平和な昼下がり
武闘大会が終わって、一ヶ月ほど経った。
あの大会が過ぎると政治経済は色々と変わるというが、政に携わっていない子供の身では、いまいちそういった実感が持てない。
まあ、日本だって毎日のように法律は作られているのに、一般人が知るのはマスメディアが報じるごく一部のものだけなのだから、そんなものなのかもしれない。……情報が発達していないこの世界と違って、あちらの方はメディアの怠慢かもしれないが。
経済の方だってGDPが伸びたからといって、国民一人一人に恩恵があるかというと違うしな。
そんなわけだが、変わったと感じることはある。
完全に家の事情なのだが、俺くらいの身分だと政治と言えなくもない。俺自身のことではないのだが。
端的に言うと、いつもいる人が変わった。
まず、パーティーアウトしたのはミハイルとアリアだ。
といっても、いなくなったわけではない。結婚の準備やらで忙しくなって、色々なところを走り回っているため、常態的にいることが出来なくなったのだ。
ミハイルは長男ではないから、先ずは家を購入することから始めなければならない。結婚式や披露宴は何かしらの宗教を信仰していない限り、自宅で完結するのが常であるから、後の生活を考えても最優先事項だ。
二人とも王都に実家や別荘があるが、「自宅」となると王城内の小さな部屋しか持っていないからな。
まあ、半年もすれば全部終わって落ち着くだろう。
逆に、パーティーインしたのがアネモネだ。
ハインツ兄様の婚約者となった彼女は、王都にあるロマーナ大公爵の別荘で暮らしている。娘にも近い扱いというのも嘘では無いようで、快適に暮らしているらしい。
彼女もまた俺と同じで、年齢相応の教育は既に必要がない。それでも反復練習が必要なものは例外で、礼儀作法の授業などは受けている。
どうしてもレイナに勝てないとか言っていたと、ハインツ兄様経由で聞いた。恐ろしい程ハイレベルな「勝てない」なんだろうな。
増えたのは、もう一人いる。
フランツィスカ。――プレヴィン家の侍女だった、彼女だ。
優秀だということで、カリンが自分の侍女として連れてきたのだが、フランツィスカの今の肩書は「ローラレンス王国三等女官」である。
アリアが結婚するということで、後に生まれる穴を埋めるための、アルバイトのようなものだ。
三等女官というのは、非常勤代理女官を意味する。
具体的には、一等女官や二等女官の仕事を、一部を除き代行する権利を持つ職業だ。
本来は、女官が産休を取った際の代打として起用されるのだが、予めその職業を与えて仕事を覚えさせることもある。今、彼女は侍女としての仕事をしつつ、カリンの仕事の手伝いをしたりしている。
後は、馬車の乗り心地改善計画だ。
サスペンションは、王都で腕の良い職人を探したら、簡単に見つかった。原理と構造は説明したので、後は彼らに任せる。
ゴムタイヤは、ガクルを色々と加工してみている。時間があるときにやっているだけだが、色々と混ぜていけば、そのうちいい感じに変質するだろう。……まあ、ゴムが出来ても、タイヤを作るのが大変そうだけれど。
◆
「今更気が付いたのだけれど、あんた、中級以下の魔術しか使っていないのね……」
午後の自由な時間、アネモネと魔術について討議していると、そんな風に言われた。
脱力したような声音で言われたので、苦笑いを返しつつ、紅茶を一口飲んでのどを潤す。
「そうだよ」
短く返すと、彼女はガックリと肩を落とした。
そんな様子を見つつ、俺の隣に座るレイナが、ニコニコと笑いながら説明をした。
「ヴァイス様が言うには、カガクというらしいです。錬金術の発展した学問だとか。ヴァイス様がやっているのは複合魔術に、己の考え方を取り入れて発展させたものなのです」
「それは分かるわ。魔術そのものではなく、その後に起きる『現象』で威力を何倍にも増幅しているのよね。説明されたものは理解できたわ。……でも、何故それがそうなるのか、納得は出来ない」
そういわれても、前世の科学知識を活かして、あとは成功するまで実験しているだけだからな。
まさか前世の記憶があるという訳にもいかず、曖昧な返事を返すことにした。
「魔力総量が然程多くない身で、魔術を楽しもうとすると、こういうアプローチの方が早いんだよ」
アネモネは額を抑えて、負けたとでも言いたげに溜息を吐いた。
俺としては勝負した時に見せられた、あの幻級魔術だけで、彼女のほうが凄いと思うのだけれど。
まあ、ここ何日かの、いつも通りの討論である。
俺としては所謂魔術を使えることに憧れがあるから、アネモネの方が凄いと思うのだが、アネモネの方からは俺の複合魔術がとても凄いものと感じるらしい。
