精霊アルーヴ 1
ブルーノ爺さんと話した次の日、俺達はバールバーレを出発した。
昨日の午後には、服屋でマントも購入したので、防寒対策もバッチリだ。
ここからはプレヴィン辺境伯領を最終地として、どんどん北上するので、寒くなる一方であるからな。
季節としても冬に向かって一直線だ。
レイナやマツカゼの体温も伝わってくるが、それ以上に空気の冷え込みが伝わってくる。
馬上で風を切っているのでなおさらだ。
「そろそろ休憩にしよう」
そう提案すると、大人たちは快諾してくれた。
今は開けた草原であるので、休憩に向いていない場所というわけでもないので、すぐに止まって休憩することにした。
マツカゼから下馬したものの、今日は中々に風が強く、少しばかり涼しい。開けているので日光も降り注いでいるが、俺は太陽に脱がされるよりも、北風を防ぐ方を選んだ。
そう、今日の風は北風であったのだ。
そりゃあ涼しいというものだ。一般道の自動車並みの速度で駆けていたから、空気との相対速度によって生じる風であるとばかり思っていた。
本当に、忘れずにマントを購入しておいて良かったと思う。漫画のように格好良くはためかせるのではなく、てるてる坊主のような見た目になってしまうが、マントは確かに温かいのだ。
そう思っていた、直後。
強く、南風が吹き抜けた。
温かくて優しい風であったが、少しムラのある風で、まるで言葉のようにも思えた。
「『待ちなさい』と、聞こえたのですが……」
不意にレイナがそのようなことを言い出した。
思えば、似たようなことをレイナは口にしたことがある。
明確に言葉ではなかったが、王都を出て闘技場に着くよりも前のこと、休憩中にレイナは言った。
『ジーク様、何か言いましたか?』と、風が吹いた直後に。
その時は何も思わなかったし、草木のざわめきが言葉に聞こえることもあるだろうと思った。
しかしだ、俺は別の言葉を思う。聞いたばかりの老人の言葉だ。
『論理に基づかない感覚的なものというのはな、意外とあてになるものなのだ』と。
いや、しかし、まさか。
否定できる材料がないのだ。特に、レイナは特別であるから。
俺も特別ではあるだろうが、それば前世の記憶があるだけで、神秘的な力はない。
けれどもレイナは『聖女の奇跡』――いや、ロアの言葉を読んだ今では『リアの能力』とでもいうべきだろうか――を使える。疑いようのない神秘の力だ。
ああ、いや、そうか。
俺はロアの系譜であり、レイナはリアの系譜である。神話上の存在の、能力的な後継者だ。
そして、それらは精霊の呼び出しに関係していて、俺は実際に呼び出すためのプロセスは踏んでいる。
南風が再び吹いた。
やはり俺には言葉には聞こえないが、それでも意志のようなものは感じ取れた。
今までで一番強い南風が吹いた。
思わずマントを押さえる。
マントを押さえる俺の手に被さるように、レイナが手を伸ばしてきた。
マントを離してレイナの手を握り、自分の方に引き寄せる。
「ジーク様、これは――」
「ああ、多分、そうだ――」
竜巻にも思える、強力な旋風が俺達の目の前で起こった。
しかし、荒々しい灰色の渦ではなく、穏やかで優しいのに力強い、不思議な旋風であった。
それは土埃すらたてることはなく、しかし何かが陽光に照らされて、キラキラと神秘的に輝いていた。
「ジーク、マリーナ、これは――!?」
旋風を見て、後ろから、身体強化を施したフリッツが神速と形容できる速さで、俺達の前に躍り出た。
瞬き一つ分遅れて、ウォルフガングが同じように前に出るが、彼は明確に守りの姿勢であった。
後ろから女官の声が飛ぶ。
「落ち着いて、フリッツ、念のために専守防衛――それは恐らく善性です」
フリッツが息をのんで、一歩引いた。
俺とレイナと、旋風との間には、視線を遮るものはなくなった。
ウォルフガングとフリッツは斜め前に立ち、いざという時は俺達を庇いながら逃げられる理想のポジショニングを取った。
直後、吹く風の強さが増して、その中心であるキラキラと輝く旋風の勢いも増した。
そして、その旋風の輝きは、次第に具体的な形を持ちだした。
より中心に光が集まって、人の形を成していく。
そのシルエットは、女性の妖精族のような、いや、「日本人の思い浮かべるエルフ」と言った方が正確であろう。
身長はカリンと同じくらいで、手足の先から胴体まで全体的に細身である。そして、耳の形が、長く尖っている笹穂耳――俗にいうエルフ耳――だ。
尖ってはいるものの、人間族のものと同じ程度の大きさである、妖精族の耳とはまるで違う。
そして、光の形が完全な人型を成した直後、その光は足の方から次第に剥落を始めた。
シルエットは一切を身に着けていない裸のものであったが、光が剥がれると白い布のようなものが柔らかく巻き付いていた。締め付けるような密着性はなく、むしろ浮いているようですらあった。
意外に露出面積は少なく、しかしなぜか、幻術的なまでの神秘性に溢れていた。
最後にスキンヘッド状態の頭の光が剥がれ、量が多いのに軽そうな、彼女の身長よりも長い艶やかな銀髪が下に流れた。
彼女がこれまた長い前髪を耳まで掻き揚げると、誰もが見惚れる様な――欲情を感じる隙すらない完璧な芸術的な「美」の形容そのものの――整った顔が姿を見せた。
呆ける俺達を双眸で見つめながら、彼女はペアピンのようなものを作り出し、掻き揚げた髪を固定した。
彼女は地面から、目測20センチほど浮きながら、息を吸い込んだ。
そして、吐き出した。
もう一度吸い込んで、俺の方を見つめながら言った。
「私は精霊。初代のロアが付けてくれた固有名詞で言うならば、アルーヴ。
ねえ、今代のロア、呼び出したのに何故、私を待ってくれなかったの?」