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幼い聖女 2

 この世界の甘味は高い。

 テンサイは知られていないのかそもそもないのか分からないが、砂糖といえばサトウキビに依存している。しかし、ローラレンス王国は季節がある温帯から亜寒帯であり、日本で言う沖縄のような亜熱帯の場所はない。

 では他のものはどうかというと、メープルシロップは知られていないし、ハチミツは収穫量が少ないため輸入物の砂糖よりも高くつく。


 そんなわけで、海に面していて、かつ保存食が発達しているので塩気には飢えることはないのだが、甘味の方は割と絶望的だ。

 昔、塩を砂糖と偽って売る詐欺が横行したこともあるくらいだ。それらは全て取り締まられて、詐欺の中でも特に重い罰に処せられるようになった。それくらいこの国では甘味は死活問題の一つであったりする、政治・経済の面においては。


 そんな扱いの砂糖をふんだんに使ったお菓子を、俺は割と自由に食べている。

 そのお金がどこから出ているかというと、俺の「おこづかい」から出ている。王子とはいえ、あくまで従位である俺に直接の年金はないが、父であるアルトリウス――つまりはローラレンス王爵の年金は、ユグドーラ大公爵・バウマイスター大公爵・ロマーナ大公爵の三大公爵を合わせたのと同等以上にある。そこから「おこづかい」として、下手な伯爵と同等以上の額を(もら)っているのだ。

 使い道は多くないので、遠慮なく甘味を食べても、俺の私有財産は増える一方だったりする。


 一人で甘味を食べるのも心が痛むので、いつからかレイナは勿論、世話係の五人にも俺が(おご)っている。

 そんなわけだからカリンでも顔をほころばせるし、アリアに至っては鼻歌交じりに浮かれている次第である。

 皆の笑顔も見て嬉しい気持ちになりつつ、糖分を得て思考がクリアになってくる。紅茶を一口飲む。先程のことを再び考えることにした。


 さて、もしかしたら俺のような紛い物ではなく、本物の神童が身近に居たのかもしれない。魔術は無詠唱がスタンダードではあるし、イメージさえ確固たるものがあれば年齢は関係ない。だが、それらも魔力の動かし方を理解している必要がある、理屈ではなく体感としてだ。レイナは呪文を使って「体感」していないにも関わらず、魔力を無詠唱で動かし、魔力球を成功させたのだ。


 俺の知識はまだ『魔術教本』を読んだだけの受け売りに過ぎないが、カリンやアリアの反応を見る限りレイナは天才と呼べるのだろう。まぐれの可能性もあるが、そうであっても才能の鱗片(りんぺん)だ。


 突然陶器が割れる音が響き、思考が現実へ開かれる。


「ああっ! すみません!」


 見ると空になったのであろう皿が割れ、アリアが破片を拾い集めながら謝罪していた。


「大したことないから構わないよ」


 実際に大したことないので謝罪を受け入れる。おおよそ甘味でテンションが上がったままで作業して、袖口でもひっかけたのだろう。

 女官である彼女たちの服は、あくまでも貴族のお嬢様であるので、使用人の服に似せて動きやすくはしているが、そのベースとなるのはドレスであるから少しばかり動きづらいのだ。

