シャーリー教育をする
「少年、言葉を勉強しよう!」
熊との戦いから早二日。あれからシャーリーは少年の目を盗み何度か少年の生活圏の捜索を行っていた。だけども深い山、ましてや真冬にもなると人はおろか動物のナワバリを把握することは難しい。
そこでシャーリーは少年の生活圏を少年自身に案内させようと考えた。だが少年は会話が出来ない。日本語以外ならいけるかと英語、フランス語はては広東語まで使いコミュニケーションを成立させようとしたが全て徒労に終わった。
だがシャーリーは諦めなかった。少年はシャーリーの自己紹介からしゃーりぃと舌足らずな言葉ではあるが確かに名前という概念を取得したのだ。シャーリーは自分の目的のために諦めるつもりはなかった。蜘蛛の糸のような希望ではあるがシャーリーはそれに自分の全能力を費やすことを決めた。
(とは言ったもののどうやって教えたもんかねぇ。とうの本人はポカーンとした顔でこっち見てるし。)
そもそも会話が出来ない少年にとってシャーリーが言う言葉の意味は分からない。偶然か元々の素養なのか判断はつかないがシャーリーの名前を覚えたのも奇跡のようなものだ。
そもそも勉強の意味がわからない者に対しどのような教育を施すべきなのかシャーリーにはとんと見当がつかなかった。
(とりあえずは繰り返し話しかけるしかないかなぁ。何か使えるものがないか後で隊員ロッカー漁ろう。)
こうして手探りの言語教育が始まった。
「少年?これは分かるかい?これは手って言うんだよ。繰り返して見て?」
「てぇ?」
「そう!手!じゃぁこれは右手って言うの。行ってみて?みーぎーて?」
「みぃーぎぃてぇ!」
シャーリーは何の考えもないまま言語教育を開始したわけではなかった。少年の生活圏に案内してもらうために必要な最低限のハンドシグナルに的を絞って教えようと考えたのだ。
一から教育していたのでは時間がいくらあっても足りない。だからこそコミュニケーションが取りづらい者でも比較的意図が伝わりやすい簡素な情報伝達手段に頼ったのだ。
(しっかし物覚え良いなぁこいつ。これだけスムーズに物覚えられるのにどうしてこんなに喋れないんだ?近くに親がいないとしてもどうやって生活してきたのかやっぱり疑問だ。)
「じゃ次は下に行こう。足。あーし!さぁ繰り返して?」
「あし!」
(まぁ調べていけば分かることを考えても仕方がない。今は教本に感謝だ。)
シャーリーがかつての仲間の隊員ロッカーを漁って見つけてきたのは「よくわかる!犬との付き合いかた!」という本だった。
「よーしぃ。大分体の部位は分かってきたね?これは?」
「て!」
「これは?」
「あし!」
「ちょーっと、難しいよぉこれは!?」
「みぎてぇ!」
シャーリーの教育の甲斐あってか二時間もすれば少年は手や足と言った人間の簡単な器官を把握できるようになっていた。
(意外と楽しいなこれ。てかこの子天才?それとも私の教え方がうまいのか?)
あまりにも教育がスムーズに進んだせいかシャーリーは完全に図に乗っていた。
(言ってみるか?いやでも流石にそれは…アンドロイドして…でもなぁ)
少年は最近の主食になりつつあるゼリーを食べながらシャーリーをじっと見てる。この二時間の勉強は少年にとって遊びのようなものだったのだろうか。シャーリーの一挙手一投足を見逃さないようにキラキラとした目でシャーリーを見てるのだ。
そしてシャーリーはそんな少年の目に弱かった。
「じゃあわたしは!?」
「しゃーりぃ!!」
(つぅーーー!)
シャーリーは少年を抱きしめた。
「よくできたねぇ!凄いよぉ!」
その姿はアンドロイドというより完全にペットと飼い主のそれだった。
場所は変わり訓練室。体育館のような木の床にこれまたオレンジ色の照明がぶら下がっている。
「よし!準備はいいかい?」
少年の恰好も変わり包帯は巻いているものの動きやすい黒の短パンに黒いシャツを着ている。足にはスニーカーが。
(まさか靴を履きたがらないとは思わなかったけど。)
少年は保護前に裸足だったこともあり足に凍傷による怪我を負っている。元々痛覚が鈍いのか出血していても平気で歩く子が何故か靴だけは履くことを拒否したのだ。
(こりゃ本格的に最悪のパターンを想像しなきゃいけないなぁ。)
シャーリーは少年の出自について推測を立てていた。だけどもそれは推測の域を出るものではなく、なによりシャーリが最も外れて欲しい推測だった。
(確かめるためにもまずは訓練か。)
シャーリーが次に行おうと考えた訓練は犬の訓練の中でも追従訓練と呼ばれるものだった。シャーリーのそばを離れないように動く訓練である。高度な物になると指先一つで目的地の指定、行動の指示が可能になる。
「良いかい少年これは?」
「みぎてぇ!」
「そう右手だ。わたしが右手で脚を叩いたら必ず僕の傍に来るんだ。わたしが右って叫んだら右に移動する。わたしが左って叫んだら左に。わかった?」
シャーリーの言葉に対し少年はニコニコとほほ笑むだけで返事をしない。
(これ多分わかってないよなぁ。でもやるしかない!)
