東国からの旅人 5
作戦はそこまでややこしいものではない。
まず、視覚と聴覚に察知されなくなる、護身術を使える、俺とカリンで人質を救出する。人質は女性であるので、男の武器を払い落とす等の不意打ちを俺が、人質を担ぎ上げて引くのをカリンが担当する。
次に、野次馬に紛れたミハイル達が切り込む。近衛兵もユグドーラ家の私兵も、練度は相当なものであるから、勢いだけで鎮圧出来るだろう。
たったこれだけだ。
作戦ともいえない、勢いだけのものかもしれないが、要点は押さえている。
「高い戦力」を以てして「不意打ち」するだけのことである。
野次馬を避けながら走る。
光学迷彩内の、不明瞭な視界で、人質と彼女を押さえる男を捉えた。
足腰に力を入れて、地面を深く蹴り込む。
一歩、二歩、三歩……腕を伸ばす。
刃物は怖いし、痛いのも嫌だが、後で完治することが約束されているから、それほどの恐怖はなかった。
内側に手を差し入れ、肩を重点的に身体強化を施す。武器を持つ手を、思いっきり払いのけた。
「なっ!?」
男の手から凶器が飛んだ。
それはクルクルと回りながら、近くの民家の、二階の壁へと突き刺さった。
とはいえ、まだ人質は解放されていない。
力づくであれば負けるだろうし、思いっきり突き飛ばしたりすれば、人質も巻き込まれることだろう。
だから、魔術を行使した。初級火属性魔術で、男の背中に火をつける。かちかち山といったところだ。
「熱――ッ!?」
「きゃっ!?」
男の手が緩んだのはごく短時間であったが、カリンにはその時間で充分だったらしい。
人質の少女の体制が崩れ、何者かに抱き寄せられ、抱き上げられた。宙に浮いているようにも見える。
後は早かった。
野次馬の中から、両手剣を持った男が一人と、片手半剣持った男が四人、犯人たちに躍りかかった。
計算通りなら、一人当たりが一人を倒すのが妥当であるが、一人だけ戦力が違った。
ミハイルがツヴァイヘンダーの腹で一人の男を薙ぎ払う。
刃ではないから、当然運動エネルギーは打撃として伝わり、対象物を吹き飛ばした。
吹き飛ばされた男は、更に一人の男を巻き込んで地に伏した。
相当なエネルギーであったのだろう、死んでこそいないが、二人とも気絶している。
武器を持っているのは後二人。
それらは、近衛兵の二人と、ユグドーラ家の私兵の二人が、それぞれ連携して無力化した。
ある一方が正面から戦い、もう一人が横から正確に、剣を持つ右手に負傷を負わせたのである。
そして、余計なことをされないように取り押さえた。
最後の一人は既に素手であり、一番近くにいたのは俺である。
今世の十歳の肉体は、身体強化さえすれば、現段階でも前世の二十歳の数倍は強かった。
本当ならば、ここでミハイルに任せても良かったのだが、ちょっとばかり魔が差した。日本食がかかっていて、気も立っていた。
思いっきり左足を踏み込み、目の前の男の服を掴んで思いっきり、彼から見て右下へ引っ張る。
体制が崩れた相手の右足を払う。技術なんてあったものではない、力任せで不意打ちの大外刈。
日本人なら、特に男子なら、中学高校の体育で高確率に習う柔道のアレである。
俺のは所詮体育レベルではあるが、完全に力任せに殴り倒すよりは容易であり、ましてや姿を消して身体強化をしているのだから、相手はあっさりと背中を地面に打ち付けた。
間髪入れずにミハイルが来て、倒れた相手を取り押さえる。
全ての敵が完全に無力化したのを確認して、光学迷彩と遮音の魔術を解除して、姿を現した。
ほぼ同じタイミングで、視界の端で、カリンも姿を現していた。何気に人質をお姫様抱っこで担いでいて、彼女ではなく彼であったなら、アリアの読むような小説ではラブロマンスが始まるところである。なお、現実は無情だ。
俺は倒れる犯人たちに、眼を細めつつ視線を向けた。
言いたいこともあるが、まさかこの場で私情を声に出すわけにもいかず、しかし声を出さないのもなんとなく癪だった。結果として、公的に問題はなく、かつ本音でもあることを声に出した。
折角だから、少々カッコつけつつ。
