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1.告白

 ――幸視点。

 

 

「私、幸のことが好き」

 

 突き抜けるような青空に吸い込まれるように蝉の声が響く。

 学校の屋上には私と彼女しかいない。

 初夏の気持ちのいい薫風が私達の間を通り抜けた。

 

 突き抜けるような空も、けたましい蝉の声も、爽快な風も。

 決して彼女の告白を遮ってはくれなかった。

 

「えっと……それはどういう――」

 

「恋愛的な意味で好き。女の子として愛してる。幸の全部が欲しい」

 

 意味なの? とまだ私が言い切る前に彼女は顔を赤くしながら言った。

 今まで受けたことのない情熱的な告白に思わずおおう・・・とたじろぎそうになるが、なんとか堪えた。

 

 彼女だって顔を真っ赤にさせて、よく見ると手だって震わせながらも勇気を出して私に告白してくれているのだ。

 私だってたじろいで後足を踏むわけにはいかない。

 親友と呼べるような彼女のためにも、私も視線を迷わせることなく彼女とまっすぐ向き合った。

 

 けど、それはそれとして。

 困ったことになったなぁと、高校生になってからできた親友――郡山こおりやま希幸きさきの顔を見ながら内心でため息を吐いた。

 

  

   ✕

 

 

 希幸と私の出会いは高校生になってから。

 彼女と私は一年生の時クラスメートだった。

 

 出会ったばかりの頃の希幸は、なんというか気難しい奴だった。

 誰かに話しかけられても関係ないとばかりにそっけなく返し、遊びに誘われても興味ないからと一蹴していた。

 そんなだから誰とも連絡先を交換しようともしていない。何回か連絡先を聞かれているところを見たが、「なんで貴方に教えなくちゃいけないの」と切って捨てていた。当然クラスのグループチャットにすら入っていない。

 そんなことをしていればクラスから孤立するのは当たり前だ。

 

 三日もしない内に希幸に話しかける人は誰一人いなくなっていた。

 希幸自身もそれでいいとますます誰とも関わろうとしなかったため、余計に孤立した。

 

 そんな彼女の姿に既視感があった。

 既視感の正体はすぐに分かった。

 希幸は数年前、中学に上がったばかりの頃の――どうせ理解されないからと他人を拒絶していた頃の私だ。

 あの頃の私と似ているのだ。

 

「私とあなた、同じ幸せだね」

 

 昼休みの教室で。

 気づけば、あの時と同じセリフを今度は私が言っていた。

 あの時、私はその言葉のおかげで……幸乃が話しかけて仲良くしてくれたおかげで長年の悩みから開放され、救われた。

 今度は私が……なんて思うのは傲慢かもしれないけれど、それでも何かしらの力になれたなら……。

 

 なんて思いから話しかけたら、希幸は親戚のおばちゃんから突然、神を信じていますか? と聞かれた時みたいな胡乱げな視線を私へと向けてきた。

 

「シアワセェ……?」 

 

「ほ、ほら! あなた希幸きさきさんでしょ。私、幸っていうの。幸せって書いてさち

 

「ああ……そういう。で、何か用?」

 

「用って程じゃないけど――」

 

「じゃあもういいでしょ」

 

 そう言って希幸は一方的に会話を断ち切ると私に興味を失ったらしく、ぷいっと手元にある開きっぱなしの文庫本へと視線を落とした。

 流石に昔の私もここまで愛想悪くはなかったぞ……。

 人嫌いここに極まれりな態度に軽く戦慄しつつも、めげずに彼女に話しかけ続けた。

 

「あ、本読んでるの……? どんな本? 私もね本よく読むんだ。今読んでるのは、ほら……あの最近映画化したラブロマンスの――」

 

「……私、本読んでるときに話しかけてくる人、大ッ嫌いなの。そういう人が落ちる地獄があればいいのにって常々思ってる」

 

「えぇと……」

 

「もう一回言う? わたし、読書の、邪魔を、されるのが! 大ッ! 嫌いなの! どっか行ってくれる?」

 

「そっか……ごめんね……」

 

 こうも突き放されてしまっては何も言えない。

 流石に傷ついた私は一旦希幸から離れて自分の席へと戻った。

 

 戻ると同時に私と希幸のやり取りを見ていたのだろう何人かのクラスメートが私に話しかけてきた。

 

