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セクシュアルマイノリティを武器に戦っているつもりはない。嘉代子はそんな女だった。誰かと敵対するとか、嫌悪するとか、それってなんのため? 「人は人、自分は自分」のスタンス。大事でもない人に向ける怒りは無駄な労力だ、そのエネルギーを仕事に回したい。
セイラとの少し遅い朝食を摂ったあと、嘉代子は自宅マンションを出た。彼女の職業に休日の概念はない。
ウィキペディアで彼女の名前を検索すると、その項に「女優・小説家」と出る。経歴、作品、人物など事細かに記述されている。その中には、嘉代子がレズビアンであることも明らかになっていた。
都内の電車に乗る。迷路のような新宿駅で人はごった返し、和菓子販売のよく通る声が聞こえた。ピンク色ののぼりにでかでかと「ひなまつり」とあり、商品棚には同じ色をした桜餅が二種類整列している。花の香りが漂うようだった。
文芸誌のインタビュー依頼は初めてではない。一人だけであったり、対談だったり。今回は脚本家との対談だった。「美しき女性クリエイターの“核”」という題で、自身の創作で重視している部分を語り合う。らしい。
女優兼作家といっても、受賞歴はほぼないに等しい。ウィキペディアの「経歴」欄はそこだけ物寂しくなっているのが事実だった。ドラマの主演や新人賞などの実績はあれど、それ以上の何かがあるわけではない。
しかし賞の獲得はないが、ノミネートされたことは数多くあった。これが彼女の知名度の所以だ。受賞まであと一歩のところでそれを逃す。ファンは彼女を「無冠の白雪姫」と呼んだ。「白雪姫」というのは、彼女のデビュー作『微々たるビビッド』の主人公・白雪から取ったものだ。
ツイッターやインスタグラムのフォロワーは三万を超える程度。嘉代子は人目に立つと必ず美しい。黒い髪に赤いリップが似合う、ゴシック風の創作者。その容姿と作風が見事に一致し、女性のファンが非常に多いのだ。
とはいえ、このまま何も功績を残すわけにもいかない。彼女は毎度のことのように「紺珠賞」の受賞を逃している。ノミネートされては落ちるの繰り返しだった。今年も自身の小説『漂う家』が候補に挙がっていた。結果発表はちょうど一週間後、期待と不安が入り混じる。
そして今回の対談が載る雑誌は、その紺珠賞を主宰している「藍々社」の出版物だ。その共通点だけで妙に心臓が高鳴ってしまう。
恵比寿で降り、そこから徒歩五分にある藍々社まで向かう。ビールのコマーシャルソングが軽快に流れていた。




