これから少女はどうするか
クラネルトは比較的発展した街であると言えよう。軍事警察能力や、魔術科学両技術力は考えないで、純粋に経済能力だけで考えた場合の話である。
勿論、クラネルトではそれらが劣っているかといえばそうではないのだが、こういったものは否応なく才能あるものが多く集まる、王都や大公都には引き離されてしまう。
これをひっくり返せるファクターがあるとしたら、それは圧倒的な存在が生まれた場合のみであり、そう言った意味では、例えばユーベルヴェーク家は相当に大きなものを逃したといえよう。アネモネ一人で十人の秀才に勝るであろうから。
我がローラレンス王爵家としては、別に人材が不足していたわけでも無し、単純にハインツ兄様の相手が見つかってよかったなと、その程度のことであるが。
閑話休題。
クラネルトが豊かな理由は立地条件に他ならない。クラネルト男爵が無能ではないのは確かであるが、この場所なら特段有能でなくとも、発展させることが出来るだろう。
この場所は王爵領と大公爵領の間に当たり、似たような下級貴族領は他にもあるものの、上手いこと国道に沿えたのがこの領地であった。
そこで発展した産業は、中継貿易……ではなく、商人相手の宿屋や情報屋である。また、他の街よりも賭場や娼館が多い気がするが、荒れた印象はなく小奇麗にまとまっている。
金を持っている商人に、上手いこと金を落とさせることに成功しているのである。
さて、何故中継貿易地になりえなかったかというと、様々な要因があるのだが、圧倒的な上位互換が近くにあったというだけのことである。
「何と言っても、ローラレンス王国で二番目の大きさを誇り、最寄りに河川まで要する商人の街、ユグドーラ大公都は決して遠くないですからね」
この街では普通の、つまり「中の上」か「上の下」くらいのグレードの宿の食堂スペースで、机の俺に向かい合う位置に腰掛けたカリンが、真面目そうな表情と声音で言った。
あくまでも真面目そうなものである。ウォルフガングに貴族的なところは全部押し付けた俺達ではあるが、逆に暇に苛まれていた。
贅沢な悩みと思うかもしれないが、そもそも「忙しい」と「暇がない」は似て異なるものであるから、そう言った意味でここ数日は充実が不足していたのである。
そんなわけで、暇潰しとしてクラネルトについての経済考察を始めたところ、同じく暇を持て余していたカリンが乗ってきたという次第である。
レイナとフランツィスカはそれぞれの隣で聞き専となっているし、フリッツは隣の机で剣の手入れをしていた。気のせいでなければ、この宿に泊まり始めた日よりも、輝きが増している気がする。
ユグドーラ大公都というフレーズにはレイナが反応したので、少しばかり掘り下げることにする。
「ユグドーラ大公都は元々河川を有することに加え、国境にも接しているし、大領地故の余裕から税金も軽めだからな。経済活動の場としてあそこまで優れた場所も少ないだろう」
カリンは頷きを示す。
「逆に、このクラネルトは良い道のり、というだけですからね。衰退は暫く無いでしょうが、逆に栄達も無いでしょう」
「中継地としては諦めて、完全に商人相手に注力しているところは、賞賛に値できるところだろう」
「ええ、強みを逃がさなかったわけですからね」
俺も強く頷いた。
しかし、まあ、クラネルト男爵がするならともかく、俺達がここ経済考察なんてしたところで本当に暇潰しにしかならないのだけれども。
先が思いつかず、沈黙が数秒を支配して、馬鹿らしさに耐えきれずに笑いが零れた。
その笑いは、隣の席にまで波及した。
非合法奴隷商人から救い出した少女コリンナ・ラングハイムと、我らがシュヴァルツシルト閣下ことウォルフガングである。なんだかイイ感じだったのでイイ感じになるかなと思っていたのだが、そこまではいかずとも悪くはない感じの二人である。
ああいった目にあったにも拘らず、コリンナは柔らかい笑みを見せるようになっていた。視線の先は大体ウォルフガングであるが。
