暗黒騎士団の出来心
魔王城の最奥、玉座の間は静寂が支配している。
呼吸音さえない完全なる無音は、我ら魔族が尋常の生命でない証だ。
入り口から玉座へと続く赤い絨毯。私はその片側に立ち、剣を地についた姿勢で立っていた。
私は兜の隙間から、敬愛する主――魔王様を見る。
魔王様は玉座に巨体をしずめ、髑髏に似た仮面を入口へ向けていた。
常に思うのだ。
なんと素晴らしく、そして凄まじい重圧だろうか、と。
身を押し潰す緊張感は、任務を思うと喜びへと変わる。私は魔王様の誇り高き守護者。少なくともその片割れである。
装備は、顔から爪先まで包む闇色の鎧と、同じく漆黒の剣。かように武装して玉座の間にある栄誉は、私の他はもう一人だけだった。
――なぁ。
頭に声が聞こえた。空気を振るわせずに行う、念話である。
私は対面に注意を向けた。
我が身とよく似た漆黒の鎧が、剣を地に突いた姿勢で立っている。空間の異常な威圧感には、この魔族も少しは貢献していると認めないでもない。
――くく、聞こえているかい、サンソン?
男は私の名を呼んだ。
静寂を壊さぬよう、私も念話だけで応じる。
――なんだ、ムネリンよ。
私とこの男は、玉座を共に守る魔族だ。相棒同士ということになるだろうか。
漆黒の鎧から我々は『暗黒騎士団』と呼ばれている。
ムネリンが私に告げた。
――暇だなぁ。
舌打ちをしないことに細心の注意を要した。
魔王様を守る重責を、なんと心得ているのか。
――暇だろう? おまえも。
あまりにもしつこいので私はつい認めてしまった。
――ああ、そうだな。
――だろう? 前の勇者が来てから、もう10年経つ。昼も夜も立ちっぱなしだぜ。
魔族に疲れはない。時間の感覚もあまりない。
10年と改めて言われて、そうかもうそんなに経ったのかと思った。
――だからなんだ?
――やろうぜ。暇つぶしをさ。
互いに微動だにしない。
魔王様が玉座にいる時はぴくりとも動かないことが、いつの間にか暗黙の了解となっている。静寂を害すことは、魔王様の機嫌をも害すこと。これで塵になった魔族は数知れぬ。
そんな状況でもできる暇つぶしがあるのだろうか。
――くく、まぁ聞けよ。
ムネリンはあるときから、玉座の間であってもできる暇つぶしを考えていたらしい。
時間の感覚に乏しい我ら魔族に、『暇つぶし』という概念自体があまり理解ができぬものではあったが、その熱意には関心をひかれた。
――魔王様の手前、声を出したり、体を動かしたりはできぬだろう。
――念話だけでいいんだ。
ムネリンの考えた暇つぶしは、確かに簡単なものだった。
1.先攻が単語を話す。
2.応じて、後攻が単語を返す。以後繰り返し。
3.その時、先攻が放った単語の末尾を、後攻は単語の頭につけなければならない。
4.単語は『ん』で終わってはならない。
簡単だが奥深そうなゲームだ。
――まずは俺からいくぞ。『しりとり』
――『りんご』
――『ごりら』
――『らっぱ』
不覚にも熱中した。
末尾に『り』を連発するムネリンの戦法に私は一時防戦を強いられたが、単語に『人名』を用いてもよいという追加ルールを強硬に主張し、勢いを盛り返した。
――ちくしょう!
ムネリンがゲームを投げた。
――サンソン、君がこんなに負けず嫌いとは思わなかったよ。
――ふん。まぁ奥深くも楽しいものだった。
魔族は一生を戦いに捧げる。私達に余暇も楽しみも必要はない。しかしこの『ゲーム』というやつは、やってみると面白いものだな。
念話に興じていた我々は、そこで現実の声に気づいた。
「と、余は思うのであるが」
魔王様が話している!
「……そなたらはどう思う?」
愕然とした。
「これは魔王軍全体に関わること、そなたらの意見を聞きたい」
しかも重要な話ではないか!?