「大丈夫? アレは酷いよね。せっかく天野さんが話しかけたのにさ。私も前あんな感じに邪険っていうの? 用もないのに話しかけないでって言われてさぁ……」

 

「頭おかしいよねアイツ。流石にヤバすぎ。あーあ、あんな奴が同じクラスにいるなんて本当に最悪」

 

「もう無視すればいいよ。仲良くする気ないんでしょ、アレ。だったら無理に話しかける必要もないでしょ」

 

 彼女たちの希幸に対する言い分ももっともだ。

 でも、それだと希幸はずっと一人のままだ。

 可哀想だなんて上から言うつもりはないけれど、それでも希幸がずっと誰とも打ち解けられずにいるのは……なんていうか、嫌だった。

 人を寄せ付けない姿が昔の自分と重なるからだろうか。

 このまま希幸を放っておくことができなかった。

 

「みんなありがとうね。あと、ごめん!」

 

「どうしたの、天野さん……ってちょっと」

 

 クラスメートの制止を振り切って。

 私はカバンの中から電車通学の時間を潰すために買った読みかけの文庫本を取り出すと、再度希幸のもとへと向かった。

 そのまま私は近くの空いている椅子を引っ張ってくると、机を挟んで希幸の対面に座った。

 当の希幸は私の顔を一瞥すると苦虫を噛み潰したように口を歪ませ、ジトリと私のことを睨んだ。

 私は急いで腕を振り。

 

「邪魔はしないから。ここで本を読むだけ。いいでしょ? ね?」

 

「……好きにすれば」

 

 希幸はそれきり何も言わずに小説に目を落とした。

 私もそれに習って自前の本を開いて読み始める。

 

 会話はなく、私達の間には時折ペラリとページを送る音のみが流れた。

 そうして数ページ読み進めると、キンコンと昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 私はスピンを挟んでから本を閉じた。その後立ち上がり椅子を元の場所に戻した。

 

「じゃあ、また」

 

「…………」

 

 返事はなかった。私は苦笑いしつつも、自身の座席に戻った。

 クラスメートからはおかしなものを見るような目で見られたが、誰からも何も言われなかった。

 私も変な人判定を受けたかな……と思ったが、大して気にも止めなかった。

 それよりも希幸のことが気になったのだ。

 

 その日から私の昼休みは弁当を突きつつ、希幸と一緒に読書をする時間となった。

 私達の間にまだ会話は、ない。

 

 

 

 それから少し経ち、六月ももう数日が過ぎ、もう時期梅雨になるといった頃。

 少し前に催された高校生活初めての中間テストは、全教科会心の出来と言える結果で幕を閉じた。


「ねぇ希幸ちゃん。テストも終わって気も楽になった事だし、どこか遊びに行かない」

 

「一人で行けば」

 

「そんなこと言わないでさぁ」

 

「……ふん」

 

 それきり希幸は黙りこくって、水底に沈み行くコインのように意識を読みかけの小説の中に落としてしまった。

 小説に夢中になっている希幸を見て、やれやれと首を振った。

 相も変わらず邪険にはされているが、態度は以前に比べれば柔らかくなっている……はず?

 少なくとも今みたいに読書中に話しかけても、地獄に堕ちろとまでは言われなくなった。

 私も本を読もうかなと思った時。

 ピロリン、とスマホがメッセージを受信した。

 

 ディスプレイの通知欄に幸乃の文字が踊る。


 この時間に連絡が来るなんて珍しいなと思いつつ、タップして画面を開く。

 

「へぇ……」

 

 思わず感嘆してしまうほど、中々面白い内容のメッセージだった。

 簡単に返信してから電源を切ると真っ黒な画面にニヤニヤとした私の顔が映った。

 

「ねぇ希幸ちゃん。放課後一緒に遊びに行かない」

 

「くどい」

 

 煩わしげに私のことをちらりと見た希幸は、その瞬間ピシッと固まった。

 

「なんて顔してんの……」

 

 そこまで変な顔はしてないと思ったが、自分で思ってたよりも頬が緩んでしまっているようだ。

 ドン引きしたような希幸だったが、私は構わず続けた。

 

「ん〜? 中々嬉しいことがあってね」

 

「はぁ? ……っていうか、なんでそれで私を遊びに誘った」

 

「幸せの、おすそわけってやつ……なんつって! なんつって!」

 

