憲兵隊は忙しい
誕生日から半月ほど経った。レイナはプレゼントしたバレッタをリボン代わりに使ったり、単に髪飾りとして使ったりと、色々な使い方をしてくれている。
年齢の割に綺麗さが先行していたレイナに、可愛さが増してとても良い。
といっても、大人が付けても違和感がないデザインなので、本来の良さも失われていないのだ。自分自身もだが、カールのセンスの良さが凄いと思う。本当に優秀な商人だ。
バレッタといえば、昔、初めての外出の際にプレゼントしたバレッタを、カリンは未だに付けてくれている。
俺の前だから気を使っているのかとも思ったが、そういうわけでも無いらしく、いつも何気なく付けているらしい。気に入ってくれたならば何よりだ。彼女は服装に無頓着なようでいて、無意識の拘りが強い、とはアリアの談だったか。実はオシャレさんらしい。
レイナのバレッタの付け方は、明らかにカリンを参考に付けられている。今、レイナの世話係を担当しているのが、女官であると同時にカリンの侍女でもある、フランツィスカだから納得だ。
だらだらと語ったが、ようは婚約者が可愛いので俺は満足だ。
今日も一日頑張れる。
今日は、というか最近は主に乗馬の訓練をしている。
この世界の馬は人間の言葉をかなり正確に理解するので、地球の馬よりも操縦することは容易だ。しかし、それよりも前段階の、「馬に乗る」ということの上手さによって、乗り心地や、馬側の負担が変わってきてしまうのだ。
マツカゼは名馬だが、俺が下手くそならば台無しだ。並以下に成り下がってしまう。それでは勿体無いだろう。
それに、戦場では一々口頭で指示を出すよりも、足で指示を出した方が早い。
その僅かな違いが、時には生死を分けると言うのだから、侮れない。
乗馬を始めたばかりで、乗るので精一杯な俺にはまだまだ先の話ではあるが。
転びこそしないものの、自転車の練習をしていた時を思い出すよ。慣れないことだから異様なペースで疲労が溜まる。
「中々センスが良いですよ、殿下。そうですね……細かい助言はしますので、暫くはその調子で、先ずは乗ることに慣れていきましょう。背筋を伸ばすことを意識してください」
「はい」
乗馬の教師の言葉を聞き、素直に返事をする。
乗馬に関しては全くの素人なので、教えてくれることにたいして、疑問を持つ余地すらないからである。反発どころか、質問すら出来ない素人が現状だ。
同じ王城の庭ではあるが、少し離れたところでは、乗馬歴三年のハインツ兄様が軽快に馬を走らせていた。当然だが、やはり経験は力だ。
俺もいつかは馬を軽快に走らせられるようになりたいと、気を引き締める。
背筋を伸ばして、足でマツカゼの胴を軽く締め付けるようにすると、それに応じてマツカゼがゆっくりと歩きだす。乗りやすい、本当にゆっくりなペースだ。
口頭で頼むとある程度までは早くしてくれるが、それ以上に加速させようとすると、マツカゼはぶるると鳴いてそれを拒否する。「お前には早い」と諭すかのようであった。
馬自身が第二の教師なのである。
ところで第一の教師はというと、王都でも指折りの騎兵だ。
憲兵団所属ルッツ・ロレンス・フォン・フォクト少佐。燃えるような炎髪に、黒く澄んだ瞳をした、真面目そうな好青年だ。
憲兵という仕事に対して、優しすぎる印象を受けるが、そう言ったらミハイルやウォルフガングに苦笑いされた。王都内でなにかあろうものものならば、街の反対側であろうと馬で颯爽と駆けつけ、実力にて解決する優秀な大隊長である。
髪の色は「心の炎説」と「返り血説」があるらしい。極端だ。
そんな彼は、王都の治安を守ることに、誰よりも全力で取り組み、誇りを持っている。
彼にとっての最優先事項であり、それは俺に乗馬の指導をしている時ですら例外ではない。俺の教師であることは彼にとって名誉であるが、彼は名誉よりも職務を大切にする、ある種の職人だ。
もっとも、俺が事件よりも指導を優先しろと言えば従うだろうが、それをすれば、ここ数日で築いた心地よい師弟関係は崩れるだろう。他の人にも失望されかねないし、絶対にやらないけれどな。
そんな彼が教師に選ばれたのは、それを差し引いても乗馬が上手く、加えて教えるのも上手いからである。俺の上達は早めらしいが、それの理由の半分は彼の教え方が上手いからであろう。