――ムネリン。聞いていたか。
――くく、いいや。
我々は高度な政治的判断で、何も言わないことにした。
沈黙は金。
実際、どんな金属よりも重さを感じる沈黙であった。
「……ふん、相変わらず無口なやつらよ」
切り抜けたこの機を境に、我々は禁断の喜びを覚えてしまった。
名付けるとすれば、スリルだ。
我々が恐れるのは魔王様の存在のみ。その絶対の存在の前で、ばれないように、こっそりと遊ぶ出来心は変化に飢えた我々にとって蜜よりも甘いものだった。
魔王様を軽んじたわけでは決してない。むしろ畏怖する心が我らを駆り立てたのだ。
◆
私達は変わった。
暗黒騎士の鎧に身を包み、無言で佇むことは変わらない。けれどその裏では念話によりいくつもの駆け引きが繰り広げられていた。
ムネリンはなぜか人間の遊びに通じており、いくつもの遊戯を私に吹きこんだ。
しりとり。じゃんけん。
何かについてどちらがより面白いことを発せるかを競う『大喜利』は、魔王様の前という状況がいっそうスリルを高めた。
ムネリンは人間の物語にも通じており、私に興味深い話をいくつも教えてくれた。
たとえば、こんな具合だ。
――ショカツリョウ・コウメイは空城の計を生み出し、合体ビームで三国志を滅ぼしたんだ。そうしてできたのが四国ってわけさ。
私はムネリンに尋ねてみた。
――なぁ、君はなぜそんな人間の物語や遊戯に詳しいのだ。
対面の鎧が、にやりと笑った気がした。
――やはりそう思うかい?
私は認めた。
――ああ。君も私と同じように魔王様をずっと守っているはずだ。この間を離れたところを見たことがない。なぜ君はそんなに物知りなんだ?
――ふふ、そろそろ教えてやろう。
ムネリンの鎧から白い霧が漏れ出した。
――これは、俺の体を細かい粒子にしたものだ。鎧の隙間から、少しずつ風に乗って脱出できる。
――お前、まさか。
――そうだ。こうやって鎧だけを玉座の間に残し、人知れず脱出していたのだよ。
なんということだろうか!
抜け殻と一緒に玉座を守っていたこともあったのか。
――簡単な魔法だ。君にもできる。
――しかし、魔王様を守る使命を放棄することはできない。
――サンソン、ここ20年で勇者が来たか? ちょっとくらい離れても大丈夫だ。
確かにそうだった。最後に玉座の間に勇者が乗り込んできてから、それだけの時間が経っている。
来客もない。我々に尋ねてくるような者はいないし、魔王様の御令嬢もこの部屋には来ないのだ。
――ぐっ。だが。
――もっと面白い暇つぶしがあるぜ?
抗えなかった。そうかこれが好奇心というやつか。
私はムネリンと同じように魔法を使い、鎧だけを残して玉座の間を離れた。直立不動の漆黒の鎧は、まさか中身が不在だとは誰にも悟られぬだろう。
「ここだ」
ムネリンは魔王城に秘密の部屋を確保し、そこに人間の遊戯盤や物語を貯蔵していた。
久しぶりに見た相棒は、赤髪にやや軽薄気味な笑みを貼り付けた男だ。銀刺繍入りの鎧下がよく映える。
ムネリンはこちらを見て笑みを深めた。
「サンソン、久しぶりに君の男前を見たな」
私は自分の容姿を鏡に映してみた。黒髪に若干きつい目元。この姿になったのは、30年ぶりかも知れぬ。
魔族には時間の感覚がなく、老化もない。空気中の魔力から活力を得るため、上級の魔族は食事や睡眠さえ必要とはしないのだ。
「さて、ボードゲームでも出すか」
私とムネリンは時間を潰した。
潰しすぎた。
気付くと4年が経っていた。
「ウラシマ・タロー!」
ムネリンが叫んだ。楽しくて時間を忘れることを意味するらしい。
彼とのボードゲームないしはカードゲーム(ウノ、トランプ、将棋、チェス、カタン)は白熱し、幾度となく繰り広げられた名勝負は私の心に刻まれた。
熱くなりすぎて『勝負だムネリン。どちらが強いかは実戦で決めよう』と何度か口走りそうになった。
