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アネモネの相談、ヴァイスの知恵

 護身術なんて考えたものの、結局使う機会もないまま、近隣の村で収穫祭が開かれ、王都にも物資が増えてきた。

 もっとも、国の最上部であり、しかし政治にも経済にも軍事にも関わっていない、俺には実感がないわけだが、それでも収穫祭の情報は入ってくるし、物の数は市場の相場を見れば分かるものだ。穀物と一部の野菜や果物の値段が、明らかに下がっている。

 経済の徒としては、相場ぐらい知っておかないとな。まあ、転生してから活かせたものは、畑違いの科学知識ばかりで、未だに経済学はまともに使えていないけどさ。


 ともあれ、平和なことは良いことだ。

 真の平和なんて存在しないと、歴史家や哲学者は言うけれど、たとえ次の戦争への準備期間だとしても、それが長続きするなら越したことはないだろう。この国には日本みたいに酷い花粉症もないし、俺の心象は平和そのものなのだから。

 季節は秋の中頃。新しい小麦で作られたパンはやはり美味しい。米と比べると違いが分かり難いけれどね。


 ……余計なことを考えたら米が食いたくなってきたぞ。

 ヤバいな、強い未練のない日本が、異様に懐かしい。違うか、米が懐かしいんだ。

 シルフィア大陸の東方にある、天翼族の国は伝聞を俺なりに解釈した結果、日本と中国を混ぜたような感じらしいが、果たして米はあるだろうか。


 そんな風に、米を夢想しながら、読書の秋とばかりに本を読んでいた時だ。

 部屋の扉がノックされた。多分レイナだろうと思いつつ、カリンに扉を開けるように頼むと、入ってきたのはアネモネだった。

 白髪赤眼の強烈な印象に加え、スカートでなければ男性のものに間違うような白い礼装。勝気そうな瞳には知性の光を灯しながら、柔らかそうな唇を少しばかり情けなさそうに歪めた。


「ヴァイス殿下。知恵を貸してくださらないかしら?」


 いつもよりも丁寧な口調で、彼女はそう言った。

 見れば、彼女の後ろにいる黒髪黒目の女官の手には、紙束と筆記具があった。







「離れた場所にいても連絡が取れる魔道具を創りたいの。……フロイライン、紙を」


「畏まりました」


 フロイライン・エーディト・フォン・バルシュミーデは、ロマーナ大公爵領の三等女官である。

 元々は王国勤めの女官ではなく、大公爵家が雇っていた侍女で、騎士爵令嬢である。

 身分は低いがロマーナ大公爵からの信頼があり、立場が分かり難いアネモネの女官として、適当であるとして女官に抜擢(ばってき)されたらしい。


 彼女が差し出した紙をカリンが受け取り、更にカリンが俺に手渡す。

 読んでみると、複雑な図形と、細かいが綺麗な文字が書き込まれていた。

 文字を読んだ結果、アネモネがやりたいことは分かったが、魔術陣の方はさっぱりだ。それが詠唱とイメージの代わりになるものであるのは理解できるのだが、学んでいないために理解できない。


「やりたいことは分かったが、俺は魔術陣はさっぱりだぞ。

 しかし、何でこんな魔術具を創りたいんだ? そりゃあ、あれば便利だろうが……」


「魔術に関しては、ロマーナの本領よ。貴方の発想力が欲しいの。

 なんでって、その……ハインツ様と話す為よ」


 普段の勝気な態度とは違う、どことなく柔らかな、恥ずかしそうな表情でアネモネはそう言った。今日は珍しい表情が多くて、なんとなく新鮮だ。

 それはともかくとして、ハインツ兄様は王城にいるのに、何故話すために魔術具が必要なのだろうか。疑問に思って問いかけると、アネモネは良く見る表情になり、溜め息を吐いた。


「四英雄家の男子全員と希望する女子は、14歳から一年間、身分を隠して国を旅するのよ。知らないとは思わなかったわ。――カリン様、貴女の教えることではないのですか?」