 中世レベルの合理化では、ココ・シャネルには勝てないのだ。


 皿の破片を拾うだけならば動きやすさなど然程関係ないが、突然アリアが顔をしかめる。目からは透明な液体が僅かに溢れ、指先を見ると紅い液体が伝う。

 それを見て、今まで座ったまま大人しくしていたレイナが、突然椅子から飛び降りる。アリアの手を握って、「魔法の呪文」を唱える。


「『神はあなたを許された。痛みは悪魔に、傷は邪神に、帰りなさい』」


 それは俺たちが二歳から読み続けた物語の中で、レイナが特に気に入っていた作品に出てくる、聖女が台詞の一節だった。

 それはレイナにとっては、「痛いの痛いの飛んでけ~!」くらいのノリだったのかもしれない。しかし、(ほの)かに温かい光が僅かに生じて、アリアは驚きの表情をつくる。

 レイナが手を放した時、俺の顔は驚愕に染まっただろう。否、俺に限らず、そこにいた全員がそうだろう。



 数瞬前にはあった、傷口がなかった。



「アリア、痛いのなくなった? 大丈夫?」


「……え、あ、はい。大丈夫です。」


 しかし当人はことの重大性を理解していない。

 あの物語は、「伝記」だ。

 まだ確定したわけではないが、これは場合によっては「聖女の再来」だ。


 椅子に戻って美味しそうにクッキーをかじるあの少女が、治療魔術という、本来は人体の仕組みを理解しなければ使えない魔術を使ったのだ。

 それは「奇跡」である。


 この世界では、猿から進化した人間だけが知的生命体ではなく、長命な種族もいて、実際にその伝記の聖女を見た者が生きているのだ。

 だから「伝記」を含めた「歴史」の信憑性(しんぴょうせい)は、近代史においては非常に高い。

 件の聖女は150年前の人物だ。この世界には長命な種族もいるから、案の定目撃者も生きていて、あれは事実なのだ。

 戦死することを考えなければこの世界の人間の寿命は70歳を超えるが、それでも数代は前でなければ聖女のことは知りえない。だから「伝記」なのであって、ある特定の種族にとっては「エッセイ」程度の扱いだ。


 閑話休題。

 この世界の歴史・文学事情はこの際どうでもよくて、レイナが「聖女」たりえる可能性があるのが問題なのだ。

 隠してもバレるだろうし、教会の連中が担ぎに来るのは目に見えている。


 この国では国教は指定されていないが、ミリア教という宗教の信者が過半数を占めている。世界全体で言えばキリスト教に対するユダヤ教くらいの信者数らしいが、この国は発祥の地なので如何せん教従が多い。

 そしてこのミリア教は、「聖女ミリア」によって開かれた英雄信仰的な宗教で、レイナが諳んじたものは彼女の台詞である。


 偏見だが、俺はあまり宗教に対して良い印象はない。前世で宗教戦争や魔女裁判なんてものを学校で習って知っている上に、住んでいた国自体は九割を超える国民が無宗教であったからだ。

 建前上は仏教という人も多いが、あれは釈迦(しゃか)を信じているわけでも、解脱して涅槃(ねはん)へ行こうとしているわけでもなかった。ただ、「習慣」の中に組み込まれた一つのプロセスでしかなかった。

 あの国では、神道と仏教が生活習慣に組み込まれていて、そのうえでキリスト教の行事をあくまでもイベントとして経済活動として輸入している。一言でまとめるならば、宗教行事をただの祭りとしか思っていない国だ。


 だからこそ、イベント以上の価値を持つ宗教は、俺にとって恐怖ですらあった。

 

 更に付け加えるならば、ローラレンス王爵家もユグドーラ大公爵家も、そしてレイナ個人においても、ミリア教の信者ではなかった。

 自分の信じていない宗教に利用されるのは、どう考えても好ましくないだろうし、国としても教会が力を持つことは望ましくない。そうだ、それを利用しよう。

 俺は(ひらめ)きをそのままに口にする。


「レイナを、国で公認の『聖女』にしてしまおう」


 レイナは首を傾げながらクッキーを頬張った。

 カリンは何かを察したような顔をした。

 アリアは純粋な驚きを浮かべていた。


 この国の法律にこうある。



 ――国家より与えられし称号を持つ者、その称号を国家の繁栄以外に使うことを固く禁ずる。また、その行為に加担するもの、無断で威光を利用せし者は厳罰を与える。



 どういうことかというと、レイナを国で聖女にしてしまえば、教会は彼女を聖女やそれに準ずる呼称で担ぎ上げることは出来なくなる。

 実は称号持ちの名前を勝手に使う店は沢山あるが、それと教会では規模も立場も違うのだから、後者は黙認されることはない。


「さあ、父上に謁見願おうか」


 生き急ぎすぎだと言われようとも、先手を打たなければ意味がないのだ。断られるかもしれないが、やるだけやってやる。

 俺は今、最高に悪い顔をしていたと思う。




 意外にも謁見は(かな)った。

 国王は一日中仕事があるわけでもなく、半日ほどは緊急の連絡がない限り休みとなる。俺の話は緊急ではなかったが、単純に「謁見を申し出たのが息子だったから」という理由で通してくれたのだ。