魔王城に警鐘が響き渡る。
「勇者が来たぞ!」
実に24年ぶりの勇者の来城である。
ここで困ったことが判明した。霧になってひっそりと鎧に戻るやり方は時間がかかる。この緊急時では戦いに間に合わない。
「このまま駆けつけるしかない!」
素顔のまま玉座の間に駆けつける。すでに勇者が魔王様に剣を突きつけていた。
「魔王よ! 勝負だ!」
私は叫んだ。
「待て! その前に我々が相手だ」
勇者が問う。
「貴様らはなんだ」
私は言葉に詰まった。
うかつに暗黒騎士団と応答すれば、では玉座の鎧はなんだという話になる。
ムネリンが前に出た。
「我々は、暗黒騎士の弟子だ」
私ははっとした。
「何を言う」
「言葉の通りだ。魔王様に抜け出したことがばれたら大変な怒りを買うぞ」
「しかし――」
「我々は滅多に魔王様にも顔を見せない。魔王様も我々の姿を覚えていない可能性は十分にある。諦めるな」
魔王様が口を開いた。
「――余は知らぬが、そうなのか、暗黒騎士よ」
空っぽの鎧に問いかける主は、私に大いなるショックを与えた。
もちろん鎧は何事も応えない。
「……ふん、相変わらず無口な男らよ」
魔王様。
それを言えば全部済むと思っているのですか?
私達は勇者に挑み、勝利した。
我々の抜け出しがより大胆になったのは、言うまでもない。
◆
我々が暇つぶしに目覚めてから、百余年が経った。危うい時はあったが、黙っていれば魔王様は大抵「ふん、相変わらず無口な男よ」で流してくれる。
我々はついに、より大きな暇つぶしを実行することにした。
過去最大の試みだ。
魔王城を抜け出すことにしたのだ。
私は人間の装束に扮したムネリンに声をかけた。
「いくぞ」
「ああ」
百年近く勇者の襲撃がなかったせいで、魔王城は閑散としていた。ここに詰めていた魔物達も、勇者が来ないせいで軒並み魔界に帰ってしまった。
気配を殺す必要さえない。
魔王城を離れられないのは、城主である魔王様と、その護衛である暗黒騎士団だけなのだ。
転送呪文で魔王城を離れ、遠くの街へ降り立つ。
私達はそこで圧巻の光景を目にした。
「なんだ……これは」
「ビルというやつだな。あっちはクルマだ」
なんと我々が魔王城に引き籠もっている間に、人間達は技術を発展させていたらしい。
ムネリンが手帳を取り出しながら教えてくれた。
「勇者が魔王様を倒すという試みが絶えていたのは、どうも人間同士で戦争をやっていたからだそうだ」
ムネリンは続けた。
「勇者という存在自体、戦争ですっかり忘れられたそうだ。ただその戦争のせいで、これほど技術が発展したのだから皮肉だな」
魔族が好む闇などどこにもない。
雷――つまり電気か?――による光があちこちを照らし、動く絵画が建物の壁に貼り付けられている。
「あれは、テレビだな。ビルに貼り付いているのは大型モニターっていうんだよ」
ムネリンはぶらぶら歩いて行く。
私は後を追った。この男の落ち着きぶりを見ると、どうやら魔王城からの抜け出しさえ初めてではないらしい。
「きょろきょろするな。目立つぞ」
注意を受け無表情を取り戻す。
私達は夜の街を歩いた。魔族には明るすぎる夜である。
夢見心地で彷徨う間に、ふと足を止めてしまった。
「……サンソン、気付いたかい」
「ああ、魔族の気配だ」
この人間の街に、同じく魔王城から抜け出してきた魔族がいるのかもしれない。
ムネリンは首をひねる。
「おかしいな? 魔王城にいるのは、もうほとんど俺達だけのはずだがなぁ」
「行ってみるかい」
「まぁこの距離なら向こうも俺達に気付いただろう」
向こうも近づいてくる。角を曲がったところで、私の体に何かがぶつかった。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
人間の女に見えたが、気配は明らかに魔族。巧妙に化けている、高度な変身だった。
