調査報告
イェーガー辺境伯領バールバーレは、これといって特徴のない街である。
国道からは遠くないものの、かといって通っているわけではないので、流通で栄えているというわけではないし、すぐ近くに地脈が通っているわけではないので、冒険者が集まるということもない。
そこそこの農業力と、そこそこの狩人たちが中心となる、本当に普通の街である。強いて言えば狩人が多いが、これはイェーガー辺境伯領全体の特徴である。
バールバーレは規模だけで言えばそれなりに大きい。中の上といったところか。
そんな街に入って、数分ほど歩いたところに、冒険者ギルド――狩人が多いので狩人ギルドといった感じだが、雰囲気の問題であって基より同じ組織である――はあった。
何の変哲もない冒険者ギルトだが、冒険者ギルド自体が他の建物よりも大きいことが常なので、遠くからでも中々に目立った。
いつもは最初に宿を探すのだが、今回はクエストの報告を優先した。理由は二つ。
第一に、「現地に行った証拠」が中々に邪魔であるということ。
第二に、報告は口頭でも良いのだが、それを短縮するために既に文字にしてまとめてあること。
時間をかけずに報告を終えられるように整えてあるのだから、邪魔なものを宿に持ち込む必要もないという単純な判断によるものだ。
この報告なのだが、書くことと書かないことは選別した。
遺跡の雰囲気については書いたし、何か文字が書いてある、のようなことは書いた。けれども、俺が読んだ日本語の項目については一切触れていない。
何と言っても精霊だ。ファンタジーだ。内容通りなら「知ったところで何もできない」のだろけれど、念には念を入れる必要があるのだ。
それに、俺が何故読めるのかと聞かれても困るしな。
カリンあたりは流石に察している気がするが、彼女は大丈夫だろう、信頼して良い。
なんにせよ、触らぬ神に祟りなし、だ。
無難な報告を書いた木板と、証拠である旗を受付の人に渡して、クエストの仮処理を行った。
ここで仮処理である理由はガイエスでの三毛猫騒動でのものと同じで、依頼者に確認を取る必要があるからだ。今回の場合は、旗が本物であるかどうか、である。
どうやら依頼者はヴァインガルトナーではなく、バールバーレの住人であったようなので、明日にも結果が出てくれそうだ。
俺達はそれでギルドを去って、今日の宿を探すことにした。
といっても、ギルドの職員にオススメの宿を聞いたので、地図と実地を照らし合わせるという意味での探すであるが。
清潔感があって、中々に良い宿であった。
◆
そして、報告した次の日、ギルドから呼び出しを受けた。
要件はクエスト達成の報酬を渡すことに加え、依頼者が出来れば直接話を聞きたいと言ってきたからである。
特段急ぐ旅でもないので、俺達はそれを快諾した。
「やあ、良く来てくれた、冒険者諸君」
ギルドの職員に案内された、ギルドの休憩スペースで待っていたのは、好々爺であった。
半分ほど白くなった茶髪に、「自分では遺跡に行けない」という割には若い顔をしている、爽やかさと少しの威厳と優しい雰囲気を持った、老人男性だ。
彼は座ったままに俺達に声をかけると、同じ机の席を進めて、俺達が座ると自ら名乗った。
「私はブルーノ・カイ・イェーガー。フォン称号もない平民だが、一応はイェーガー辺境伯の分家にあたる者になる。――そうでもなければ、考古学者なんてやれないからの」
それをきいて、なるほどどうして、平民らしからぬ威厳を持つ理由が分かった。
つまりだ、おそらくだが、彼は当主からの三親等に収まらないために、成人と同時に平民となった訳である。子供の頃は貴族としての教育を受けていたのであろう。
よく考えればそれもそうで、学校のないこの国で、知識のない平民が考古学などやれるはずがないのだから。
彼は人好きのする笑みを浮かべて、俺達の方を見ていた。
俺達はそれに施されるように名乗ったが、ブルーノ爺さんは遺跡に着いて早く知りたくて仕方のないといった風であった。
実際に名乗った後に催促されたので、リーダー然としているウォルフガングが説明をする。
「遺跡の様子は、ギルドに提出した板の通りです。神殿らしき建物があり、その正面に広場がある。周りには柵が一周囲んでいます。それらは古いものですが劣化は殆ど無く、建物としての安全性は損なわれていないように思えました」
書いたことを要約しただけの、事務的ではあるが、同時に的確な言葉であった。
ブルーノ爺さんはその回答そのものには文句はないが、物足りないといった様子で、目を細めた。
「うむ、うむ……。しかし、それは事実だけじゃな。感想も欲しい……そこの茶髪のお嬢ちゃんはどう思った?」
「え、私ですか? えーと……」
ブルーノ爺さんが目を止めたのは、フランツィスカであった。
一番気を抜いていたからかもしれない。
フランツィスカは驚いたようであったが、しかし、数年間女官として働いているだけのことはあって、すぐに冷静さを取り戻し、感じたことを口にした。取り繕うことでもないので、素直な言葉である。
「すごく、神秘的に感じました。特に神殿らしき大きな建物は」
ブルーノ爺さんは満足そうに頷いた。
「そうかそうか。ならば、あの遺跡は昔のままということだな。神殿の中には入ったか? 古代文字を読める者は?」
「私が――壁面の文字を読むと、
『鬼角族の統治者、鬼神。
妖精族の統治者、妖神。
龍鱗族の統治者、龍神。
人間族の統治者、人神。
獣人族の統治者、獣神。
天翼族の統治者、天神。
海守族の統治者、海神。』
というように読めました。」
「『統治者』と訳したか。私はそれを『導き手』と訳したのだが、成る程」
「いえ、意味としてはそちらの方が近いかと。ただ、それだと王爵家との関係性を、虚空から引き出してしまう恐れがあるので」
カリンとブルーノ爺さんは、お互いの意見を聞いて頷き合っていた。
古文の翻訳を出来る人達の感覚は、そういう人たち同士にしか分からないのだろう。
俺も一応は日本語を使えるものの、これはそもそも使う人がいないので、俺の中で幾らでも自己完結出来るからな。翻訳の苦労というものは知れない。
「同じ壁に『これらを写し、そして広げよ』『祭壇も仕組みごと写せ』といった二文があったと思う。これらの差すところが何なのかはわかるが、内容はさっぱりであった。こちらの言語について理解のある者は?」
「――いえ、私たちは、基本的には冒険者ですので」
「そうか――冒険者には思えん聡明さだが、さて、私も人のことは言えんか」
ブルーノ爺さんはカラカラと快活に笑った。
静かな笑みであったり、声を出して笑ったり、差はあるものの良く笑う人だと思う。
大人たち(フリッツ除く)が会話を引き受けてくれたので、俺もレイナもブルーノ爺さんと直接話すことは殆どなかったけれど。
そして、最後にブルーノ爺さんは、俺とレイナの方を見てアドバイスを残した。
「これは私の持論に過ぎないが、論理に基づかない感覚的なものというのはな、意外とあてになるものなのだ。頭の隅にでも覚えておくと良い、少年少女」
それはフランツィスカに感想を求めたことから、確かにブルーノ爺さんの持論であるのだろう。
俺とレイナは思わず顔を見合わせ、すぐに再びブルーノ爺さんに向き直った。
好々爺は笑顔を浮かべて去っていったが、彼のアドバイスに、思い至る所がないわけではなかった。