残り半分は、マツカゼが優秀だからかな。
俺も血筋が優秀だから、並よりは才能があるのかもしれないけれど、イーブンから始める内容で周りの天才たちに勝てたことがないあたり、然程自信が持てないんだよな。
さて、今日のフォクト少佐は、最後まで授業をしてくれそうにない。
毎日授業をしていて、これで二回目だ。本来のカリキュラムより進んでいるらしいので、問題はないが。
焦ったように城壁の中に駆け込んできた、若い兵士の耳打ちを受けると、フォクト少佐は申し訳なさそうな顔をして俺の方にやってきた。
「すみません、殿下。北の大通りで喧嘩が発生したようですので、鎮圧してきます」
わざわざ大隊長が出るほどのことなのかとも思うが、これは憲兵の横暴を防ぐために、特例発令時を除き、大隊長以上しか「仲裁権限」を持たないためだ。
仲裁権限とは、簡単に言えば、簡易的な裁判を開く権利だ。
並の憲兵では、取り押さえることまでしか出来ないのだ。後の確執を減らすためにも、出来るだけ大隊長以上が出るのが好ましいとされる。
安心して欲しいのは、この権限のために、憲兵隊の大隊長以上になるためには、法律をしっかりと学んでいる必要がある。
具体的には、出向という形で、一年以上の法務系役人としての業務が必要だ。
そんなわけで、彼が行くことに意味はあるので、彼の提案を快諾した。
「わかった。よろしく、フォクト少佐」
「お任せを。……ハーケン!」
ハーケンは彼の馬の名前だ。
フォクト少佐の呼びかけに応じて走り出した馬に、彼はアクション映画でも中々見ないような身軽さで飛び乗って、颯爽と北の城門から飛び出していった。
あの速さ、街中で出して大丈夫なのか疑問だが、大丈夫だからこそ俺の教師なんだと思う。
憲兵隊も中々に大変だ。特に彼のような階級の高いものは。
最初に習ったため、すっかり一人でも乗り降り出来るようになったので、俺はマツカゼから降りて、馬屋へ連れて行くために近くにいた馬小屋番を呼ぶ。馬の世話は基本的に自分でしないと、信頼関係を築くことが出来ないが、細かい雑用をするための馬小屋番も居るのである。
マツカゼを馬小屋に連れてきたら、ブラッシングをしてやり、餌と水を与える。マツカゼは嬉しそうに鳴いて、それを食した。
馬小屋から庭の中心へと戻ると、レイナが二人の女官と二人の護衛を連れて待っていた。
ちょうど入れ違いになっていたらしく、キョロキョロと俺のことを探しているようだった。
彼女は俺を見つけると、笑顔を見せた。
「ヴァイス様、お疲れ様です。今日はもう乗馬は終わったのですか?」
「うん、フォクト少佐が仕事でね。カリキュラムはむしろ進んでいるらしいのだけど」
それを聞いて、ミハイルが笑って、ウォルフガングは苦笑いして、カリンは真顔のままに、最後にフランツィスカが戸惑ったように。
「相変わらず真面目だなぁ……アイツ」
「仕事依存症ですよ、ルッツは」
「炎血憲兵長でしたか、確か。そこまでだったのですね」
「なんで皆様そこまで冷静なのでしょうか……」
フランツィスカだけ、相変わらず場慣れしていないテンションだが、どちらかというと身分の差から生まれたテンションの差かもしれないな。ここにいるのがアリアだったら、もっと楽しそうに気楽な意見を述べるだろう。
まあ、それもまた個性だ。
レイナはフォクト少佐に関してはそこまで興味がない様子で、どちらかというとマツカゼが既に馬小屋なことが残念なようだった。
しかし、マツカゼも食事中だからな。
賢い馬には、人間と同じく、適切なプライベートな時間が必要だ。
「さて、何をしようか? 今日はもう、何の予定も入っていないんだ」
強引な流れではあったが、そういってレイナの手を取ると、彼女は笑顔を見せた。
部屋に移動するまでの間に、幾つかの案を出して、今日はトランプをすることにした。賭けこそしないが、真面目にポーカーをやってみようという話になったのだ。
ちなみに、ディーラーはウォルフガングが異様に得意である。
そして、今更ながらバレッタが似合っていること褒めて、着けてくれたことを嬉しいと言うと、彼女はくすぐったそうに笑った。
先程までの乗馬での疲れが取れるような錯覚を覚えた。