東国からの旅人 4
味噌と醤油なくして、日本食は成り立たない。
いや、その原料の大豆なくして、日本食は成り立たないだろう。
豆腐、納豆を初めとして、おからや油揚げ、枝豆、豆乳……本当に万能な食材だ。
その中でも、やはり「調味料」である味噌と醤油は大切だ。
頭の中を様々な料理が駆け巡る。
それは昼食よりも朝食に近い時間にして、お腹を空かせるに充分なものであったが、それ以上に思考の回廊に落ち込んでいた。
視覚に神経が繋がったとき、目の前にエメラルドの瞳が瞬いていた。
「ヴァイス様?」
宝石の持ち主は、不思議そうな表情で俺の名を呼んだ。
それによって、意識が急速に前世から今世に戻される。今は料理に思いはせるときではなく、その材料を確保するときではないか。
味噌汁の一杯でも飲めれば十分以上であるはずだ。
「ごめん、考え事をしていた。……それで、ハツネ殿、それらのものはどこに?」
レイナに軽く笑みを見せ、正面に向き直ってハツネに問いかける。
俺が思考に沈んていた時間は意外と長かったのか、ハツネが苦笑しつつ答える。
「宿に置いてあります。大通りではありませんが、縦の通りに面した、標準クラスの宿です」
ハツネが今も持っているものだと思っていた俺は少し落胆したが、よく考えれば、ここはカールの店であるケスラー商会だ。
そして、ハツネはと言えば、世界の裏側からやってきた商人だ。地球に例えるならば、シルクロードを踏破しているわけだ。
それだけの距離を歩いて利益を得るためには、荷物の量も相当だろう。
荷物だけではなく、人数も他にもいるのではないだろうか。いくら何でも、一人でここまで来たというのは、現実感がなさすぎる。
ともあれ、行ってみなければ始まらない。
俺が立ち上がると、他の人も察したように立ち上がって姿勢をただす。
ハツネを見て、次にカールを見て、もう一度視線をハツネに戻して声を発する。
「今すぐに見ることは出来るだろうか?」
「もちろん可能です。カール殿は……」
「殿下とハツネ殿がよろしければ、ついていきましょう。ハクのようなこともあるでしょうから」
俺が頷くと、ハツネも頷いた。
「では、全員で行くことにしましょう。皆様の街で、外国人の私が案内するのも不思議な気分ですが」
カールが商会の店員に、出掛けることを告げた。
外に出ると、店に入ったときよりも人通りが増えていて、慣れ親しんだ喧噪が耳に入ってくる。
五月蠅くも思うが、それ以上に、活気に溢れていて心地良い。
ハツネが一声かけて、先頭を歩きだした。
確かに、慣れた道を案内されるというのも、なんとなく変な気分だった。
◆
ケスラー商会があるのは、南大通りの商人街の最も中央よりの地域である。
対して、ハツネが泊まっている宿は、東よりの縦糸の一角にある。二等地といったところだ。王都という時点で、全てが一等地かもしれないけれど、王都内での話である。
移動すれば徐々に、人通りは少なくなるはずである。
つまり、騒めきは小さくなっていくはずだ。
にもかかわらず、雑踏は大きくなる一方だ。
「事件でもあったか?」
声に出して呟いたのは、誰とも知れなかったが、そうであろうと思わざるを得ない。治安の悪い時期も過ぎ去り、平和な時期に入って暫くたっているため、そうそう事件も起きないだろうと楽観視していたらこれである。
しかも、俺が出掛けた日にである。王城にいる時ならば、憲兵団が解決して、その噂が耳に入ってくるだけで済むのである。
運命の悪戯を感じずにはいられない。運命論というのは理論的ではなく、好ましい論法とはいえないのだが、善悪好悪問わずに運命を感じる時というのはあるものだ。
何故、ワクワクして欲しいものを手に入れようとするときに、そこで事件が起きるというのか。
外国人であるハツネは、違和感を感じていなかったようだが、その呟きを聞いて、ハッとしたように足を速めた。地元民の言葉を聞いて焦ったのか、その言葉が今までの経験と一致して、事件の可能性を把握したのかは分からない。
身長の問題で一番足の遅いレイナに視線を投げると、聡明な光を瞳に浮かべ、小さな首肯で以て返された。
俺も首肯で返し、足を速める。最初と比べて数割増しではあるが。
「まさかとは思ったが……」
二ブロックほど歩き、ハツネが足を止めた。
零れた呟きは、つまり被害にあっているもののどれかが、ハツネに関係があるのだろう。
状況を確認してみる。
場所はとある宿の前。
五人組の男たちがいて、彼らは全員武器を持っている。うち四人は何かが入った袋を持っている。残りの一人は、人質にとったと思われる少女の首元に武器を突き付けていた。
何ともまあ、ここまで分かりやすい悪者が、治安の良さで定評のある王都に湧いたものである。
相対するように、二人の天翼族の男性が立っていた。
日本刀のような武器を構えてはいるものの、人質が居るために、犯人の要求に従い、ジワジワと後退するしかないようである。
野次馬が周囲を緩く囲んでいるが、王都外へ向けての一線だけは道が開けられていた。
深呼吸を三回ほどしたハツネが、俺というよりは、護衛達に聞かせるように、分かる限りの説明を端的な言葉で始めた。
「天翼族の二人は私の仲間、黒髪がモトナリ、金髪がハルヒコ。袋に入っている物は、おそらく、私たちの商品と金貨。あの少女は、宿の娘さんで、おそらく、巻き込まれただけ。人間族の五人は、私たちを追っていた山賊。……わかることは以上です」
「落ち着いているし、分かりやすい。場慣れしているな」
ウォルフガングが賞賛の言葉を送る。
「大金を扱う旅商人ですから」
ハツネはサラリとした口調で返した。
詳しい説明は後に聞くとして、分かりやすい悪者が、普通に悪者だということは分かった。
そして、このタイミングでハツネの商品に手をかけるということは、俺個人にとっても敵だということが分かった。
更に言うならば、王爵家たる俺の前で、国家の善良な臣民を害していることも理解した。
倒そう。
シンプルで明快な答えであった。
そのためにはまず、人質を解放する必要があるが、そのために丁度良い技術を、俺を含めて二人の人間が使えるのだ。二人で接近し、一人が人質押さえている男を倒し、もう一人が人質を助ければいいのだ。
人質さえ救出してしまえば、後はこちらのものだ。
「黒刃」ミハイルを初め、雄兵ぞろいである。すぐに鎮圧出来るであろう。
「俺に良い作戦がある」
俺の話を聞いた皆は、戦闘職でないどころか、護衛対象が先陣を切ることに難色を示したが、結局のところは折れた。
目の前の人命を救うために、最も確率の高い方法であったことが一つ。もう一つが、この場にはレイナがいるため、例え大怪我をしても、脳死以外では助かるからであった。
一人だけ難色を示さなかった者がいる。
夕日の色をした髪と眼を持つ女官は、ある意味ではレイナ以上に俺を信用してくれていて、同時に自分自身の実力にも自信があるのだろう。
彼女は作戦案を聞くと、可能です、とだけ言った。
「ミハイル達は攻めろ。ウォルフガングはレイナ達を守ってくれ。――じゃあ、始めるぞ!」
ミハイル達さりげなく野次馬に混ざっていくのを見届けて、俺とカリンは姿を消し、地面を蹴った。