「うっわ――」

 

 心底面倒くさそうにジトッと私を睨みつけてきたが、今の私にそんなものは効かない。

 ニヤニヤ顔を止めない私に呆れたのか、希幸はため息混じりに告げた。

 

「やることがあるから放課後は遊ばない」

 

「やること?」

 

「関係ないでしょ。聞かないで」

 

「それを言ったらおしまいよ。元々何の関係もない私達なんだからさ」

 

「じゃあ言い直すよ。関係ないでしょ。付きまとわないで」

 

「ひっど……」

 

 と、まあこういった具合にコテンパンに振られてしまったため、放課後は一人で遊びに行くことにした。

 

 

 

 私には何にも替えがたい大切な人が一人いる。

 名前は、幸乃。

 孤独に溺れていた中学生時代の私を救い上げてくれた恩人にして大切な人。

 

 そんな彼女とは諸事情で別々の高校に進学してしまい離れ離れになってしまった。

 離れ離れになったといっても繋がりを絶やさないように連絡は取り続けている。昼にきたメッセージもその一つだ。

 

『バイト、仕事覚えたから遊びに来てよ。今日いるから。幸に会いたいよ〜』 

 

 昼に届いた幸乃からのメッセージには、こう書かれていた。

 そう、幸乃はこの四月から新しくバイトを始めていた。

 最初、私は別々の学校に通うことになった悲しさを埋めるために、すぐにでもバイト先に遊びに行こうとしていたが、幸乃の方から仕事ができるようになるまでは来ないでとお願いされたため、遊びに行くことができなかった。

 

 それが今日やっと解禁された。

 ここ数ヶ月電話ばっかりで会えていなかったことも相まって、ニヤニヤが止まらない。

 そんな訳で意気揚々と目的地へと向かう。

 目的の場所は学校の最寄り駅から二駅隣り。

 雑居ビルが連なる通りを、流れに沿って進む。

 通りにはアパレルやアクセショップ、タピオカ店やクレープ屋といった私にも若干の馴染みのある店もあったが一本路地を過ぎると、どうやらアニメ系専門らしい本屋や、けたましく電子音を掻き鳴らしているゲーセン、店内がやたら盛り上がっているカードショップ、メカメカしい基盤やらパーツだけを売っているジャンクショップ等々が乱立していた。

 所謂オタク通りというやつだ。初めて踏み入れた独特な雰囲気に戸惑いつつ足を進めると――見つけた。

 

 まるで童話の中から出てきたお屋敷みたいな外観の建物。

 実際にはお屋敷と呼べるほど大きくはないが、それでも素敵な見た目に心惹かれた。

 建物の前に掲げられた看板を見て、ここが目的地で間違いないことを確認する。

 

 ここに幸乃がいる。

 こういった店には初めて入るため変に緊張するが、落ち着くために深呼吸を一つしたあと――ドアを押した。

 ドアの先、私を待ち構えていたものは――


「「「おかえりなさいませお嬢様!!」」」

 

 メイドさん達だった。

 そう。ここはメイドカフェ。

 幸乃はここでメイドさんとしてバイトを始めていた。

 こういうコンカフェなるものがあることは知ってはいたが、実際に入ったのは初めてだったため、ある種の異様な光景に呆気にとられた。

 本当にお嬢様って呼ばれるんだなぁと感動のようなものを覚えていると。

 

「お嬢様お一人ですか?」

 

「え、うぇえっと……! はい、一人で、一人で来ました」 

 

 突然話しかけられて、しどろもどろになりながらも私はなんとか答えた。

 緊張しまくりな私は傍から見ればさぞおかしいことだろう。それを証拠に話しかけてくれたメイドさんはポカンとした顔をすると、クスクスと笑いだした。

 私は恥ずかしくなって俯いてしまった。


「ちょっと緊張し過ぎだよ、幸」


 その声はやけに聞き覚えがあって……。

 ハッとしてメイドさんの顔をよく見ると、そこには慣れ親しんだ顔が。

 

「え……えぇ! 幸乃!? いつから?!」

 

「最初からだよ。もう、幸ったら変に緊張しちゃって私だって気づかないんだもん。おまけに声も上ずってて……。幸のあんな声聞いたの初めてだよ」

 

「だって……」

 

「まあまあ――来てくれて嬉しいよ、お嬢様。お席をご用意してあります。どうぞこちらへ」

 