ウォルフガングの方は分からないが、少なくとも嫌いではなさそうなので、コリンナの方が一押しすればイケるのではなかろうか。
ウォルフガングは長男ではないし、既に嫁を貰い損ねた感じであるし、シュヴァルツシルト家の人達も反対はしないだろうよ。
そんな風に、皆で温かい視線を送っていた時に、扉は突然開いた。宿屋の玄関口を昼間にノックするものなどいるはずもないけれど、驚くことは驚く。
「憲兵団による調査が終わりました。調査結果を報告致しますので、コリンナ・ラングハイムさん、憲兵詰所に出所願います」
温まってきた空気であるが、それに一気に冷や水をかけられた。
憲兵の表情は優しいそれではなく、一仕事終えた後の引き締まったそれであった。
偏見かもしれないが、こういった時は優しい表情で来るものなので、なんとなく不吉な結果を連想させた。
そして、憲兵詰所でその予感は的中することになる。
クラネルトの憲兵長は、憮然とした表情で告げた。
「ラングハイム家は、違法な奴隷商人から金を受け取り、娘を売り払おうとしたことが判明した。平民であるから取りつぶしということはないが、かといって、その危険な家に被害者である貴女を帰すわけにはいきません。望めば家は貴女に返還いたしますが……」
それはコリンナにとって強い衝撃を与えたようで、俺からは後姿しか見えなかったが、彼女はふらふらとした足取りで倒れかけた。
斜め後ろにいたウォルフガングが彼女を受け止め、代わりに返答もする。――即ち、保留である。
頭の整理が簡単につく訳もなく、宿に戻ったコリンナは呆然としたままに虚空を見つめていた。
こういったことに対しては、俺の持つ権威も知識も一切役に立たないのであるから、如何ともしがたいものがある。
旅の日程などは無いが、かといって無制限という訳にもいかず、俺達もいつかは旅立たねばならないのがまた心苦しい。
「私の力は、身体にしか効果がないですから……」
レイナもそんな風に言って、僅かばかり暗い表情をしていた。人一倍優しい彼女であるから、色々思うところがあるのだろうが、同時に頭も良いので、何も出来ないことを完全に理解していた。
どうしようもなくなって、経済学では飽き足らず、宿の人に経営論を聞いて時間を潰そう、などとしだそうとしたとき、ウォルフガングが男を見せた。
暇に加えて暗い気持ちを晴らそうとしていた俺たちは、視線を彼に注目させた。
殆ど無表情だが、色々な葛藤があったのだろう。
そもそも、葛藤が無ければウォルフガングは悠然と護衛任務に注力するタイプだ。
彼はコリンナに優しく声をかけて、視線を交錯させると、真剣な表情で言った。
「帰りたいなら止めないが、王都に来るといい。とりあえずは、友人に一筆書こう。タダ飯食らいが嫌ならば侍女でもすればいい。俺は、やることがあるから――しかし、遅くとも一年後には絶対帰る」
コリンナは最初、分からないような表情をしていた。
そして、次第に言葉を理解していくと、今までの暗い表情が嘘のように明るい表情になって、しかしそれ以上の羞恥で赤く染まった。
僅かな陰りも残っていたが、それでもウォルフガングの光は強かった。
「はい。王都に、アーデムさんの下に」
コリンナは頷いた。
俺としてはそれでいいのかと思うところもあるが、本人たちが良いならばそれで良いのだろう。
手紙の送り先はシュヴァルツシルト家ではなくミハイルだ。
成る程、確かに彼ならば自分の家を持っているし、妻以外の女性に興味がないので適任である。
本来からして書類の専門家であるカリンが代筆して手紙を書き、それをコリンナに持たせた。
晩夏某日、俺達は意外なほどに長居したクラネルトを出発した。
同時に、コリンナも憲兵に守られつつ、王都に向けて出発した。
走り出した愛馬グナードの上で、カリンが彼女には珍しく悪戯っぽく笑った。
「そうそう、最後にちゃんと但し書きをしておきましたよ。『俺の女だから手を出すな』と」
ウォルフガングは顔を赤らめつつ顰めたが、嫌そうではなく、俺達は思わず笑ってしまった。
久しぶりの馬上の風が気持ちよかった。
マツカゼたちも力強く、より楽しそうに地面を蹴った。