三毛猫騒動 4
「マリーナ様……しかし、あれは」
「子供の頃読んだ本が癖になっているだけです。私のものは、上級魔術です」
尚も食い下がるリーセロットに、レイナは表情を無にしたままで応じる。下手に微笑みかけるのも良くないと判断したのだろう。
しかし、あまり不毛な問答はしたくないと思う。レイナはレイナなのだ。
そもそも、今はアロイスの依頼の途中である。あれだけ必至であったのだから、クロミアを見つけた今、早く彼に合わせてあげたいと思う。それに、クロミアを保護してくれていたリーセロットも、出来ることならば会わせたい。
彼女が事態をややこしくしたと解釈も出来るのだが、悪意はないようだし、クロミアが屋根の下で寝られたのは彼女のおかげだ。良い方に解釈するべきであろう。
腕を組んで早く考える方法を思案していた俺の感情を察したわけではないだろうが、フリッツの腕の中にいたクロミアが不意に飛び降りて、リーセロットに向けて鳴き声を上げた。
にゃー、なーう、と気の抜けるような鳴き声にしか聞こえなかったが、リーセロットには違ったようだ。彼女はクロミアのことを見ると、何回か頷いた。
「忘れていました。主さんのところに行かないといけないのですよね」
まるで会話をしているかのようであった。聞いてみると、なんとなくだが、意味を理解できるらしい。別に彼女が猫耳族だからといって三毛猫のクロミアと会話できた訳ではなく、獣人族ならば動物型の魔物とはある程度はイケるらしい。
じゃあ可哀想で肉を食べられないかというとそうではなく、動物とは会話できないらしい。
魔力管の有無からもわかる通り、この世界の人類は、動物よりも魔物に近いのだ。もっとも、単細胞生物から進化によって枝分かれしたのではなく、超常存在によって最初から生み出されたわけではあるが。
クロミアを俺達がギルドに運ぶだけではなく、リーセロットも来ないかと聞くと、彼女は「私で良ければ」と頷いた。
するとクロミアは察したようにリーセロットの腕の中に飛び乗った。やはり、僅かなりとも話せる相手の方がお好みらしい。
ともあれ、これで依頼は達成したも同然だ。アロイスの喜ぶ顔が浮かんでくる。別に美男美女ではないが、良いやつなので、そういう表情をしていて悪い気はしない。
クロミアのおかげでリーセロットのミリア教徒としての興味も、一時的かもしれないが、流れたようだし万々歳だ。
強いて言うならば、クロミアのことをモフモフ出来なかったレイナが少し残念そうな素振りを見せていた。俺としては忍びない。あとでなんとかモフるとしよう。
◆
この街は王都と違って鐘がないので正確な時間は分からないが、太陽の位置から考えるに、三時くらいであろうか。ローラレンス王国式に言い換えると、五の鐘と半分だ。
主催者は必死に、参加者は意気揚々と始まった大イベント、「アロイスの三毛猫クロミア探し」だが、どんなに探しても情報がないので、多くの者がギルドの休憩スペースで諦めたように突っ伏していた。
死屍累々、という言葉が浮かんだ。
そんな惨状であったから、俺たちがギルドに入ったときの熱狂は凄かった。
正確に言うと、クロミアを抱いたリーセロットが入ってきたとき、である。
熱狂といえども、称賛の声よりも、悔しがる声が多く大きい。
「あああああ! 俺の、豪華な夕飯が!」
「武器を新調しようかと考えていたのに!」
「久々に遊びに行こうかと思っていたのに、この様か!」
「うまい酒を飲みたかったなぁ……」
「アロイスの野郎に払わせたかったんだけどなぁ」
「あー、負けた! やってられねぇ」
「はいはい、黙ってベットした賭け金を寄越しな!」
「まあともあれ、やるじゃあないか」
「んなことよりアロイスはどこだよ」