「王爵家では、13歳で教えることになっているのです。覚悟には一年あれば充分、それまでは王爵家の子弟としての教育や、自分の好きなことに集中できるように、と」


 アネモネはハインツ兄様の婚約者といえども、カリンよりも家の格が下なので、彼女に対しては丁寧に話す。しかし、今回は僅かに棘があった。

 とはいえ、カリンは冷静にあしらい、アネモネもその返答に納得した。

 何故この場で当事者なのは俺だけなのに、俺以外は知っているのか。もしかして、この国では有名なことなのだろうか。


「ここまで言われたからには、隠していても仕方がないですし、殿下に関してはイレギュラーが多いですから、詳しく説明いたしますね」


 疑問を口に出すよりも前に、カリンが説明をしてくれた。

 (まと)めるとこんな感じだ。


 そもそもの始まりは、初代王および初代大公が、冒険者であったことに由来する。

 彼らの統治は非常に素晴らしいもので、それは彼らに素質があったのは勿論のことだが、それとは別に、平民としての暮らしを知っていたからだと、本人たちが語ったのである。

 それを聞いた二代目達は、冒険者として登録して、国中を見て回ったのである。これが始まりだ。


 それ以来、体が虚弱な者を除いて、四英雄家の全ての男子と、およそ半数の女子が、冒険者としての地位で国を見て回った。

 比較対象が無いから検証は難しいが、これがローラレンス王国が長きに渡って「良い国」である理由の一つであることは確かである。

 同時に、四英雄家の者が貴族的な感性を持ちつつも、平民のような軽いノリであることが多い理由でもあると考えられている。


 四英雄家の者は、初代の偉業を継承するべく、冒険者として国を回るのだ。優秀な護衛をパーティーメンバーとするため危険は少ないし、僅かの危険ならば冒すだけの価値があるのである。

 この情報は、以下の非常に限られた者にのみ共有されている。


 ・四英雄家の者

 ・五位以上の家の当主

 ・各大臣

 ・四英雄家の子供の専属女官と専属護衛

 ・四英雄家の子供の婚約者、およびその専属女官と専属護衛


 つまり、ここにいる者は皆知る権利がある、マイノリティーであったのである。

 まあ、薄々感づいている者もいるのだが、それは一部の勘のいい貴族だけであり、平民の生活を同じ目線で見るという目的に問題はないわけである。

 ともあれ、俺も関係あることととはいえ、それは数年先なので、一先ず置いておくことにしよう。


 ハインツ兄様は今、13歳であり、アネモネの言いたいことも理解できたのである。

 俺ならばレイナと同い年だし、彼女も恐らく一緒に行きたいというであろうから、それで良いのだが、アネモネは違うのだ。年齢も家格も。


「分かった。協力しよう、俺に出来ることだけだが」


 そういうと、アネモネは涼やかに笑顔を見せた。


「そう言ってくれると思ったわ。大丈夫、充分よ」


 アネモネは一呼吸入れると、考えているものの概要を話し始めた。


「遠くにいる人と、同じタイミングでコミュニケーションがとれるものが好ましいの。それは文字でも声でも構わないけれど、手紙のような不確実で時間のかかるものでは意味がないわ」


 となると、思いつくのは電話とインターネット・メールだ。

 魔術でこれを再現できるかというと、中々に難しいような気もするが、そこはアネモネが考える領域だ。


「俺が思いつくのは大きく分けて二つ。声を遠くに届けるものと、文字を遠くに届けるものだ」


「まさか、両方とも直ぐに思いつくなんて思わなかったわ……。では、『神童』のアイデアを聞かせて頂けるかしら?」


 アネモネは僅かに驚いたように言った。

 その隣にいるフロイラインは、それ以上の驚きを表情に浮かべていた。


「まず、声を届ける方法だ。

 声……いや、音というものは、そもそも空気の振動だ。これは前の護身術の際に言ったと思う」


「そうね、その理論は既に理解しているわ」


「しかし、空気中では音が拡散してしまい、音量は小さくなってしまうため、大した距離に届かない。だから、何らかの方法で、魔道具から魔道具に振動を送れば音は伝わるんだ。