女は私達を見上げて真っ青になった。
「わ、私を連れ戻しに……!? ごめんなさい、ごめんなさい!」
「いえいえ我々も抜け出しの身でして」
その魔力を感じて、私達ははたと気付いた。
「その魔力――魔王様のご息女でいらっしゃいますか?」
ムネリンが問うと、女性はうっと呻いた。
まだ何も聞いてはいないのだが、耐えかねたようにどうっと言葉を吐き出してくる。にょっきりとこめかみの辺りに角が生えてきた。
「実は、父である魔王は50年前に魔界に帰ってしまいまして……! なんでも勇者がぜんぜん来なくてつまらないって……!」
ご息女は続けた。
「それで、50年前から、私に代わりを押しつけました! まぁ実際には、父の鎧を遠くから魔法で操っていたのですけど」
私とムネリンは顔を見合わせた。
魔王様も遠隔操作。
私達も抜け出して遊ぶ。
玉座の間にはずいぶん長い間、誰もいなかったことになる。こちらからは話かけないし、魔王様も「相変わらず無口なやつよ……」で完結させてしまうのが定番化していた。
「ご息女、アーシュラ様、実は……」
私達は白状した。
「まぁ、それでは……」
「ええ。私ムネリンも、このサンソンと共に抜け出して遊んでおりました。おあいこですな」
私達は笑いあう。ムネリンが肩をすくめてみせた。
「思うに、我々には役割があります。しかし時としてそれを忘れたり、時代とともに変わるのもまた一興でしょう」
その時、ビルの大型モニターが大きな音を発した。
――緊急ニュースです。
テレビは続ける。
――120年途絶えていた魔王城への侵攻が、再開されることになりました。
――ただいま、兵士3000人ほどが魔王城へ向かっています。
私達3名は顔を見合わせた。
「「「人間が、来る……?」」」
久しぶりに。
魔王城にあるのは、抜け殻の鎧が3つほど。
ムネリンが叫んだ。
「空城の計!」
余談だが空城の計とは、城から誰一人としていなくなることではない。
私達は大急ぎで魔王城へ戻った。
◆
転送魔法で戻ったはいいが、魔王城はすでに軍隊に包囲されていた。その数は3000人。
ヘリコプターなる飛行機械や、棺桶を2つ重ねたような戦車という物体が魔王城を取り囲んでいた。
「急ごう」
玉座の間には転送魔法ができないようになっているので、魔王城についてからは徒歩で駆けつけなければならない。
閉まっていたはずの扉が軒並み開いており、すでに少なくない数の兵士が侵入しているのが察せられた。
玉座の間に急ぎむかいながら、アーシュラ様は尋ねる。
「か、勝てるのでしょうか?」
難問である。
玉座の間に到着すると、兵士がすでにいた。
魔王様の鎧と、暗黒騎士団の鎧、二つの鎧の圧力は未だに健在である。兵士達も辿り着いたばかりらしく、微動だにしない魔族(の抜け殻)に気圧されているようだった。
「……お前達は?」
一行が尋ねた。
ここで魔族ですなどと応えれば、即座に殺されるだろう。
私達は目配せを交わし合った。3人で玉座の階段を上り、アーシュラ様に目で断ってから、魔王様の甲冑を押す。
がらんがらんと甲冑は玉座に崩れた。
「私達は、あなた方よりも先に魔王城に辿り着いていました」
ムネリンの言葉に、兵士たちが顔を見合わせる。
「魔王たちは、すでに討伐してあります」
私も続けた。
どよっと兵士達に驚きがはしる。
「なんと……!」
「魔王を討伐?」
兵士の一人が呻いた。
「ま、待てよ。聞いたことがあるぞ。魔王を倒す、伝説の存在が昔いたって――!」
兵士達は唖然とした表情で私達を見つめる。
私達は目線を交わし合い、笑みを深めた。
言葉はいらない。
叶えてみよう。最後の最後に、特大の出来心。
私とムネリンは剣を、アーシュラ様は杖を、それぞれ高く掲げて交差させた。
「「「私たちこそ、勇者です!」」」
以降、我々は勇者パーティーと呼ばれている。