「とりあえずはエグモントやホルガー、ヴェンデリンでも良い」
「全員狩りに出て行ったきりじゃあないか」
「時間が時間だ、依頼結果の確認のためにも、戻ってくるだろう?」
「俺の酒―!」
「うるせえよ、所詮ちょっと高いだけだろうが」
「銀階級の兄貴は言うことが違うねー!」
「賭けの参加者に対して支払いが少ないぞ、誰だ、逃げた奴は!」
思ったよりも混沌としたことになっている。しかも、よく聞くと、賭けまでされていたことが分かる。まさに冒険者ギルドといった感じだ。
実際は狩人や傭兵もいるのだが、本質的には似たような連中だ。狩人が少しだけ堅実かな、とは思うが、それでも場所を移動しないだけなのだ。
そのワイワイガヤガヤ騒がしい場所を、胸を張って抜けて、受付担当者にウォルフガングが話しかける。
「依頼を達成したと思うので、仮処理を頼む。探し物だと、本処理には、本人の確認が必要だったよな」
「はい、その通りです。依頼者様に分かるよう、仮処理済みで掲示しておきますね」
仮処理とは、「依頼達成の可能性あり」ということを依頼者に伝えるためのものだ。逆説的にいえば、仮処理がされていなければ、達成者が一切いないということになる。
達成の掲示をしてもらって、待つこと暫く、愉快だが五月蠅い冒険者たちと歓談しながら待つ。
レイナはこの時間にクロミアをモフモフすることが出来て満足そうであった。うん、この笑顔を見れただけで俺的には満足だ。
後は、アロイスが笑顔になってくれれば言うことなしなのだが、中々帰って来ない。
一部の冒険者が新たな賭けを始めた。アロイスは、泣くか、笑うか、それ以外のどれかというのである。
結局、アロイス達のパーティーが帰ってきたのは、空の一部が赤くなったころであった。今が夏であることを考えると、中々に遅い時間である。
扉が開いて、少し落ち込んだ顔の男たちが四人入ってきた。その中でも特に意気消沈している男は、掲示板を見て、「仮処理済み」の文字を見つけた。表情が僅かに明るくなったその時、彼に何かが飛び掛かった。
それは二本の尻尾を持つ三毛猫であった。クロミアだ。アロイスは相棒を受け止めて、泣きながら笑い、クロミアを抱きしめた。
濁った鳴き声が聞こえた。少し、苦しそうであった。
賭けの筒元は言った、「駄目だ、話にならねぇ!」と。
賭けの参加者は誰もが言った、「俺のが正解だな!」と。
俺の隣で橙色の髪をした女が言った、「愚かですね」と。
入ってきた四人組のうち、顎髭を蓄えた男が、俺たちの近くに来て言った、「違いない」と。
クロミアとの再開を充分に堪能したのか、依頼達成者である俺達が呼ばれた。
ギルド職員の下、確実に依頼は処理されて、報酬である銀貨五枚が渡される。アロイスの感謝の思いがこもっているようであった。
更に、クロミアがどこにいたのかを聞かれたので、リーセロットを呼んだ。
アロイスはリーセロットに頭を下げた。
更に、彼女が僅かではあるが三毛猫の言葉を分かるというので、翻訳してもらい、アロイスは一部歓喜し一部落ち込んだ。
やはり連れてきてよかったな、と思う。
そして、今回の報酬で騒ごうということになって、誰も反対はしなかった。言い出せないとかではなく、もともと俺たちにとってはイベントであるので積極的に賛成してくれた。
こうして、ガイエスでの最後の依頼は大団円で終わったのである。
酒に呑まれたリーセロットが、レイナの奇跡を思いださなかったので、全てが円満である。
「明日からはまた暫く頼むぞ」
宴会が終わった後、マツカゼに声をかけながらブラッシングをした。
名馬はぶるると鳴いて答えてくれた。
ここでの活動は楽しかったが、また明日からも楽しみである。