 一つ目が、魔道具同士を同期させる方法。つまり、魔術によって結び付けられた二つのものが同じ動きをするってことだ。

 二つ目が、発信側の魔道具で空気の振動を他のものに伝え、それを受信側の魔道具で空気の振動に戻せば良いんだ」


 アネモネは少し考えて言った。


「後者ならば、魔力を媒介にすれば比較的簡単に出来ると思うわ。繋がっている地脈――大地の魔力の奔流――にいなければ伝えられないし、魔道具が三つ以上になったときには、不具合が出てしまう可能性が高いけれど、私とハインツ様の二人で使う今ならばそれで充分」


 真剣さと、嬉しさが混じったような、そんな声だった。

 アネモネはその勢いのままに、今すぐ研究を始めると言い、立ち上がった。

 俺はまだ半分しか話していないのだが、元々あちらが聞きたがっていただけだし、またの機会で良いだろう。遮られただけならば不快であっただろうが、嬉しそうにしているので悪い気はしない。


「ありがとう、ヴァイス殿下。悔しいけれど、発想力では敵わないわね」


 そう言い残して、彼女は俺の部屋から出て行った。

 役に立ったのならば何よりだが、俺のアイデアを聞いた時間よりも、俺に王爵家の習慣の説明をした時間の方が長くて申し訳ない。まあ、俺の発想はこの世界には無いものだし、等価交換といえばそうなのかもしれないが。

 自分で考え出したものでないことは、後ろめたい限りだが、まさか転生者だなんて言えないしな。運命の悪戯による、役得ということで許してもらいたい。


「殿下、折角ですから、アイデアを書き留めたら如何でしょうか? まだ話してすらいないものもあるのでしょう?」


 ふと、有能な女官がそう言った。

 振り返ればカリンは既に手に紙とペンを持っていて、もういつでも書ける状態であった。

 俺が肯きを返し、メールのアイデアと、アナログとデジタルの違いを説明すると、カリンがそれを文字におこしてくれた。

 別に自分でも出来なくはないのだが、カリンが書いた方が早くて綺麗なのである。


 こっちの世界で十歳ともなれば、前世の記憶も若干薄くなってきているのだ。別にボケているわけじゃあないが、そもそも人間の記憶というのは、結構なペースで消えていってしまうのである。

 若いころに蓄えた知識記憶は、そう簡単に消えることは無いが、念を押して書き残すことは大切だろう。二度と得ることの出来ない、貴重な財産なのだから。


 俺の部屋には紙の束がある。

 多分だけど、宝の山だ。

 そもそもからして羊皮紙が高級品なのだが、それは置いておいて、とんでもない知識の塊なのだから。


 最初は自分で勝手に書いていて、あるとき不覚にもカリンに見つかってからは、二人でこれを書いている。まだ子供である俺ならばともかく、一等女官であるカリンが意見具申すれば、王国の政治や経済の一つや二つ変わりそうなものだが、そんな話も聞かない。

 カリンに聞いてみたことがある。「俺の知識を使っての名誉に興味はないのか」と。

 カリンは答えた。「そんなものに名誉はありません。既に女性の最高地位ですし、歴史に残りたいとは思いません」と。


 カリンは信頼できる。

 幼いころから世話になったことによる、身内贔屓かもしれないけれど、少なくとも俺には信用できる。

 俺が生活を共にするならばレイナを選ぶが、仕事を共にするならばカリンが一番良いだろう。


 先程のアイデアを書いた紙を書棚にしまった時、また扉がノックされた。

 今度こそレイナだろうと思って開けてもらうと、それは当たっていた。

 銀髪と碧眼(へきがん)に光を躍らせ、聖女様は無邪気に微笑む。


「おはようございます、ヴァイス様」


「ああ、おはよう、レイナ。どうぞ入って」


 様々な思考をして疲れたため、レイナの笑顔は心地好い糖分であった。

 名前の綴りの追加、三章の新登場人物の追加など、設定集の方を大幅に更新しましたので、よろしければ下記リンクよりそちらもご覧くださいませ。

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