聖女の故郷 1
ユグドーラ大公都。
正式名称はユグドーラ大公爵領都ユグドーラ。
ローラレンス王国の南部にある大領地の中心で、朝廷に対する幕府や大宰府と思えば、日本人の感覚では分かりやすいかもしれない。
大公爵は三人いて、つまり大公爵領や大公都は三つあるのだが、その中でもユグドーラ大公都は非常に活気がある都市であった。
単純な街の規模だけで言えば王都よりも小さいのだが、とにかく活気がある。商人の街と言われるだけのことはあって、隣国との国境や巨大河川を有する、ユグドーラ大公爵領の恩恵の中心にあって、ひと・もの・かねが動き回っている印象がある。
しかも、今は秋の始まりといった時期で、様々な商品が溢れていた。国内からは秋の果物が、国外からは夏の野菜が入ってくると言った様子で、多くの商人が動き回っていた。
「ここが、ユグドーラ……」
街に入って、大公城を見上げつつ、レイナが感慨深げに呟いた。
それもそのはずで、レイナは生まれも育ちも王都であるので、自分の戸籍上の故郷を訪れたことすらもなかったのである。気持ちとしては両親の実家に帰った時のそれに近く、実際にほぼそうであるのだが、生憎と今の彼女は従二位大公爵家第一女レイナ・マリーナ・フォーガス・ユグドーラではなく、平民マリーナ・ヴリドラだった。
もっとも、感慨深いというだけらしい。初めて見たばかりで執着を抱けるはずもなく、ここにいるはずの父や兄に会えないのは寂しく思っているようだが、彼女は十五歳の誕生日には会えると理解していた。
レイナが精神的に実年齢よりも大人なのもあるだろうし、そもそも普段会うことの出来ない相手であるから会えなくても我慢できる、というところだろう。
いくらレイナでも、例えば母であるマリアなどがここにいたならば、会いたくて堪らなかったに違いない。
「そうだ、ここがユグドーラ大公爵領都ユグドーラ。商人の街。聖女の故郷」
レイナの呟きを聞いた露店のおじさんが、人好きのする笑みを浮かべて、自慢げな笑みを浮かべていた。
瞳に浮かんでいるのは、この街の誇りか、そこで商売している自分の誇りか。
「聖女の故郷っていっても、その『聖女』であるレイナ姫様は王都生まれなのだけどな。ま、一種のブランディングだ。エーレン地方の茶、ゴルドシュミット領の金細工、ミュラー領の小麦……そういったやつと同じことさ」
商品ではなく街のブランディングだけれどな、と商人は軽快に笑った。
ユグドーラ大公都くらいにもなれば、それ自体が「大公爵領の中心地」というブランド性を持っているのだけれど、こういった二つ名は多いに越したことはないのだろう。
俺達が頷きと会釈で返すと、商人は器用にも、驚きと商人的な笑顔を同時に浮かべた。
「姫様は綺麗な銀の髪をした絶世の美少女らしいが、おいおい、良く見りゃあアンタも相当だな。俺から見たら子供だが、倅が見たら一目で惚れちまうだろうよ。……なあ、彼氏さん、逃がさないためにもペアルックの装飾品なんかはお勧めだぜ?」
「……商売上手だな、おじさん」
「私はジーク様から逃げたりしませんよ」
「どうも。しかし、お嬢さん、そういったものを貰ったら嬉しいだろう?」
「はい、それは勿論」
レイナは胸元に手を当ててにこやかに微笑んだ。おそらく、服の内側に、あのネックレスがあるのだと思う。
しかし、この商人は随分と商売上手だ。
俺もレイナも外見には自信があり自負があるが、かといってそれを褒められ慣れているかといえば、実のところ決してそうではない。どうやら本心からのようであるし、レイナが褒められて悪い気はしない。
それに、レイナの微笑みを見て拒否出来ようか。
答えは否だ。だからこそ、この商人は俺の容姿を煽てるわけでもなく、レイナを直接褒めるわけでもなく、俺に「彼女は美人だな」と言ってきたのである。
悔しいかな、売り物の装飾品のセンスも悪くなく、買おうと思っている自分もどこかにいる。俺の個人資産からなら文句も言われないしな。
といっても、今の俺たちは冒険者だ。一応は戦闘が生業な訳だが。
「……実用的なものはあるのか?」
「スカーフなんかはどうだ? 寒さ、日光、砂埃なんかの対策に、傷の応急手当てにも使える」
鮮やかな蒼に染められたスカーフを示された。
染料が高いのか、値段が高いものであったが、他のスカーフと比べても確かに綺麗であった。
レイナにプレゼントするなら、みすぼらしいものという訳にもいかないからな。
「二人とも綺麗な顔しているからな、このくらい良いものでないと見劣りして、うちの商品が質を疑われちまうよ」
商人は駄目押しするように言って、片眼をつぶった。
決して美男子ではないのに、慣れていて自然なウィンクだった。
俺は根負けした。
いや、普通に購買欲求に敗北した。
銀貨を数枚渡し、スカーフを二枚受け取る。
一枚をレイナに付けてあげると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「ジーク様、ありがとうございます」
彼女はそう言うと、俺の手からもう一つのスカーフを取り上げて、俺の首に巻いてくれた。
「ありがとう、マリーナ」
微笑みを交わし合っていると、周りからは温かい視線よりは、嫉妬のような視線を受けた。
流石に微笑ましく思ってもらえる年齢は過ぎてしまっただろうから、反省しないといけないな。
「そっちの二人もどうだい、あの二人ほどではないが美男美女だ。これなんかは似合うと思うが」
「「そういう関係ではない」です」
商人が次のターゲットに定めたのは、フリッツとフランツィスカだった。
しかし、きっぱりと否定される。
まあ、実際に違うのだけれど、並んだ時の納まりがが異様に良いのだよな。
俺は苦笑しつつ、商人にオススメの宿は無いかと聞くと、彼は馬を連れているならばと、馬屋のある宿の中でオススメの宿を教えてくれた。
実際に中々に良い宿で、柔らかい布団の中で、昼食の時間まで眠ってしまった。
商人の街、ユグドーラ大公都。その雰囲気を目いっぱいに受けて、何となく疲れてしまったのだ。
久しぶりに聞く、時刻を告げる鐘が目覚ましになった。
王都の物とは僅かに音が違った。