいい。――もう来るから」
なにが――?
そう思った瞬間、あたりにそよ風が吹いた。
そのそよ風は――
ォォォオオオッッ!!!
次第に大きくなり、目も開けられないほどの突風へと変わっていった。
あまりの突風に目を開けていられない。
きゃああと悲鳴を上げて風に耐えていると、そのうち風が落ち着き出した。
私は恐る恐る目を開けると、そこには――
「なにこれ――――」
景色が一変した。
あたり一面緑の世界が広がっていた。芝だ。それも人工物じゃない、天然の芝だ。
それにやたら空が近かった。
そう。例えるならダイヤモンドを割って空に散りばめたようなきらびやかな夜空が、やけに大きく感じられた。
どこだ、ここ。少なくともさっきまでいた住宅地ではないのは確かだ。
「あ……」
景色を見ていると、次第にここがどこか分かってきた。
「うそでしょ……」
もし、私の考えが正しいのだとすれば、ここはとんでもないところだ。
「ここってまさか――」
陽鐘はいたずらに成功した子供みたいにニヤリと笑った。
「ようこそ銀河ステーションへ!」
そうだ、ここは銀河鉄道の夜に出てきた場所とそっくりなのだ。
「夢?」
「夢じゃないよ。ほら急ごう、鉄道がもうじき出てしまうよ。あの夜を磨き上げたような黒の鉄道の中に希幸も幸乃も待ってるよ」
そう言って、陽鐘は私の手を取ると、鉄道の止まるステーションに向かって走り出した。
一部 宮沢賢治著 銀河鉄道の夜より引用