東国からの旅人 1
特筆すべき事件も起こらず、アネモネが相談に来てから一ヶ月が過ぎた。
あの日から彼女の姿を見かけることが減ったのだが、ハインツ兄様たちは俺達と比べると少々ドライなので、冷静にアネモネの動向を分析していた。
『魔道具を創っているんだよね? 二日に一度はあっているから寂しくはないし、僕は専門家じゃあないから、手を出すわけにもいかないから』
涼やかな笑顔は言葉の信憑性を高めていた。
お互いに依存している、俺たちの方が特殊なのは重々承知なので、とやかく言うつもりも必要もない。
ところで四英雄家の十四歳の習慣については、レイナは既に知るところであった。
俺が言うべきか言わざるべきか迷っていると、しれっとカリンが話題を振り、レイナもさも当然というように答えたのである。
『ヴァイス様が嫌でなければ、一緒に行きたいと考えています』
思っていた通りの返答に、しかし急であったから少々焦り、結局は嫌な要素が一つもないので首肯を示しすことにした。
光が差すような笑顔が返ってきて、少しばかり胸が高鳴ったものである。
既に過ぎた話はこれくらいにしよう。今、俺は歓喜に震えていた。
◆
今日は街に出かける日であった。
特にやることがあったわけではなく、何となく街に行きたいと思っていたので、予め出掛ける予定にしていた日である。
門の前でレイナと合流して、いつも通り街へ繰り出した。
収穫祭から一ヶ月と少し経過した今の時期は、最も流通が盛んな時期で、街も活気にあふれていた。
行商人や旅人も多く、なんとなく異国情緒を感じることもあるのは、この国が広く文化も様々であるからだろう。
長袖のシャツと長いズボンかスカートの、ツーピースの一般的な服が多いが、中には「豪華な貫頭衣」とでも呼ぶべきものや、日本的な狩衣のような服を着た者もいた。この辺りになると、流石に本来の意味で異国のものであろう。
種族も雑多で、人間族に限らず、天翼族や妖精族や龍鱗族もみられた。
獣人族は見られないけれど、こればっかりは仕方がない。秋ということは、半年後が春だからね、地元にいなければ負け組だ。
そんな感じで、いつもよりも賑やかな王都を、俺たちは楽しんだ。
露天に出ている食べ物も、他の時期より新鮮で美味しかった。
そして、ある程度の時間ぶらぶらして、俺はいつもの通りに、行きつけの商店であるケスラー商会を訪れた。
『ようこそお越しくださいました。珍しいものが手に入ったのですが、見て行かれますか?』
商会長のカール・ケスラーが、にこやかな商人スマイルと、少しだけ自信ありげな姿勢で、そんな風に言ってきた。
珍しいものと言われれば当然気になるので、俺はレイナと視線を交わして、カールに対して頷きを返した。
『是非、見せてくれ』
『畏まりました。こちらです』
店の奥に案内されたので、ミハイルとウォルフガングが先に入った。
次に俺とレイナが入り、続いてカリンとフランツィスカの女官二人が入った。
他の護衛達は、スペースの問題で、表で待機である。
ミハイルとウォルフガングの間から、その奥にあるものを見た俺は、期待感を高めた。
そこにあったのは、「俵」だ。
俵といえば、一俵、二俵なんて数え方もあるくらいで、中には米が詰まっていると相場が決まっている。
カールは俵とは別のところから、小さなきんちゃく袋を取り出して、その中身を木製の皿の上に出した。
それは輝くような白ではなかったし、ましてや炊きあげられた銀シャリでもないが、良く見たシルエットであった。
小さいラグビーボールのようなそれは、「玄米」と呼ばれるものではなかったか。しかも、短粒種のだ。
「ハク、と呼ばれるものでございます。少なくとも、これを持ってきた行商人はそう呼んでいました」
カールがそんな風に説明してくれるのに被せるように、俺は歓喜の叫びを上げた。
「米だ――米じゃないか!」
完全に日本語で言ったそれを、理解できたものはいないだろう。レイナだって「米」はわからないから、例外ではない。
隣と後ろで体をビクつかせた者がいて、前にいた三人は驚いたように視線を向けた。
嗚呼、失敗した、と思ったが、欲していたものを見つけた喜びには敵わない。表面上は取り繕いながら、ワクワクしてカールに問いかける。
「すまない、それが探していたものに類似していてな……。
して、カール殿、詳しい説明を聞いても良いか?」
「は、はあ……それは構いません。順に説明いたしますね」
カールは驚いた表情を直ぐにしまい込み、ハクについての説明を始めた。
聞く限り、それは俺が知る米と同じであった。
厳密には違うのだろうが、人間だってこちらと地球では魔力管の差があるのだから、日本語訳においては「米」で問題ないだろう。
――パンなどに加工せず、煮るだけで食べることが出来る穀物で、小麦と比べると甘みが多い。
「甘いのですか? 食べてみたいです」
甘いと聞くと、レイナが興味を示す。
カールは、鐘の半分ほどの時間があれば、特別に試食を作ることも出来ると言っていたが、俺はそれを謝絶して、試食は要らないからあるだけ欲しいといった。
もしも、これが想像と違ったらガッカリするだろうが、逆にこれが米であったならばあるだけ確保しないと確実に後悔するだろう。
「ヴァイス様、全部買うのですか?」
「殿下、確かにお金や置き場所には問題がないですが、あまり無計画に買うのは褒められませんよ」
「私としては、貴重なものだからこそ、一人に売るのは喜ばしいですが、本当によろしいのですか?」
順に、レイナ、カリン、カールの問いかけであったが、この件に関しては俺は頑なになる。
流石に国外から運ばれてきたものだけあって、相当な値段であったので、現金をこの場で渡すのではなく、書類をしたためた。
書類の形式と俺のサインが有効であることを確認して、カールは商人的な笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。これからもご贔屓に願います」
俺は首肯を返しつつ、護衛の一人に米俵を積むための馬車を取ってきてもらう。
また、カリンに頼んで、買掛金の値段を記録しておいてもらう。後日、丁度の金額で渡すためである。
そして、最後にカールにもう一つ問いかける。
「そのハクを運んできたという、国外の行商人とは連絡が取れるか? 少し話を聞いてみたいのだが」
「暫くは仕入れの為にも、王都に滞在すると言っていましたから、可能でしょう。連絡が付いたら報告致しますので、後日で大丈夫でしょうか?」
「構わない。頼む」
仲介料としていくらかの銀貨を握らせると、カールは頼もしい笑みを返してきた。
「……予定を少々調整する必要がありそうですね」
俺の真後ろに立ったカリンが、俺と、彼女の隣に居るフランツィスカにだけ聞こえるような声量で、そんな風に呟いた。
少々申し訳なくも思わなくもないが、生憎と、米に関しては譲れないものがあるのだ。
日本人の魂ともいえるそれを、体は変われども魂に染み付いたそれを、手に入れる手段は確立して然るべきであろう。