 そう言うと幸乃は私を席まで案内してくれた。


「それではお嬢様、当屋敷は一時間ワンドリンク制で――」

 

 ハキハキと説明しだした幸乃。

 ふりふりのメイド服を見に包みテキパキと仕事をする様が余りに可愛らしすぎて見惚れてしまった。

 

「以上になりますが、何か質問はございますか?」

 

「かわいいなぁ」

 

「……ん、もう――ありがと」

 

「写真って……」

 

「申し訳ありません、お嬢様。写真はご遠慮お願いします。――でも、チェキなら注文していただければ可能ですよ」

 

「チェキ?」

 

「お嬢様と一緒に写真を撮るサービスのようなものです」

 

「じゃあそれお願いします」

 

「他にご注文は?」

 

 そう言われメニューに目を通す。

 流石に普通の喫茶店と比べたら割高だったが、メイド姿の幸乃を堪能できると思えば文字通り安いもの。

 幸乃がお世話になっているのだ。 

 チェキ以外にもいくつか注文して、しっかりとお店に貢献しなくては。


「このぴょんぴょんオムライスと――」

 

 ご飯だけではなくメイドさんとのミニゲームも注文し、合計一万円くらいの金額となった。


「はい。承りました。少々お待ち下さいねお嬢様。…………けっこう頼んでるけど大丈夫?」

 

「大丈夫。中間テストがいい感じだったからお小遣い貰えたんだ」

 

「それならいいけど……幸は、アレだね。貢ぐタイプだね」

 

「いいお客さんでしょ」

 

 幸乃は、はははっと笑いながら「ありがとね」と頭を下げると厨房へと向かった。

 

 一人になった私は改めて店内を見渡した。

 赤い絨毯にアンティーク調のテーブルとイス。雰囲気のあるいかめしい置物と数カ所に設置されている燭台。

 小さいがシャンデリアもぶら下がっちゃってまあ。

 設えに力を入れているのが良く分かる。

 まるで本当にお屋敷の中にいるみたいだ。

 

 感心しながらキョロキョロと当たりを見回していると。

 一人のメイドさんがドリンクを持ってやってきた。

 

「お待たせいたしました、お嬢様。こちらメロンソーダでご、ざ――」

 

「あぁ、ありがとうござ――」

 

 瞬間、止まった。

 言葉だけじゃない。

 空気が固まったのを肌で感じた。

 

「な、なんで……なんで……」

 

 先に動いたのはメイドさんだった。

 よく手に持っているドリンクを落とさなかったなと感心できる程メイドさんは目に見えて動揺していた。

 かくいう私も驚きで思わず金魚のように口がパクパクと動いた。

 

 私はゆらゆらと手を上げると、指先をメイドさんへと向けた。

 信じられなかった。まさか彼女がこんなところでこんなことをしているとは思わなかったから。

 

「希幸ちゃん――」

 

 私の目の前にはふりふりのメイド服を着た可愛らしい郡山希幸がいた。

 

「希幸ちゃんが? 嘘でしょ。なんでいるの? え? ドッキリ? え? えっ?」

 

「それはこっちのセリフなんだけど。……まさか私をつけてきて――」

 

「いやいやいや! 私は友達がここでバイトしてるから様子を見に来ただけで、決して尾行なんてしておらず……」

 

「マジかよ……あぁクソ、よりにもよってこいつにバレるなんて」

 

「……言葉使いが汚いですわよ、メイドさん」

 

「うるさいっ!」

 

 ここの雰囲気とは似つかわしくない言葉使いのせいというのもあるのだろうし、単純に騒がしいせいでもあるのだろう。

 周りの視線が希幸に集中した。

 そのことに気付けないほど動揺しているのか希幸は顔を真っ赤にして、私を睨んだ。

 

「ほんと最悪。なんで……なんでいるのよ」 

 

「まあまあ落ち着いて」

 

「落ち着いてなんて――」

 

「かわいいメイド姿が台無しだよ。今の希幸ちゃんじゃお店の雰囲気に合わないよ」

 

 そう言うと、希幸はウッと言葉をつまらせた。

 冷静になれたのか、未だに顔は赤いままだったがとりあえず騒がしくまくし立てるような真似は止まった。


「……こちらご注文のメロンソーダです」

 