「これが、これが俺の貴族の義務だ! 俺は全知でも全能でも天才でも、ましてや善人でもないが、国内の手の届く範囲で悪事を許すわけにはいかない!」
人はそれを偽善と呼ぶのだが、俺のは偽善ですらないかもしれない。
悪事を許したくないのは本音だが、今回の行動理由の大半は、私的な幸福の為であったのだから。
それでも、俺の内面を良く知るもの以外には、英雄たちのリーダーに映ったようだ。
加えて、俺と付き人達は王都では有名人なのである。高い頻度で出歩いているため、顔も良く知られている。
歓声が上がり、俺の名が叫ばれる。
「ヴァイス殿下、万歳!」
カッコつけすぎたと思った。
半分は自分の為にやったことであって、万歳を叫ばれることではないのだ。
雰囲気で手を振りつつも、申し訳ない気持ちが沸き上がってくる。
褒められるのは悪い気分ではないが、俺の内面を評価に加味されているとしたら、勘違いも良いところなのだ。勘違いするようなことを言ったのは俺だけれども。
「強盗は! 人質を取っての強盗犯は! む……、殿下、何故こんなところに居られるのですか?」
少しして駆け付けた憲兵団の、その先頭にいた炎髪の少佐に、色々な意味で苦笑された。
◆
「私たちの荷物を取り戻していただいて、ありがとうございます、殿下。早速になりますが、こちらがその商品です」
宿に入った俺たちはハツネ達の部屋で商談を始めた。
モトナリとハルヒコが持ってきた商品を、ハツネが微笑みながら俺に差し出す。
壺が二つと藁と箱。俺にとっては嗅ぎ慣れた独特のにおいがして、しかし、他の皆は顔をしかめた。
量が多くて複数の臭いなので、心地が良いものではないが、それ以上の感情が上回った。
壺は味噌と醤油。
藁は納豆。
箱は……匂いもしないし、腐らないものというと、煎り豆とかになるだろうか。
「臭いです……ヴァイス様、ハツネさん、これは何なのですか?」
俺の隣に座るレイナが、不快感を顕わにした。
女官や護衛も、小さく頷いて意思を示している。
「豆を発酵――微生物という極小の生物の力によって食べても害のない腐らせ方を――させた食べ物や調味料だよ」
ハツネに視線を投げると、順に説明してくれた。
「殿下の仰る通りです。
こちらの壺に入った液体が、サイユという調味料です。
もう一つの壺のペーストが、ミケイという調味料です。
こちらの藁に包まれたものが、ネンコウという食品です。
そして、こちらの箱に入ったものが、それらの材料である豆を煎ったものです」
サイユは醤油、ミケイは味噌、ネンコウは納豆、最後の豆は煎り豆といったところである。
欲しかったものが両方ともあって、ついでに納豆と煎り豆だ。満足以上の結果と言えるだろう。
出来ることならば豆腐とかも欲しかったが、発酵食品ではないから、消費期限を考えれば仕方がない。
俺はそれらを全て買い上げた。
同時に、来年以降も買えるように、ハツネとカールに頼み込んだ。
匂いのせいで、何故こんなものを欲しがるのかと不思議がられたが、その美味しさは後日証明するとしよう。量が多いから臭いのだ、適量ならば良い匂いである。
商談が終わり、少々の雑談を交えた後、ハツネ達とは分かれた。
彼らは旅商人であるので、そろそろ王都からは離れるとのことだが、また来年には会えるだろう。
王城に戻って、夕食の時間、戦ったことを褒められた。正直な所、怒られるかもしれないと思っていたのだが、そんなことは全くなかった。
なんといっても、三歳の時に誘拐された俺である。危ないことをしたら怒られるものではないか。
そんな風に思っていたのだが、アルトリウス曰く、「受動的に事件に巻き込まれるならば問題だが、能動的に事件を解決するならば良いことだ」とのことだ。
英雄家の名に相応しい考え方だと思う。
子供でも、やれる力があるならば、動くべきだということだ。
昔の、三歳の時の俺は無力だったが、今は知識と魔力を総動員すれば大人にも勝てるのだ。
だったら、これで良いのだろう。
自衛と、あとはレイナ一人を守れば充分であったが、役に立つならば越したことはない。
近いうちに弟妹も生まれることだし、強くありたいものだ。
目下の目標は、自分の強さよりも、日本食の美味しさだけれども。