「じゃあ行くよ!」
シャーリー達の訓練は苛烈を極めた。シャーリーの指示を理解するというのは言葉を学習するということとは訳が違った。
シャーリーが右といくら叫んでも少年は右に行こうとはしない。それどころかシャーリーの後ろをパタパタと小さな足でついてくるのが限界だった。
これではシャーリーがいくら言葉を教えても案内なんてものは出来そうもなかった。
「少年!ほら自由に歩いてみて?ね?」
シャーリーにいくら先を促されても少年はシャーリーの傍を離れることはない。二日前の事件が原因なのかはたまたゼリーの魔力なのかそれは少年にしかわからない。
(最低限指示が入らないと山歩きなんてできないのにどうしろって言うのよ!)
シャーリーを悩ませる種がまた一つ増えた。
「他にいい方法ないかなぁ?」
シャーリーはまた隊員ロッカーを漁りながら少年の訓練方法を考えていた。
(いかん行き詰ってる。こういう時は確か現状整理がいいんだっけ…)
シャーリーは隊員ロッカーから紙とペンを出しそこに文字を書き始めた。
(とりあえず私は少年に生活圏を案内して欲しい。それは何故?他に人類が生き残ってないか確認するため。加えて言うならいるかもしれない少年の家族を探すため。でもそれは出来ない。何故?まず少年が怪我をしているからこれは時間経過で解決可能。食料もあるから大した問題じゃない。問題は少年と会話が出来ないこと。これが問題。コミュニケーションが取れない以上少年を外に出して逃がすわけにもいかない。じゃあどうやってコミュニケーションを取る?)
シャーリーは現状を整理しながら紙に書き連ねていく。
(ハンドシグナルは駄目だった。そもそも今の少年には主体性がないから。じゃあどうやって生活圏を探る?首輪を着けて歩くわけにもいかないし。教本にも答えがない。)
「しゃーりぃ?」
少年がシャーリーを呼ぶ。
(うん?お腹が空いたのかな?でもいい加減ゼリーばっかりもあれだし他になにかないかな?)
シャーリーは立ち上がる。すると机から教本が落ちる。
(いかんな。アンドロイドが物を落とすなんて。私にもガタがきてるのかしら…あらこれは?)
シャーリーは教本の後ろに着いていた物に気付く。
「DVD?」
(とりあえず見てみましょうか。)
シャーリーは少年の元に教本とDVDを持って向かった。
今日の少年の夕食は軍で使われる缶詰食品だった。これまでがゼリーなどの低負担のものだったこともあり固形物に踏み込んでみようとシャーリーは考えたのだ。
ラインナップは豆の水煮、クラッカー、そしてミートボールといささかビタミンに欠けたラインナップ。
(野菜ジュースは飲めるか分からないからなぁ。アンドロイドは鼻がないから腐ってるかどうかの判断がつきにくい。)
一応栄養のことを考え備蓄してあったビタミン剤を食後のゼリーに混ぜ込んである。もはや食事というより栄養補給になっていることをシャーリーは気づいてない。
「お、おぉ。」
おっかなびっくり豆に手を伸ばす。当然スプーンなどは使ってない。襲われたことを考えて持たせないようにもしているのだ。
(さて飯食ってる間にDVDでも見てみますか。)
シャーリーは部屋にあったモニターにプレイヤーをつなぎDVDを見る。
(やっぱり教本の映像か。大した情報はなさそうだな。)
「うおぉ」
少年がビックリした顔で見る。犬が吠えているのだ。少年はモニターにゆっくりと近づきながらじっと映像を見る。
(おっ?)
今までにない反応にシャーリーは興味を引かれた。もしかしたら起死回生の一手になるかもしれないのだ。
映像ではトレーナーが何度も犬の名前を呼びながら犬を巧みに操る。
(名前ねぇ。そういや少年の名前まだ知らないな。聞きようもないから良いんだが。)
「しゃーりぃ!」
「はいはい。どうした?」
「しゃーりぃ!」
少年は何度もシャーリーの名前を呼ぶがシャーリーには少年が何を要求しているのか理解できなかった。
(なにが言いたいんだ?)
少年は指を自分に向けてひたすら「しゃーりぃ!」と名前を呼ぶ。
それを見てシャーリーは気づいた。
「少年?もしかして君名前が欲しいのかい?」
シャーリーの問いかけと少年の意図が合致しているとは限らない。だけどもそのときシャーリーは確かに目の前の少年が自分の名前を欲しがっていることを確信した。
シャーリーに新たな苦難が誕生した瞬間だった。