「ありがとう……」

 

「あの……このことは誰にも言わないで欲しい、です……うちの学校バイト禁止だから」

 

「ん、分かった」 


「もちろん虫の良い話だって分かってる。今まで散々酷いこと言って邪険にしてきた私が言うのは都合がいいって思うかもしれないけど……」

 

「いや、だから喋らないって、誰にも」

 

「……本当?」

 

「ほんとほんと」

 

 私は笑顔で頷いた。

 そりゃ最初は驚いたが、別に犯罪を犯しているわけではない。

 メイド服を着た希幸は犯罪級に可愛いが、可愛さは罪じゃない。むしろご褒美だ。

 可愛い子にお願いされれば誰だって二つ返事で頷いてしまうだろう。

 

 希幸は安堵したのかホッと胸を撫で下ろした。

 

「じゃ、じゃあそういうことで宜しく」

 

「任された。……あっ、そうだ。こっちも一つお願いしてもいい」

 

「――やっぱり! 何が目的?! 強請る気でしょ」

 

「しないよ、そんなこと! 私を何だと思ってるの!?」

 

「じゃあお願いって何よ!?」

 

「チェキっていうのを一緒に撮りたいなって思っただけ」

 

「チェキぃ?」

 

「そう。メイド服を着た希幸ちゃん可愛いから、一緒に撮りたいなって思って……ひょっとしてチェキ頼むの駄目?」

 

「駄目じゃないけど……本気で言ってるの?」

 

「うん。本気も本気、大マジよ。だって希幸ちゃん可愛いんだもん。こんなメイドさんにお世話されたいって思うくらい」

 

 そう言った途端、赤かった希幸の顔が熟したリンゴの様に更に赤く染まった。

 

「ほ、本気で言ってるの?」

 

「本気だって。もう希幸ちゃん疑いすぎ」

 

「そっか……そっかぁ――!」

 

 もし希幸が犬だったら節操なく尻尾を振り回していたことだろう。

 そう錯覚するほど嬉しそうに顔を輝かせていた。


「じゃあ! チェキ準備してくるから、待ってて!」

 

「まだご飯も来てないからゆっくりでいいよ」

 

 あっという間に裏に引っ込んでしまった希幸。

 普段の希幸からは考えられないテンションの上がり方に苦笑が漏れる。

 まさか可愛いって言われてあんなに喜ぶなんて。


「なんだ……だったらもっと早く可愛いって言っておけば良かった」

 

「――へぇ、随分と仲がいいんだ。それに、可愛い可愛いって繰り返して……誰にでもそう言って口説いてるんだぁ……へぇ……」

 

 突然背後から話しかけられてドキリとした。声だけで誰から話しかけられたか分かる。もっと言えば、それは面白くないと感じている時の声音だ。

 一瞬にして血の気が引く。

 声のした方へギギギっと錆びて固まったロボットみたいにぎこちなく首を向けると。

 

「や、やぁ幸乃……盗み聞きは悪い趣味だと思いますとのことよ……」

 

「その後ろめたい時に言葉遣いがめちゃくちゃになるの、まだ直ってないんだね」

 

 冷めた目をした幸乃とは対象的にホカホカと湯気を立てている真ん丸のオムライスがテーブルの上にコトリと置かれた。

 そして幸乃は事務的な作業でケチャップの詰まったボトルを取り出して、あざとく両手で持ってオムライスの上に構えると。

 

「今からまん丸のお月様にウサギさんが飛びますよ〜。私がぴょんぴょんと言ったらぴょこぴょこって返してくださいねぇ〜。いきますよ〜」

 

 如何にもらしい(・・・)ことを言うと、オムライスの上をケチャップのインクが走った。慣れた手付きで赤いボトルを振り回しお月様に見立てたオムライスの上に絵を描いていく。

 ウサギだ。確かにウサギなんだけど……。

 

「――ぴょんぴょん!」

 

「あのぅ……幸乃さん……このウサギ怪我してない……?」

 

「お嬢様、コールはぴょこぴょこです」

 

「いや……でも……」

 

「すみません、私新人メイドなもので。まだ綺麗にお絵かきできないんですよ」

 

 耳が千切れとりますがな。

 明らかにワザととしか言いようのない所業だが、幸乃は怖いくらいに笑顔で……逆にその笑顔が私に何も言わせないプレッシャーを放っていた。


「知ってますお嬢様? ウサギって寂しいと死んでしまうっていうのは有名だと思うんですけど――」

 

