幼い聖女 1
魔術の練習を欠かさずに続けていたある日のこと、いつものように庭に出て練習をしようと考えていると、聞きなれた幼い声が聞こえた。
「ヴァイス様ー!」
ユグドーラ大公爵家の令嬢、俺の乳兄妹であるレイナがおよそ全力であろう速度で走ってきた。
後一歩で届くというところでダイブされ、それをなんとか受け流しつつ受け止めて、恋愛アニメの如くクルクルと回る。一周半ほどしたところで威力を殺し、レイナを地面に下ろす。
この感覚も数日ぶりだな。
「おはよう、レイナ。飛び込んできたりしてどうしたんだ?」
「久しぶりで寂しかったからです! 駄目でした……?」
そう聞いてくるくせに、表情は笑顔だけで申し訳なさも不安さも微塵も窺えない。
「危ないから突然やるのは駄目だよ」
危ないものは危ないから駄目だと言うと、じゃあ突然じゃなければいいんだねと、再び俺の胸に飛び込んできた。今度はしっかりと正面から受け止める。
俺よりも一回り小さい彼女の頭を撫でると、嬉しそうにすり寄ってくる。なんだか周りの目が温かくなった気がするので、無視するのは止めて、ニコニコと笑いながらこちらに近づいてくる人物に話しかける。
「アリアもおはよう。だが、その視線は止めていただきたい……」
それを聞いたカリンが事実を消すかのように、ふいっと視線を逸らすが、言われた当人は初めから何事もないかのように動じない。
「視線……? 私は普通に見ているだけなのですが……」
いや、悪意もなければ自覚もなかっただけのようだ。
そんなアリアに対してカリンは溜め息を一つ吐いた。
カリンとアリア――同じく俺とレイナの世話係であった彼女たちは、これ以上ない程に対照的だ。
カリンは兎に角事務的で優秀だ。与えられた仕事を的確にこなし、するべき判断を素早く正確に行う。予想以上の状況になると弱いが、それは愛嬌だと思っている。結婚願望はなく、仕事で大成したいと思っているらしいが、貴族令嬢である以上それは中々に難しいのではなかろうか。
アリアは常にニコニコと笑っていて、周りに良い影響を与えるムードメーカーだ。仕事の面においても基本的には優秀であるといえるが、どうやらおっちょこちょいなようで、たまに皿や壺を割って怒られていた。しかし、他の人が気が付かないようなことに不意に気が付くという一面も持っている。彼女は結婚願望が強く、というよりも恋愛小説に憧れている印象が強い。
見た目の上でも橙髪橙眼のカリンと銀髪蒼眼のアリアは対照的で、そんな彼女たちが話しているのは、美人なのも合わさって非常に絵になる。
カリンがアリアに注意をしているのだが、アリアの耳に念仏だ。
不毛な戦いが続く中、俺は俺でレイナを撫でる機械と化していた。天使の輪が出来るほどに滑らかな銀髪は、飽きが来ないほどに触り心地が良い。しかしレイナのほうは飽きたのか、それとも満足したのか、俺の腕から抜けていった。少しだけ名残惜しい。
レイナと俺が戯れることを止めたのに気が付いたアリアが、カリンとの会話を止めて、不意に――本当に突然に――こんなことを言った。
「ところでヴァイス殿下は何をしようとしていたのですか?」
本来の目的をすっかり忘れていたことを、それでようやく自覚した。
『魔術教本』を開きながら、レイナに問いかける。
「俺は魔術の練習をするのだが、どうする?」
「魔術? 私もやる!」
レイナは当然とでも言いたげな様子で元気に返事をした。
先ずは俺が見本を兼ねて魔力球を使う。他の魔術は無理だが、魔力球を作るだけならば無詠唱でも出来るようになった。
「じゃあ、先ずは俺がやるぞ」
魔力球を作る場である右手に力を込めて、全身の魔力の流れを意識する。脈打つのに合わせて魔力の波が起き、魔力管から血管へリンパ管へと力が溢れる。それが手のひらに集約し、一気に体外に漏れ出る。
魔力を体外で安定させるようにイメージをすると、やはり形の定まらない魔力がぼんやりとした光を放って固定化された。
どうだとばかりにレイナを一瞥すると、彼女は凄いとはしゃぎつつ右手を突き出した。
「じゃあ、私もやるね。えっと、こうかな……えいっ!」
レイナは初めてであるのに、無詠唱のままに魔術を使おうとしていた。それでは無理だろうと呪文を教えようとしたその瞬間、レイナの右手のひらに魔力の塊が出現した。それは俺のものより弱々しかったが、しかし形の安定感は抜群だった。
ほわほわと漂う物体を理解するのに、レイナ以外は数秒を要した。
「おお、出来たー!」
「……マジで?」
「……初めてで、まさか」
「……凄いですね」
疑問に思う俺。
驚愕するカリン。
素直に感想を言うアリア。
皆反応は違ったが、感情は共通して「信じられない」であった。
レイナが褒めて欲しそうな表情をしていたので、三人がかりで撫で繰り回しながら、先程起きた事態を整理する。
結論として、俺は現実から逃げることにした。
「とりあえず、休憩しよう」
「「畏まりました」」
カリンとアリアの息が合う。
レイナはもっと続けたそうであったが、お菓子があるというと、すぐに休憩しようと我先に進んでいった。子供は甘味が好きだ。少なくともレイナは甘味が大好きであった。