謎の少女 4
数日経過して、様々な情報を踏まえたうえで、エマに関する監視と情報収集の手筈は整った。
また、十一年前の事件との関連についての検証もされるという。
更に、別件ではあるがリオーネ王国の動向に関する文書をカリンが王都に送っていたらしく、それらも合わせて調査されることとなっていた。
なんというか、様々な情報が収集され過ぎたことで、ユグドーラ大公都では「旅をした気分」にはあまりならなかったのだけれど、役に立ったならば良しとしよう。
そんな感じであるが、俺達はそろそろユグドーラを出発する頃になった。
厄介事を処理しないままに逃げ出すような感じではあるが、まともに考えれば、そもそも処理するような事態でもない。俺が個人で干渉するべき事案ではないのである。
颯爽とマツカゼに飛び乗り、後ろにレイナを引き上げる。
ここしばらく馬屋に繋がれていたマツカゼとしては、今すぐ走りたくてたまらないであろうが、しかし彼は賢いので言わずとも街中では我慢してくれる。郊外に出たらその名馬たるところを遺憾なく発揮していただきたい。
同じように、他の皆も自分の馬に乗る。フランツィスカはカリンの後ろだ。
「じゃあ、行こうか」
そういうと、騎手は皆頷き、馬たちもゆっくりと歩き出した。人の歩みよりやや速い程度の常歩である。
高い位置から見ると、街の雰囲気も少し違って見えて面白く、また新鮮であるが、今から出発することを考えると寂しくもあった。
高い位置から見る風景はいつもそうである。初めてのワクワクか、最後の寂しさだ。前者は街の前で降りていることも多々あるので、専ら後者の印象が強い。
そんな風にユグドーラを出発する感傷に浸っていると、ユグドーラに滞在した期間の後半で常に問題の一つであった、あの少女が俺達のことを見ていることに気が付いた。
それだけなら無視しても良かった。実のところ直接話したのは一番最初のあの時だけで、故に知り合いというレベルにも達していなかったからである。
けれども、この時は少女は俺達に話しかけてきた。
「ねえ、もしかして、もう行っちゃうの?」
酔って抱きついてきたときの声とは違い、今日の声は明瞭であった。
レイナが俺の腰に抱き着く力を僅かばかり強めるが、それでも今日は彼女は動じず、こちらのことを見据えて話してきた。
「私が怪しいと思われてるのは分かるし、実際に怪しいのかもしれない。突然抱き着かれたことで驚いたのかもしれない。だけど、酔っていたとはいえ、貴方のことを格好いいと思ったのは本当だよ」
その言葉には嘘が無いように思えた。
勿論、「嘘は言わないが、本当のことを全て言うとは限らない」というのが常道であるので、完全に警戒を解くことは出来ないが、それでも話くらいはしても良いのではないかと思わされた。
道の真ん中であるのが少々問題だが、俺は今回は、一応返答を返すことにした。
「ありがとう、そう言ってくれるのは嬉しいよ。しかし俺は一人しか愛せないし、君の目的も分からない」
「そんな大層な目的なんて……これに関してはない。ただ、凄く幼い頃好きだった人に似ていたのかもね」
彼女は寂しそうな表情で呟いた。
それは同情を誘うような表情で、しかし今回ばかりは救いの手を差し伸べることは出来なかった。
「私はある街に住んでいた。誰もが私とは少し違った。そして、その街よりも前には、別のところにいた記憶がある――親の顔も覚えてはいないけれど、幼心に好きだった人の綺麗な顔と美しい金髪は覚えてる」
「そうか……」
今日の彼女は良く話すと思った。
少なくとも、嘘らしい嘘は読み取れなかった。
さて、しかし、彼女がどこぞのスパイのようなものだとして、口が軽く色々と話してしまうことは、意外にもつじつまが合うのだ。
あの獣人族の青年が言うことを信じるならば、彼女は「適性がない」のだ。それは物心が半端でも付いていたからかもしれないし、口が軽かったからかもしれない。あるいはその両方だ。
しかしながら、だからといって使わないのはもったいない。そこで、発信専用のアンテナとして機能させれば、情報源となりえる。
そして、その際に一番効率が良いのが娼婦だ。人は体を重ねると心の枷が緩くなる、らしい。……もっとも、ユグドーラの商人たちはその前段階で一枚上手であったようだが。
さて、彼女が色々と口が軽くても良いのかという問題があるが、これに関しては実のところそこまで考えなくても良いと思っている。
俺たちは色々と考えすぎに考えているが、普通は「記憶には無いが、別のところにいた気がする」などと言われても誰も信じないだろう。
また、この街に派遣されて、情報を流せと言われても、そんなことはハッキリ言って誰でもやっていることだ。政治家でも、軍人でも、商人でも、一切の不自然はない程に誰でもやっている。
「分かってる、貴方は彼とは違うのよね。ごめんね。出発するのよね? じゃあね」
色々と話した彼女は、あっさりと去っていってしまった。
ただ、話したことでスッキリしたという風もあった。
何はともあれ、俺達はこの場から去ってしまうので、彼女とこういった関わりをするのはおしまいだ。
「……行きましょう、ジーク様」
「……ああ、改めて、出発だ!」
レイナに施されて、俺はマツカゼに指示を出した。
街の中はゆっくりと歩み、門を抜けて、四頭の馬は地を駆けだした。
久しぶりの風を切る感覚がか心地好い。
俺達は色々とあったが、走るのが久しぶりであるマツカゼたちは、楽しそうに大地を駆ける。
ユグドーラ大公都は大きいのでまだまだ見えているが、城壁はあっという間に見えなくなってしまった。
ここは大きな道ではあるが、それでも郊外ではあるので人通りは殆どない。
快適に歩を進めていると、ふと、黒髪の男とその従者に停められた。
何処かで見たことがある顔であった。そして、その理由は直ぐに分かった。
「楽にしてくれ。偽りの身分ではなく、本来の身分で楽にしていい。ここには誰もいない」
俺達の身分を知っている。それでおおよその当たりが付いた。
そして、レイナとフリッツの言葉で確信を持った。
「お兄様……」
「フランツ様……!」
従二位大公爵家第一子フランツ・オイゲン・フォーガス・ユグドーラ――レイナの同胞の兄である。
黒髪金眼で、銀髪碧眼のレイナとは全く違うが、これはフランツは父の、レイナは母のそれを受け継いだからである。容姿はハインツ兄様には劣るが、俺と同じ程度に優れている美男子であり、身長は俺よりも高い。
しかし、「旅」の途中である俺達に対して、彼が本来の身分で話しかけてくることの驚きは大きかった。
「ヴァイス、レイナ、それに従者たち。こうやって話し掛けるのがルール違反であることは重々承知なのだけれど、ことがことで色々と情報が集まりすぎたからね。今だけはちゃんと話し合うべきだと、一度は生の声を聞いておくべきだと、父上の代理人として俺がここに来た」
フランツは左手を後ろに捻って、親指で一軒の家を指示した。
話し合うのに丁度良いと、そういうことだろう。準備が良いとも思ったが、俺達はなんだかんだで一ヶ月近くここに滞在していたのだ。準備くらい出来るだろう。
断る理由もなく、また話すべきであると皆が思ったので、俺達はフランツと共に小屋に移動した。