 そう言いながら、ウサギの横に何やら書き足していく。

 ……スイカバーだ。絶対そうだ。断じて血染めの包丁などではない。

 

「――番が浮気すると嫉妬しちゃって番を殺すんですって」

 

「すみませんでしたぁっ!!」

 

 これはガチで怒ってる時の幸乃だ。

 幸乃はどうしょうもないくらい怒っていると、嘘の雑学を交えてなじってくる。

 こういう時はすぐに謝るのが得策だ。怒っている時の幸乃はとてつもなく怖いことを、今までの付き合いで身に沁みて理解している私は一も二もなく謝った。なんだったらあと少しで土下座までするような勢いだった。


「お嬢様なにを謝ってるんですか? お嬢様が謝ることなんて何もないでしょう? ね、お嬢様?」

 

「いや、他の女の子に軽々しく可愛いって言ったから……そのぅ……怒ったのかと」

 

「……私が怒るって分かってて他の女を褒めてたの? 私が見てなきゃやっていいって?」


「いやいやいや! そんな訳ないって! 希幸のことはただ褒めただけで、友達として仲良くできたらいいなぁって思いはしたけど下心なんて微塵もない感じでありますれば!!」

 

 なんとか私の無実……少なくとも下心が無かったことを理解してもらおうとあたふた弁解していると。

 

 ふふっと、幸乃が笑った。

 

「冗談だよ冗談……びっくりした?」

 

 そう言うと、スイカバーを隠すようにケチャップでハートマークを描いた。

 あまりのテンションのジェットコースター加減についていけず、私の口からもははっと乾いた笑い声が漏れた。

 

「冗談……なんだよね?」

 

「冗談じょーだん」

 

 ウサギの耳も新しく生やした幸乃は、ケチャップのボトルを脇にコトリと置き。

 ニッコリと笑顔を浮かべて。

 

「次は冗談じゃ済まさないから」

 

「ひぇ……」

 

 ハートの下には真っ赤なスイカバーが隠れている。

 私はコクコクと頷き、もう不用意な発言はしないと……特に幸乃が見ている前では絶対にしないと心に誓った。

 

 

 その後は大人しくメイドカフェを満喫した。

 料理の味は可もなく不可もなく。

 美味しくなる呪文なるものも最初は恥ずかしかったが、何回か繰り返していると楽しくなってきて最後の注文では自分からノリノリでやっていた。

 ミニゲームもほぼ完勝と言える形で終え、幸乃の限定チェキなるものを四枚獲得できた。チェキにはメイド服以外のコスプレをした幸乃が写っていた。どの幸乃も可愛らしくて満足だ。

 

 残るはチェキの撮影だけとなった。

 

「お嬢様、二人でハートマークを作りましょう」

 

「えっと……こう?」

 

 幸乃と私は片手づつ前に出してハートマークを作るポーズをしながら写真を撮った。

 普段でもやらないバカップルみたいなポーズに恥ずかしくなったが、出来上がったチェキを受け取るとそこに写っている幸乃の可愛らしさに恥ずかしいという気持ちより撮って良かったという気持ちが勝った。ありがたや~と神棚に飾って拝み倒したいくらいだ。


「お嬢様、今度は私と!」

 

 幸乃とのチェキをニヤニヤとしながら見ていると、撮影をしてくれた希幸がさも当然とばかりに手を上げて言った。

 幸乃はそんな希幸を不思議そうに首を傾げて見た。

 だが、私にはどうして彼女がそう言ったか覚えがある。やばいと思った時にはもう遅かった。

 

「あら希幸さん。あなたまでお嬢様とチェキを撮る理由はないんですよ」

 

「え、でもさっき幸が……お嬢様が私ともチェキを撮りたいと……」

 

「へぇ……」

 

 それを聞いた途端、般若の面をしたメイドが誕生した。

 悪鬼羅刹が相手でも物ともしないような鬼女の誕生に私はニヤニヤした顔が一瞬で引きつった。

 

「幸」

 

「ひぇ……」

 

 その後羅刹となった幸乃をなんとか宥めすかして――結局チェキは私と幸乃と希幸の三人で撮ることとなった。それが他の女と私のツーショットが許せなかった幸乃からの最大限の譲歩だった。