勿論表面上は、お互いに自分が上だと主張をするのだが。
そして、最終的な結論としては、どっちもレイナの「聖女の奇跡」と比べたら所詮人間の業だと。
この場にはハインツ兄様もいるが、彼は魔術に関しては、必要最低限を使えればいいと考えているので、ほとんど意見を言うことはない。
ただ、微笑を浮かべながら話を聞いているのだ。
たまに紅茶のお代わりを持ってくる、カリンやフランツィスカに、お礼を言う程度である。
それを言われたときにフランツィスカが顔を赤くしているのだから、やっぱりハインツ兄様は凄い。
ちなみにカリンは言われても平然としている。
そんな感じでだらだらと話して、しかし真面目な意見交換でもあるので、適当なところに着地点を作って切り上げる。
そもそもやっていることが違うから、お互いに得意分野を情報提供しましょうと。
アネモネの全力で俺と同じことやったら、街が吹き飛ぶと思うんだけど、それは使い道あるのだろうか。
「さて、あまりヴァイスのところに居座っても悪いし、そろそろ僕はお暇しようかな。やることもあるしね」
「ハインツ様が行くなら私も行くわ。ちょうど話も終わったし」
ハインツ兄様が立ち上がると、アネモネもそれに続くように立ち上がる。
俺のところといっても、俺が使っていることが多いだけで、私室ではないから幾らでも居て構わないのだけれど。
勿論、止める理由もないので、座ったままで軽く返答する。
「分かりました。では、また、夕食の時に」
「うん。じゃあ、また後で」
そういって二人は部屋から出ていった。
閉まる扉を眺めつつ、ふと呟く。
「平和だなぁ……」
小さな声だったと思うのだが、ほぼ密着するような距離にいるレイナには聞こえたようで、不思議そうに首を傾げられた。
「いつも平和ですよ?」
「ん、ああ……ほら、アネモネと最初に会った時、こうなるとは思わなかっただろ?」
レイナは意図を得たとばかりに掌を合わせた。
「ああ! 確かに、今は普通に楽しいです」
ほぼ最悪の常態から始まったアネモネとの関係も、ハインツ兄様との婚約という、ハインツ兄様直々による予想外があったものの、かなりいいものになっている。
特にレイナは、いうなれば級友が出来たような感覚でもあるだろう。
俺とは乳兄妹で友達で婚約者というか、純粋な友人への感情を向けることは出来ないと思う。俺も出来ない。だからこそ、初めての同年代の友達ともいえる。
俺の方は、相手がどう思っているかは兎も角、大人と完全対等に会話できるから、初めての友達という感覚はなかったが。人生二回目だし。
それでも大きなトラブルなく、話せる相手が増えたというのは喜ばしいことだ。
他にも、最近は会う時間が減って少し寂しいが、アリアとミハイルが幸せそうにしている。幸せな忙しさというやつだろうか。
アリアの家名がシュワルツシルトになる日も近そうだ。
今はまだ婚約で、家を買い次第籍を入れるらしい。
後は、気のせいでなければ、フランツィスカがいるときは、カリンが笑うことが多い。
注意しなければ気が付かないほどの微笑ではあるが、無表情であることが多い、カリンが笑うのだ。
主従だから当然といえば当然だが、一緒に居ることも多いし、二人は仲が良いのであろう。
武闘大会で色々と変わったが、少なくとも俺の周りは良い方に変わった。俺自身には変化がないが、周りが良くなれば引っ張られて良くなるというものだ。
たまに日本食を食べたいと思うことがあるがそれくらいで、前世への未練もないし。いや、皆無という訳ではないのだが、今世と比べるとどうしても見劣りしてしまうのだ。
第二王子というのは非常に良い。
第一王子のように将来の責任を強く感じることもなく、それでいて生活は保障されているようなものだ。
そんな殆ど最高と言っていい環境が前提であるから、俺が能動的に求める幸せは、現状維持に近いものだ。
強いて望むものを上げるならば、隣にいる少女を大切にしたい。
何もしなくても手に入れられるものだが、そうではなく、お互いに心から繋がりたいと思う。幼馴染というのはそれだけで強いもので、既に殆ど達成されていると言っても過言ではないが。
立ち上がって、レイナの手を取って問う。
「踊らないか? 音楽もないけれど」
非常に唐突であったにも関わらず、レイナは俺の手を引いて立ち上がって微笑んだ。
「喜んで!」
簡単なステップを刻む。
お互いに見つめ合って笑う。
そんな、平和な昼下がり。
これにて、第二章は終了です。
次回からは第三章――ヴァイス達が10歳の時の話となります。
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