 この国の謁見マナーなどまだ知らないので、前世で見たアニメやドラマ、舞台なんかを参考にする。

 左膝を付き、顔を伏せ、右膝に右肘を乗せ、反対の拳は床に付ける。


「従一位王爵家第二子ヴァイス・ジーク・フォーラル・ローラレンス参上致しました。この度は陛下への謁見をお許し頂き、感謝の極みです」


 言いながら瞳だけ動かして後ろを見ると、カリンとアリアはやはり違う形を取っていた。

 つま先を立てたまま両膝を付き、両手を重ねて、手のひらの方を自分の胸の中心にあてるのだ。そしてやはり頭は伏せていた。

 レイナは良く分かっていないからか、正座をして、背中は曲げずに頭だけ下げていた。まるで説教されているかのようであった。


 アルトリウスは公人モードのままに言う。


「うむ。顔を上げてよいぞ。して、どのような用なのだ?」


 俺は顔だけを上げる。


「は。この度の私の頼みは、このユグドーラ大公爵が娘、レイナ殿に称号を与えて欲しいのです。それも『聖女』ならば望ましいと考えています」


 謁見の間が騒めく。警備兵から大臣までもが、俺が突然言い出したことに驚いている、こいつは何を言っているのかという皮肉と罵倒と共に。

 アルトリウスは暫く黙ったかと思うと、突然、大声で笑い出した。息子が始めた新しい遊びを、興味深いとでも言いたげであった。


「はっはっは! 『神童』ヴァイス殿は何故そのように考えたのか、聞かせて貰おうか?」


「レイナ殿は先程、初めて魔術を使うのにも関わらず、魔力球を成功させました」


「ほう……それは凄いが、称号を与えるほどではないな」


 大臣たちが一様に頷く。

 しかし、その程度だったら俺はそんなことは申し出ない。アルトリウスはそれを理解してなのか、楽しそうに口元を(ひずめ)めていた。


「それは呪文を唱えずでのことであります」


 再び謁見の間が騒めくが、風向きは正反対であった。


「さらに、治療魔術を成功しました。彼女は医学知識は皆無であり、またこちらも無詠唱であります――少なくとも、現代において形態化された呪文ではありません。これは、『聖女』の伝承と一致し、その資格が彼女にはあると存じます」


 特に計画のない行き当たりばったりな理屈であった。

 しかし、謁見の間は騒然としている。最初は子供が遊び半分で来たのかと微笑ましく考えていたが、政治にも影響するレベルの凄まじい情報を引っ提げてやってきたのだ。冗談だろうと無条件で笑い飛ばすことは出来ない。


 一人アルトリウスだけは冷静で、いやもう一人冷静な者がいた。彼はその人物を呼び寄せ、一歩前に出した。右目に刀傷のある、兵士らしき男だった。


「静まれ!」


 カリスマ性を持った一声の効力は絶大であった。


「この者は私の親衛隊長で、ルーカスという。

 彼はかつての戦で右目を駄目にしてしまってな、本物の聖女ならば直せると思うのだが、出来るかな?」


「それは、勿論……」


 確信をもっていうことは出来なかった。

 正直なところ、ヤバイと思った。

 なんだかんだといって、レイナは先程初めて魔術を使ったのである。それに加えて一回しか見ていない。傷は小さいものであった。不安は尽きないし、流石に無理だろうという思いが強い。


 そんな俺の不安をよそに、彼女は頭の良い子であるから、状況を理解して一人でトテトテとルーカスのもとに歩いて行ってしまう。

 歴戦の兵であろう、軽鎧(けいがい)に身を包んだ黒髪の壮年が屈むと、レイナは彼の右目のあたりをペタペタと触りながら問う。


「ルーカス様? は右目が痛いの?」


 名前に自信が持てないのか、彼女は二回首を傾げた。


「そうです、レイナ様。この傷は癒えるでしょうか?」


「やってみるね」


 年に不相応なほど落ち着いて返事をした彼女は、優しい笑みを浮かべながらルーカスの右目の(まぶた)に触れた。


「『神はあなたを許された。痛みは悪魔に、傷は邪神に、帰りなさい』」


 幼いソプラノが謁見の間に響き渡り、直後、先程のアリアの傷を治した時とは比べ物にならないほどの、強く温かい光が広がった。

 慎、と。

 音と光が消えて最初に動いたのは誰だったか。


「どうなった、のだ……?」


 あるいは大臣だったかもしれないし、あるいは兵士であったかもしれないが、その呟きは静寂に飲み込まれる。




 再び静寂の訪れた時。


 ――レイナが、倒れた。

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