 システムの都合上三人で撮るには追加でお金を支払わなければならなかったが……出来上がったチェキを見ればそんな出費、些細なものだと思えた。


「いい写真――」

 

 仲良くなれそうな新しい友達が照れたようにはにかんで私の横に。

 その反対側には私の事を譲らないとばかりに腕にしがみついてくる一番大切な人。

 

 今日は、希幸の隠していた一面を見てしまい脅迫されたり、幸乃が鬼女になるほど嫉妬したりした時にはどうなるものかと思ったが、終わってみればとてもいい一日だった。可愛いメイドさん達にいっぱい構ってもらえたし。

 その日は家に帰ってから寝るまでずっとニヤニヤしながらチェキを見つめ続けた。

 

 

 翌日、私はいつも通りの時間に目を覚まして、いつものように身支度を整えて登校し、いつものように自分のクラスに入って何人かのクラスメートと挨拶を交わした後席へとついた。

 

 ――そんな中、いつもと変わったことが、一つ。

 

 席についたと同時に、まるで私を待ち構えていたみたいに希幸が私の側に寄ってきた。

 今までだったら間違いなく自分からは近寄っては来なかったため、どうしたのかと首を傾げると、希幸は口を開いた。


「おはよう」

 

「おはよ。どうかした?」

 

「別に。ただ挨拶しただけ」

 

 そう言った希幸は少し照れたように身体をふらふらと揺らした。何かを迷っているような様子だった。

 いつもと違う希幸の様子に私は更にハテナマークを浮かべると、希幸は何を決意したのか、握りしめていたスマホをズビシっと私に差し出して。

 

「連絡先、交換しよ」

 

 その言葉の意味をすぐに理解できなくて私は暫く目をパチクリとさせた。

 まさか希幸の方から歩み寄ってくるとは思わなかったからだ。

 すぐに返事が来なかったことを不安に思ったのだろう。

 

「だめ?」

 

 希幸は自信なさげにおずおずと上目遣いになって聞いてきた。

 

「駄目じゃない駄目じゃない! 交換しよっか」

 

 急いでカバンからスマホを取り出して、希幸と連絡先を交換し合った。

 

 希幸は、アドレス帳に登録された私の名前を今まで見たことのない表情で見つめていた。

 喜んでいるの……かな? 少なくとも私には、誕生日プレゼントを受け取った子どものように見えた。

 

 ――思い返せばその日からだ。希幸との距離がぎゅっと縮まったのは……。

 

 

   ✕

 

 

 希幸と連絡先を交換してから一年と少し。

 そう。あの日から一年が経過した。

 屋上に立った私達を初夏の空気が包んでいる。

 私の目の前には告白の返事を今か今かと待っている希幸が。

 

 私と希幸。一年の間で私達二人は傍目から見ても仲良しの親友となっていた。

 これからも仲良くできると思っていたし、そうできるように努力もするつもりだった。

 

 でも……告白されてしまった。


 告白自体は嬉しいし、めぐり合わせが良ければ彼女の告白に頷いていたのだろう。

 けど……そう、めぐり合わせが悪かった。この一言に尽きる。

 だから、私はこう言うしかなかった。

 

「ごめんね、希幸とは付き合えない」

 

 瞬間、希幸の期待と不安の混じった顔が、真っ逆さまに沈んだ。

 ショックを受けたのだろう。

 肩を震わせながらその場に崩れ落ちた。

 その姿はまるで悲劇のヒロインを思わせる悲惨さで。

 彼女のことを思うと私の心もズキリと痛む。

 

「なんで……? 私が女だから? それとも出会った時に酷いこと言ったのまだ根に持ってるの?」

 

「違うよ。全然違う――だけど……」

 

「だけど、なに?」

 

 もしも、幸乃と希幸。出会う順番が逆だったら――。

 そんなことを考えもしたが――そのもしもはありえない。

 私が今の私になれたのは、幸乃と出会えたから。

 だから、もしも幸乃よりも希幸と先に出会えていたとしても、希幸とは仲良くなれなかったと思う。

 そう思えるくらいに幸乃は大切な人だ。

 だからと言って希幸のことがどうでも良い訳ではない。

 彼女と真摯に向き合うためにも、私は今まで隠してきた秘事を口にした。

 

「彼女がいるんだ、私」

 

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